執筆者:伴 武澄【共同通信社経済部】

神戸で元プリマドンナに会った。浮島智子さん。被災した子供たちにミュージカルやバレエを教えている。バレリーナーを捨てた理由を聞いた。
香港での公演が終わった夜、米国人夫妻が楽屋を訪ねてきたんです。夫が言うには
「僕たちは今日、離婚をすることを決めて、最期のデイトに浮島さんの舞台を選びました。浮島さんの舞台を見て彼女が言い出したんです。『私たちもあのように最初はお互いを必要として一緒になったのよね』『そうだったな』。こんな会話をした後、もう一度やり直すことにしました。ありがとう。おかげで勇気が湧いてきました」。

私、それを聞いて「私のやるべきことは終わった」と急に思ったんです。すぐにバレエ団に辞職願いを届けました。翌日、マンションを出ると玄関にカメラを持ったマスコミの人がたくさんいました。なにかあったのかと思い振り返りましたが、私のほかにはだれもいませんでした。「あーそうだ。私辞めたんだ」。その時、実感しました。「なんで辞めるのか」って聞かれましたが、何も言いませんでした。

いつも、とっくりのセーターに黒のパンタロンを着る。地味だが、話を始めると黒い大きな眼差しがまばたきをやめて、訴える。「いま子供たちといる瞬間が一番楽しい」。壺井栄の「二十四の瞳」の大石先生はこんな人だったのではなっかたかと考えた。

神戸に来たのは2年前の1996年。神戸に来て、ここに「私の仕事がある」と直観した。たまたま、香港時代に知り合ったパソナ香港社長の弟が人材派遣会社パソナ代表の南部靖之氏だった。南部氏のもとで子供たちの心をいやす仕事が与えられた。

南部氏もまた、大震災を見て居てもたってもいられなくなり、ニューヨークから神戸に居を移した。大手スーパーから買い取った神戸ハーバーランドのビルをハーバー・サーカスと名付けて、復興活動の拠点とした。神戸に人を集め、神戸に雇用を生み出すことに腐心している。神戸から逃げ出す企業が多い中で、南部氏は逆に神戸に多額の投資をした。南部氏のプロジェクトには被災地支援という語感につきまとう暗さはみじんもない。明るさを取り戻し、勇気がわく。そんな人々がまた集まっている。

浮島さんにまた聞いた。というより自然に語り出す。感動をたくさん詰め込んだ人だから、話を始めるとよどみがない。

「バレエを教えているでしょ。私、本気で怒るんです。でも怒った後、その子がどんな気持ちでいるか気になるのです。怒った翌日は、その子がどんな顔をして練習に来るか気になるの。」
「ある日、前の日に怒った子が心配で翌日、戸口を見ていたら、その子が入ってきて目が合ったんです。その子は駆け寄ってきて『先生、わたしの目を見てくれたでしょ。うれしかった。学校の先生は、わたしから目をそらすのよ』って言うんです。ジーンと来ちゃった」

ジーンと来たのはこっちの方だった。経済部の記者をやっていて目頭が熱くなることなど忘れていた自分に驚いた。チャップリンは生前、人生の目的について「Love, Courage, and some Money」といっていたそうです。浮島さん、お金も稼いでください。
神戸のハーバーランドに行けば、浮島さんに会えるかもしれませんよ。

浮島智子さんのプロフィール1963年2月1日生まれ。東京都出身。2歳からバレエを始め、高校時代からテレビ出演などプロに。19歳でプロバレエ団に入団、香港へ。プリマドンナとしてアジアや米国で活躍。現在神戸市在住。