執筆者:伴 武澄【KYODO NEWS Deputy Editor】

HAB Reserch 1998年1月11日
1997年11月の末、フィリピンに3泊4日で出掛けてきた。フィリピンでバナバ茶を栽培している京都府福知山市の松山太氏の案内でマニラ、アンヘレス(クラーク)、オロンガポ(スービック)を回った。肝心のスービックには夕方に着いて、写真も撮れなかった。以下は印象記です。
●米軍基地跡は高級住宅地●

クラークもスービックも延々と続く芝生の中にある。南洋の大きな木々が繁る杜のなかに、基地跡を利用した事務所群と美しい住宅地が点在している。文句のつけようのない滑走路と港湾に恵まれ、基地内では強力な発電所にバックアップされた電源と、蛇口から飲める水道施設が完備している。
旧将校用のクラブはそのまま、5星クラスのリゾート・ホテルに生まれ変わっている。クラークで泊まったホリディ・インは台湾人多く泊まっていた。ちょうどマニラで世界のライオンズクラブの大会が開かれる直前で、台湾人は夫婦連れでゴルフとカジノを楽しんでいた。
旧基地内は植民地、つまりコロニアル・ライフの風情が漂っており、一方で米軍が持ち込んだアメリカン・ウエイ・オブ・ライフも楽しめる。マニラの喧騒とは別世界だ。経済特区では、当然ながら支払いは米ドル。ホリディ・インも料金払いはドルで、残念ながらペソ安を十分に楽しむわけにはいかない。
経団連の外郭団体であるJAIDOが完成させたスービック工業団地を管理している原田事務局長によれば「アジアの都市を転々としてきましたが、スービックが住み心地では群を抜いている」。「アジアで、水道の蛇口から水が飲めるのは日本とスービックだけだ」。南部アメリカをそのままアジアに持ち込んだようでもある。
特にスービックは、海に巨大なヨットハーバーも併設(これは米軍が残したものか聞き忘れた)、もはや「いうことがない」リゾート型工業団地といっていい。
スービック開発庁は大統領直轄の省庁で、関税(もちろんゼロ)から警察権にいたるまでその他のフィリピン政府機関とは別組織になっている。投資の許認可も政府の投資委員会(BOI)とは別の権限です。治外法権というよりも「国家内国家」そのものだ。戦前の北海道が似たような組織だったのではないかと思う。違うのはスービックがリチャード・ゴードン長官の利権の地であることでしょう。来年の大統領選挙にゴードン氏も出馬を予定していますが、ほとんど勝つ見込みはないといわれている。
スービック開発はラモス大統領のの肝入りで始まったため、ラモス政権退陣の後を心配する向きもあるが、どうやらスービックの利権確保が出馬の動機のようで、最大の投資者であるフェデラル・エクスプレスとエイサーの後ろに米国政府と台湾の国民党があり、大丈夫との印象を受けた。

●ドルショップという名の巨大商店街●
旧基地内にはドルショップという名の巨大なショッピングセンターが多くある。ドルショップというから空港の免税店に毛の生えた店舗を想像していたが、現実のドルショップは全然違う。酒。たばこからポテトチップやマヨネーズといった食品、テレビ、冷蔵庫、スポーツグッズまでなんでも売っている。
クラークが栄えてきた背景には、このドルショップがある。フィリピン国民はこれまで1カ月に100ドルまでクラーク内での買い物が許されていた。経済特区のゲートがほとんどフリーパスという状態であるため、「ドルショップでの買い物」を名目に多くの卸売業者がクラークに殺到していた。
国内にそんなにドルがあるのかという疑問はすぐに解けた。海外で働く420万人のフィリピン人が年間100億ドル以上の外貨を送金してくるのでこの国には多くのドル紙幣が氾濫している。フィリピンの財政は黒字で、貿易収支は200億ドルの輸出に対して300億ドルの輸入で約100億ドルのマイナスだがが、海外からの送金が赤字をほぼ埋めるという特殊な構造を持っている。外貨準備があまりなくとも経常収支が均衡する特殊構造を持っている。
ところが、現実は7月以降のペソ安でこうしたドルショップが次々と廃業している。ここ3年栄えたクラークの経済は沈滞気味だった。(了)