執筆者:伴 武澄【KYODO NEWS Deputy Editor】

HAB Reserch 1997年1月09日
新年明けましておめでとう。
日本が「大変な時」を迎えて7年目を迎える。中学に入学した児童ならば、大学に入学するだけの「時」を過ごしたことになる。この「時」をわれわれはどう見る必要があるのだろうか。「バブル経済」ということばはアジアはもとより、欧米のマスコミにも通用する日本発の「国際的な造語」となった。

日本経済は7年間、株価や不動産価値の下落の危機にさらされ続け、官僚や評論家は「ここが底値」と言い続けた。そうした大方に楽観論をあざ笑うかのように地価はとどまることを知らず、下げ続けている。そして金融機関が倒産しはじめて、天下はようやく「まだその下落の過程にある」ことを認識しはじめた。

日本が「まだ大丈夫」と言っていたころ、欧米のマスコミはバブル経済の病巣をえぐり出す多くの分析記事を書いていたが、日本の政治家も官僚もその一切を黙殺した。日本がようやく危機感を抱きはじめると逆に欧米勢は「日本経済を過小評価してはならない」とエールを送って来た。

在日米国商工会議所のグレン・フクシマ会頭は毎日新聞の1月9日の「新年に聞く・語る」で「80年代の終わりごろは日本は世界で一番、強い経済だと過剰評価しいていたが、今はその逆だ。しかし、いわれているほど深刻とは見ていない。中長期的にみたら景気は回復してまた健全な強い経済になる」と日本経済への過小評価を戒めている。

フクシマ氏は元米通商代表部(USTR)の日本担当の代表補代理。かつて日米構造協議(SII)で日本市場の閉鎖性をこれでもかとたたいたヒルズUSTR代表の懐刀だった。その後、AT&Tに移り現在、AT&T日本法人の副社長。その対日強硬派が「日本は大丈夫」と言ったとしても、1989年から90年の日米構造協議の取材の最前線に立ち会った身としては素直には受け取れない。逆に「去勢された日本はもはや恐くない」といっているようにしか聞こえない。

日本の行革や政治について「あまり根本的な改革はないだろう。外から見ていると、日本の指導層や国民に切迫間や危機感がないように見える。変えなければならないという必要性をあまり感じてないのかもしれない」と客体視する。USTR時代のフクシマ氏はヒルズ女史とともに日本の病巣をえぐり出し続けた。米国政府全体に「日本を変えてみせる」「変えなければ米国経済が迷惑する」といった切迫感があった。

日本脅威論が米国内を吹き荒れていた時期でもある。たった9年前である。日本が巨大な貿易黒字を稼いでいただけではない。ソニーがコロンビア・ピクチャーズを買収し、三菱地所がロックフェラーセンターを取得した。大幅な財政赤字を抱える米国政府が発行する国債の3割、4割を日本の金融機関が購入しいていた。日本の政治家が「米国経済が弱い原因は教育レベルの低い黒人にある」などと発言してひんしゅくも買った。日本経済には米国をも飲み込む勢いがあった。

米国側にも相当の危機感があった。民主主義国家として「国家や業界を背景としたカルテル経済」をのさばらせるわけにはいかないという国家的威信を感じた。だがいまの米国にはそれがない。円ドルの為替レートが1ドル=130円になっても為替レートを騒ぎ立てるのは一部の自動車大手だけである。強い米国にとって日本の貿易収支の黒字が増加しようが減少しようが大した問題ではなくなっているのである。

ジャパン・バッシングの後にやってきたジャパン・パッシングは、たたかれてもたたかれても変わらない日本に対する強烈なメッセージだった。それでも米国は日本企業の輸出競争力を弱めるべく円高誘導をやめたわけではない。1ドル=100円を上回る円高でも米国は円高を求め、1995年には瞬間的ではあるがついに80円の大台を突破した。

しかし、1995年4月の先進7カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)以降、通貨をめぐる環境は一変した。円安に転じた日本円は下落を続けた。ドルから見た日本は2年半前の3分の2の価値でしかない。

ジャパン・パッシングはまだまだ続くだろう。そして、われわれは1ドル=80円台のジャパン・パッシングと1ドル=130円台のそれとでは大きく意味が違うことを知るべきだろう。(了)