日ソ対話への一歩-ゴルバチョフ大統領来日 1991年5月Libre
ソ連のゴルバチョフ大統領の日本訪問が実現しました。ソ連の元首が日本を訪問するのは有史以来初めてのことです。海部首相との6回にもわたる首脳会談や日ソ共同声明で北方四島の名が明記されたことや交渉の継続を確認したことは一歩前進といえましょうが、国民が期待していた北方領土の返還を確認することはできませんでした。
明治時代、ロシア皇太子が訪日するなど日本とロシアに一時期には良好な外交関係があったこともありますが。両国の関係はロシア革命後も戦争や対立状態が続いていたことは隠しようのない事実です。こうしたことから考えれば、ソ連の元首が来日し、対等の立場で話し合いのテーブルにつけたことはやはり評価していかなければなりません。
米ソの間でも何度かの首脳会談を繰り返し、首脳同士の信頼関係を築き上げた上で、最終的に戦後の冷戦構造の解消を宣言した89年末のヤルタ会談にこぎつけた経緯を振り返れば、日ソ間のそうした話し合いの積み重ねが北方領土問題にとっても重要となりましょう。
日本にとってはどうしても関心が北方領土に傾きがちとなりますが、ソ連外交からみれば、日本や韓国など新興工業国・地域(NIES)といったアジア諸国との対話は、シベリアや沿海州などアジア・太平洋にも広大な領土を持つだけに重要な課題であります。またソ連極東開発のためには日本の資本や技術の支援が不可欠とされており、今後とも広い視野からの日ソの対話が進むことが一層重要になっています。
北方領土問題-懸念されるソ連の選択
戦後、日ソの首脳会談は3回ありました。1回目は1956年。国交回復交渉のため鳩山首相がモスクワを訪れ、1973年には田中首相がモスクワでブレジネフ書記長と会談しました。北方領土問題に関しては、56年の日ソ共同宣言では、「歯舞、色丹の二島返還」が約束されていました。73年の田中・ブレジネフ会談では口頭で、「戦後未解決の問題」に四島が含まれるとされましたが、共同声明には盛り込まれませんでした。
今回の大統領の来日は、一昨年、ニューヨークでの中山・シュワルナゼ外相会談で決まったものです。来日まで長い期間があり、「二島返還論」や「共同開発構想」などソ連側からも楽観的な議論が伝わってきただけでなく、小沢幹事長などの訪ソをも通じて、「北方領土返還の糸目が開けるのではないか」との期待を抱かせました。
確かに日ソ共同声明では、「歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島」の四島がハッキリと明記されました。56年の日ソ共同声明についても、「56年以来長年にわたって二国間で蓄積されたすべての肯定的要素を活用する」ことになりました。政府・自民党は「大きな成果」(西岡総務会長)。「一歩前進」(外務省)と評価していますが、返還への道のりは簡単ではなさそうです。
共同声明の四島の名前の明記は、返還についてソ連側が何か言及したという意味ではなく、単にその問題を議論したという事実を記載しただけなのです。56年の日ソ共同宣言に関してもゴルバチョフ大統領は記者会見で「二島に関する部分は復活させていない」と述べています。
ソ連側からみれば北方領土返還問題はより複雑な背景があり、ゴルバチョフ大統領の持つ選択肢も極めて限られているようです。ソ連は、日本だけでなく東欧諸国や中東諸国との間でも領土問題を抱えています。加えてソ連内部には多くの民族や共和国が独立を求めている問題もあります。
ペレストロイカ導入による経済の破綻はソ連が抱えるより深刻な課題で、最悪の場合はソビエト連邦の崩壊もありうるとさえいわれている状況で、北方領土の返還がそうした他の領土問題や国内の民族の帰属問題にも火をつけかねないのです。
こうした状況を考えれば、北方領土の返還はじっくりと日ソの信頼関係を築くなかで活路を見出すしか方法はありません。
日ソ経済協力
北方領土と並んで焦点となった対ソ経済協力も、ソ連側の期待が強かったが、日本側が「政経不可分原則」の姿勢を維持したため金融支援を含めて大きな進展はありませんでした。当面は人道的緊急援助や研修生受入れや訓査団派遣などの技術的支援にとどまる見通しです。
ソ連経済は社会主義による計画経済から市場経済への移行期にありますが、インフレと通貨不安、そして労働者の権利拡大を求めるストライキが横行しています。その結果。労働意欲が減退、大量の失業者も出るなど社会不安にも発展しています。計画経済のなかでまがりなりにも機能していた経済は、たずなを緩めたことで、逆に経済活勁が後退の悪循環に陥っているといっても過言ではありません。
隣国の経済不安は決して他人事ではありません。西側先進国では東欧を通じたソ連からのヒトの流出が人きな政治問題となっていますし、経済の破綻によるソ連の崩壊というような事態が生じた場合の国際社会に与える影響は計りしれません。
こうしたなかでソ連が期待をよせているのが、シベリアやサハリンでの石油・人然ガスや森林開発です。ウラル以西の資源はすでに枯渇へ向かっているとの認識からソ連政府としても今後ウラル以東へ重点的に資金を投入する計画で、その場合、日本に対して開発資金や技術を依存したいのは当然の考え方でしょう。
ソ連と国交を結んだばかりの韓国はすでにソ連に対して30億ドルの資金協力を約束しています。日本としてはもちろん北方領土返還交渉をにらみながらの支援になるのでしょうが、産業界を中心に対ソ進出に意欲を示している企業も少なくなく、とくに新潟など、日本海を隔てて隣り合わせにある日本海岸の自治体も極東ソ連との協力に前向きな姿勢を打ち出しています。
北方領土の帰趨を含めて、今後の日ソ関係を占うことは難しい状況ですが、ソ連がペレストロイカ政策を続けるかぎり両国の間にある溝が埋まっていくことは確実です。大きな視点を持ち、世界的視野のもとに日ソ関係の進展が進むことを待ち望みたいものです。