豊かな北海道に義務教育は似合わない1998年03月01日(日)共同通信社経済部 伴武澄 | |
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日本国憲法は、国民に「その能力に応じて等しく教育を受ける権利」と「子女に普通教育を受けさせる義務」を有することを規定している。さらに「義務教育は無償とする」考えを示している。 登校拒否は、厳密には「親による違憲行為」となる。だから悪いといおうとしているのではない。教育を受けたくても受けられないほど貧しかった時代の憲法を無理矢理続ける方が人間社会をねじまげるから、憲法の方を直したい。
●公立教育の質低下の根元は「義務」と「無償」 いまの公立学校を無料だと考えている人がいたら、その人は相当におめでたい。教員の給与は税金でまかなわれている。国と自治体が負担を折半している。学校の施設の建設費や維持費もかかる。その費用は年間6兆円におよぶ。国民一人当たりで5万円程度だが、対象となっているのは7歳から15歳の学童である。学童一人当たり年間50万円を超える負担となっている。 本格的塾に子供をやっている家庭の年間負担とほぼ見合っていると思う。そう考えると日本という国は壮大な無駄をやっているとしかいいようがない。子供たちがいやいやながら学校へ行き、塾で真面目に勉強しているのは学校が「ただ」だと考えているからだ。私立の小中学校で凶悪犯罪が起きたという話は聞いたことがない。きっと「ただ」でないからだ。 公立学校の質低下をもたらしている根元は「義務」と「無償」という憲法の規定にあるのではないかと考え始めている。
●塾は学校法人として認可して私学となる 日本で、大正時代に多くの中学校が設立された。筆者の郷土の「土佐中」は高知県の財閥オーナー3者が「有為の人材輩出」を目的に出資した。生徒数が1学年30人の少数精鋭だったが、授業料は公立中学よりも安かった。神戸市の「灘中」もまた同様に酒造会社の有志がお金を出し合った。京都の私学のほとんどは宗教団体が経営している。江戸時代の学問の支援者は大名だった。村では庄屋がお金を出し、町では商人が塾を経営した。教育が義務でも権利でもなかった時代は有能な人材が必要な人々が自ら費用を負担した。 中央集権的国家が成立すると、その負担が国家のものになった。国家全体が貧しかった。社会主義思想の影響もあってどこの国でも「教育の権利」という考え方が導入された。コンピューターが、ホストコンピューターの時代からパソコン時代へと大きく質的変化を遂げたように国家の在り方もいま、世界的に分権の方向にある。教育もまた国家が規定する時代ではない。
●私立の学資負担は所得税・法人税の控除対象 また、高等教育ではサッチャー元英首相が導入した「学籍補助制度」を導入する。私立学校に国が一定の学籍を確保し、優秀だが経済的余裕にない家庭の子弟を進学させる制度である。サッチャー氏が1979年首相に就任して最初に打ち出した改革の柱の一つである。貧しい家庭の子供にも私立学校へ行けるチャンスを設けたのである。 それから公立学校では、民間企業や定年退職した人材を積極投入する。教育界は世間知らずの教育者があまりにも多い。実学の比率を高めるためにも社会で貢献してきた人材の登用は不可欠である。定年退職者の採用は、年金負担を減らすだけでなく高齢者の社会参加に大きな効果をもたらすはずだ。
1995年02月28日 北海道が独立したら |
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