北海道が独立したら-財政はOK1995年06月06日共同通信社経済部 伴武澄 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ご意見 | 「北海道が独立したら」という話は農水省の広報誌「AFF」に掲載され、それなりに評判を得た。記者クラブでは「こんな議論をAFFの紙面を借りて続けられたらいいな」との議論も出た。 「農水省広報室はそれぐらいの度量があってもいい」 とある記者が言い出し、広報室長を呼んで趣旨を話した。もちろん酒が入っての勢いである。新聞記者というものは常日頃、政府批判ばかりで、自らアイデアを出すよう教育されていない。記事はいつも「不偏不党」を要求され、決して記者個人の意見を開陳する機会に恵まれていない。 朝日新聞とか、毎日新聞には「記者の目」とか、大きな紙面が用意されているではないかという反論もあろうが、大勢の記者がいるなかでそうそうチャンスが巡ってくるわけではない。また、あまり荒唐無稽な論旨を展開しては記者の沽券にかかるとばかりに、怒りを抑えた筆致にならざるをえない。 だから酔えば「企業の論理やデスクの判断を抜きに本音を語る紙面がほしい」となるのは当然だ。面白半分で書いた「北海道が独立したら」がそんな反響を生んだ。若い農水省の役人も記者もまんざらでない気分になった。 まじめな広報室長はそれなりに社内議論をしてくれたらしく、翌日「やっぱり編集権は農水省にあるので、記者クラブに紙面をお貸しするわけにはいかないと判断しました」と断りに来た。
「そんなら」と奮起したのが東京新聞の記者だった。 「北海道が独立したら」という話は、官僚の間ではあまり評判はよくない。というよりも完全に無視された。心のなかでおもしろいと思っても表立って肯定できないのが役人の悲しい性だ。
「北海道が独立したら」のコピーは友人のジャーナリストの平岩氏にも見せた。 「いやいや、単なる面白半分の発想ですから。あれ以上なにも脳味噌のなかにインプットされていないですよ」と返事しておいたが、新宿では大いに受けた。平岩氏が主催している「AR会」という水滸伝の中の梁山泊のような集まりでは特に評判がいい。四国新聞の論説委員は一面下段の「一日一言」に通貨問題にからんだ話題で北海道通貨の「ピリカ」を取り上げてくれた。仲間がまた友人にフックスしてくれたりして、「北海道独立」は全国的に広がった。そしてそこでも勉強会を開こうということになった。といってもメジャーになったわけではない。依然として夢のなかのまた夢のような話だ。 1995年2月。寒い寒い冬の議論からわれわれはスタートした。酒に酔ってはいたが、ちゃらんぽらんな気持ちから独立論を持ち出したのではない。現在の日本が抱える閉塞感やサラリーマン、主婦が日々苛立っている状況から脱するにはどうしたらいいのかを議論してきた到達点だった。 もちろん2人はそれなりに真剣だった。まず、心配となったのは北海道がこれまで手にしてきた本土からの財政支援がなくなってほんとうに生きていけるのかという疑問だった。
若い農水省の役人にはいった。 「あんたはいっぱい情報を引き出す立場にあるのだから、ちょっと実現可能な話なのか調べてよ」 と調査を依頼した。 やはり役人は毎日深夜まで机に張りついていなければならないから、調査は滞っている。若い役人が一番心配しているのは北海道が独立して財政が回るのかという疑問だった。確かに2兆7000億円の歳出に対して地方税収は5000億円強しかない。倹約しても2兆円以上も穴埋めするのは現実的に不可能だ。 翌日、農水省の隣りにある政府刊行物センターに足を運んだ。何か手掛かりになる資料はないかを探すためにだ。すぐ目についたのが『95年日本の国勢』という「国勢社」が出版した統計資料だった。2800円もする資料だった。内容的には総務庁を中心に政府が発表した資料を再録したものだから、それぞれの資料は「共同通信の記者です」と省庁を回れば、広報課でただで入手できるものだ。しかし、これは共同通信社の仕事ではない。北海道独立の仕事に金銭的に日本国政府に頼るわけにはいかない。 この『95年日本の国勢』という本で、1992年の北海道の財政を調べてみたら、面白いことに突き当たった。北海道で徴収される所得税や法人税など国税の年間収入が実に1兆5000億円以上もあるのだ。 下の表を見てほしい。北海道は都道府県で国税の収納総額は9番倍目に多い。上の北海道の歳入のうち、国庫支出金はいわゆる補助金。地方の公共事業や農業事業に対して一定割合を政府が補助する仕組み。地方交付金は個人所得税や法人税など国が徴収した税額のなかから32%を地方に支給することが法律で決められている。そんな国からの収入が合わせて1兆4000億円もあるが、本当は下の表の通り、そもそも北海道の住民が支払った税金が国を通じて還流しているにすぎない。
財政学をかじった程度では、地方交付税交付金の名称は知っていても本当の意味は分かっていない。ただ単に個人所得税と法人税、相続税の合計の32%を地方の財力の応じて再分配する仕組みと覚えているだけだ。 この交付金をもらえる自治体を「交付団体」といい、もらえない自治体を「不交付団体」という。自治体からすると「交付団体」の名称はあまり名誉なものではない。いつまでも親から援助を受けている学生のように実際は肩身の狭い思いがあるからだ。 東京都など豊かな自治体は一切もらえないが、沖縄県や高知県などは過分の配分を受けている。例えば高知県は、4000億円規模の年間予算を持っているが、地方税でまかなっているのはほんの400 億円でしかない。あとはこの交付税と補助金、そして多くの場合まだ足りないため県債(借金)を発行して財源をまかなっている。 本当は、企業があり、住人がいるかぎりどこの自治体でも県内で徴収される法人税や所得税があり、そうした国税分を上回る交付金をもらっているのならば不名誉だが、交付金が下回るのだったら胸を張って受け取っていいものなのだ。 とにかく北海道の税収を子細に検討すると、道内で上がる法人税や所得税などの国税を合計すると、ほぼ国から交付される地方交付税交付金に匹敵する税収があり、その規模が北海道の予算に戻ってくる金額よりも多いということが分かった。北海道は財政の面で決してひ弱ではない。現在の支出をしても十分に税収は足りており、東京などの富裕な自治体の世話になっているわけではないのだ。
「それ見たことか。北海道の財政は見掛けほど悪くはない。お金の面では独立してもそんなに困らない」
こんな会話を期待して同僚にこの話をすると「市町村の予算はまた別個に必要だからまだまだ問題があるよ」との忠告された。 頭が少々混乱気味だったが、昼下がりに農水省に若い役人を訪ねた。 若い役人は席にいなかった。役人は朝の出勤は遅いが夜遅くまで役所で働く。働くというよりも「役所に住んでいる」という表現がぴったりだ。霞が関の役人から村役場まで役人の多くは出勤するとすぐにサンダルに履き替える習性がある。冬になるとさらに背広を脱いで前ボタンのセーターかチョッキに着替える。ふつうのサラリーマンは緊張感を保つためにネクタイを締めるが役人は習性がまったく逆である。役人も同様にネクタイを締めるが、役所に入ると妙にくつろぐのだ。だから「住んでいる」という表現がとても似合う。 ともあれ、若い役人はコピーをどっさり抱え込んで席に戻ってきた。また会議だったようだ。長めの昼食が終わるとどこの役所でも会議が相次ぐ。 「それでどうだったんだ。北海道の財政は」 この表を見せると若い農水省の役人はうなった。 「北海道はこんなに税収があったのか。もっと中央が助けなければやっていけないのかと思っていた」
次いで同僚が指摘した市町村への財源の疑問についても氷解した。
「結論を先にいえばオーケーだな。政府は国民から税金を徴収して再配分しているのだから、地方単独で徴収する地方税と国税を合計して、47都道府県で平均すれば国民が負担している税金と受けているサービスはイコールでしょう。多く負担している自治体があれば少ないところもある。これまで政府は地方税の収入だけを見て『お前たちはまだ自立していない』と恩を着せていただけなんだ」
戦後、アジア、アフリカ諸国が相次いで独立し、1960年代初頭にはインドのネルー、インドネシアのスカルノ、中国の周恩来、ガーナのエンクルマが声高に「AA(アジア・アフリカ)時代の到来」を叫んだが、尻つぼみになった。まさに経済的な自立ができなかったためである。 まして1980年代後半からのアジア諸国が経済活性化した現在に、政治的なスローガンだけで国家を独立させようとしても誰もついてこないだろう。中国の社会主義市場経済という実態をみるまでもなく、まさに経済が政治を引っ張る時代の真っ只中にある。
われわれはどうも泥沼に足を取られたようだ。 |
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