いまはなんでも北海道独立に結び付けようとしている。司馬遼太郎の「燃えよ剣」をあらためて読んだ。新撰組の土方歳三の一代記であるが、土方が最期を函館(箱館)で迎えたことはあまり知られていない。
徳川慶喜が大政奉還した後、旧幕臣が五稜郭にこもって新政府にたてついただけでなく、北海道の独立まで画策いていた。画策したのは土方ではない。榎本武揚である。小説だからすべて事実ではないが、「燃えよ剣」に沿って「艦隊北上」の段を再録する。
仙台伊達藩の説得に失敗、旧幕臣数千名を引き連れて開陽丸で箱館に向かうシーンである。(新潮社文庫より)
榎本が函館へ行こうと思った最も小さな理由は、かつて行ったことがあるからである。
最大の理由は、北海道を独立させ、函館に独立政府を作ることであった。
「外国とも条約を結びます。そうすれば京都政府とは別にい、独立の公認された政府になるわけです」
その独立国の元首には、徳川家の血すじの者を一人迎えたい、というのは歳三はすでに仙台で榎本からきいている。
「政府を防衛するのは、軍事力です。それには京都朝廷が手も足も出ないこの大艦隊があります。それに土方さんはじめ、松平、大鳥らの陸兵」
ほかに、と榎本はいった。
「かの地には、五稜郭という旧幕府が築いた西洋式の城砦がある」
徳川家に血縁者を元首とする立憲君主国をつくるのが、榎本の理想であり、その理想図は、オランダの政体であったろう。
そのほか、榎本が函館をおさえようとした理由の最大のものは、函館のみが、官軍の軍事力によって抑えられていない唯一つの国際貿易港であった。
長崎、兵庫、横浜はすべて官軍におさえられ、その港と外国商館を通じて、官軍はどんどん武器を買い入れている。
函館のみは、公卿の清水谷公考(きんなる)以下の朝廷任命の吏僚と少数の兵、それに松前藩が行政的におさえてはいるものの、それらを追っぱらうのにさほどの苦労は要らず、まずまず、残された唯一の貿易港である。 外国の商館もある。
ここで榎本軍は外国から武器を輸入し、本土の侵略をゆるさぬほどの軍事力をもち、産業を開発して大いに富国強兵をはかり、ゆくゆくは、現在静岡に移されてその日の暮らしにも困っている旧幕臣を移住させたい、と榎本は考えている。
「土方さん、いかがですか」
と、榎本は 血色のいい顔に微笑をのぼらせて、得意そうであった。
榎本は楽天家である。
なるほど、かれが知り抜いている国際法によって外国との条約も結べるだろう、経済的にも立ちゆくだろうし、軍事的にもまずまず将来は本土と対等の力をもつにいたるかもしれない。
「三年」
榎本は指を三本つき出した。
「三年、京都朝廷がそっとしておいてくれさえすれればわれわれは十分な準備ができる」 「しかし」
と歳三は首をひねった。
「その三年という準備の日数を官軍が藉(か)さなければどうなるのです」
「いや日数をかせぐのに、外交というものがある。うまく朝廷を吊っておきますよ。われわれは別に逆意があってどうこういうのではないのだ。もとの徳川領に、独立国をつくるだけのことだから、諸外国も応援してくれて、官軍には横暴をさせませんよ。私がそのように持ってゆく」
艦隊が北海道噴火湾のすべりこんだのは戊辰10月20日。鷲ノ木という漁村。函館占領は11月1日。明治2年5月11日。五稜郭総攻撃。6日後に陥落した。箱館政府はたった半年の命だった。
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