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パール元国防副長官の中のヒトラー
2003年03月07日(木)
ワシントン在住ジャーナリスト 堀田 佳男
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イラクとの戦争が近づきつつあるので、ワシントンでは今、その方面で仕事をする人たちの動きが慌しい。政府関係者はもちろん、政策の提言が仕事であるシンクタンクの学者も、現状分析の発表やマスコミのインタビューなどに追われている。
2月25日早朝、アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所、略称「AEI」と呼ばれる保守系シンクタンクでイラク問題の会合があった。「ブラックコーヒー・ブリーフィング」という呼び名で、イラク問題だけにしぼった会が最近始まった。仕切っているのはリチャード・パールというレーガン政権時代の国防副長官である。
実は、このパールこそがいまワシントンでもっとも「旬」と言える人物なのである。シンクタンクに席を置く一方、国防政策諮問委員会というペンタゴンのラムズフェルドやブッシュに進言する集まりの委員長も務めている。この会にはキッシンジャーも入っている。さらに、ブッシュ政権を語るときのキーワードとも言える「ネオコン(新保守派)」の急先鋒がパールなのである。彼がブリーフィングで何を言うか、前日から遠足に行く前の小学生のような心持ちでいた。
早めに着いた私は、コーヒーを飲みながら席についていた。だが開始時間になってもパールの姿がない。司会者はパールがいないまま、時間通りにブリーフィングをスタートさせた。10分ほどしてから申し訳なさそうに静かにドアを開けて初老の男性が入ってきた。だぶついたダークスーツに緩んだ赤のネクタイをつけている。頭部にはホワホワっとした白髪が流れる。銀座や六本木というより西武新宿線沿線の駅前にある焼き鳥屋の暖簾をくぐった疲れた経理担当のサラリーマンという感じであった。目つきもトロンとしている。アメリカの国防政策に大きな影響力をもつ人物にはどうしても見えない。
「外見の判断がこれほど当てにならない人物もいない」
話を始めたパールの印象である。「疲れたサラリーマン」は鋼鉄の意志とでもいえるほど力強い口調でイラク軍事攻撃の必要性を訴えはじめた。国連査察団がいくらイラクで活動をしても何も見出せないと繰りかえす。そして、伝家の宝刀とでも呼べる話を持ち出した。ユダヤ人であるパールはナチスドイツのことに触れたのだ。
「いまのイラクはホロコースト時代の強制収容所に似ている。ナチスドイツのテレージェンシュタット収容所(プラハ)に、国際赤十字が査察にきたことがある。ナチスは査察団に対し、強制収容所など存在しないと言い張った。収容されていたユダヤ人には普段、着させない服を着せ、オーケストラで音楽さえ聞かせてとりつくろった。収容所でのその演奏会が最初で最後の音楽会であったことは言うまでもない。査察団が帰ると、またもとの収容所に戻った。そこで何万ものユダヤ人が死んだ」(4万人と言われる)
パールは、国連安保理はすでにイラクに対して17もの決議案を採択しており、ほとんど遵守されていない中での18個目は必要ないと語気を強める。「17個あれば十分だろう」。私はパールがヒトラーとフセインをダブらせているように思えてならなかった。いまフセインを抹殺しなければ、第二のホロコーストか「9.11」が起きるかもしれないとの思いが言葉の節々から読める。その気迫はすさまじかった。それはユダヤ人だけが抱く恐怖心であり憎悪なのかもしれない。
アメリカはイラクへの先制攻撃を「プリベンティブ・ウォー(予防戦争)」と呼ぶ。日本やヨーロッパでは、さかんに石油利権や軍需産業という言葉を使ってこの戦争の理由付けをする。だが仮に、それが攻撃理由の一部だったとしても、パールの心中では純粋にフセインという第2のヒトラーを退治することを戦争の第一義にしているように思えた。ブッシュはいま、彼のような過激なアドバイザーを周りに配している。
ブリーフィングの後、個人的に話をする機会があった。私が一国主義と先制攻撃の邪悪性を口にしても、パールは聞く耳を持たなかった。
堀田佳男 のDCコラム「急がばワシントン」2月27日から転載
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