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「拉致問題」について思ったこと
2002年10月30日(水)
ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦
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ドイツで暮らす私はパソコンで日本のテレビニュースを見ることができるが、普段はあまり見ない。でも今回、私も見た。北朝鮮に拉致された人々が帰国した場面をである。日本で多くの人がテレビの前で感無量、万感胸に迫る思いで見たと思われる。私も同じ気持だった。でもその後、日本社会の反応を知るにつれて、私は違和感をおぼえたり日本らしいと思ったりした。これはいったいどういうことなのであろうか。
●被害者を我が子のように感じる
この点について考えるヒントを、小浜に帰郷された地村保志さんがあたえてくれるように思われる。彼は久しぶり訪れた故郷の町の人々に対するあいさつで次のように述べる。
「、、、帰って来てみて本当にわたしたちの問題というのは、わたしたちの家族の問題じゃなしに日本の国民の皆さん、そしてわたしの育ったこの小浜市民の人たちの、本当の自分の子供の問題のようにして考えて今までそういう運動をしていただいたということを実感して分かるようになりました。、、、」
私が同感したのは「本当の自分の子供の問題のようにして考えて」という表現である。日本社会で自分が置かれた状況を彼がよく把握されていると思われた。
日本社会で拉致事件が問題にされにくかったといわれる。欧米社会で似たような事件が起これば、問題とされ、社会も、また政治的にも、もう少し早い時期で対処していたような気がずる。いやがる人間を連れていくことが悪いのはどこの国でも同じである。おそらく、欧米社会では不法行為に憤慨し被害者に同情し、その結果政治が動くメカニズムが日本と異なり、このとき(例えば人権といった)理屈が大きな役割を演じる。その結果、全体として反応が早くなるのではないのか。
反対に日本社会では、理屈のようなものが介在する程度が弱く、一番強く社会を動かす要因は、事件が我が子に起こったように被害者を身近に感じることで、そうなると私たちにピンときて、同情したり憤慨したりし、いつか政治サイドが動き、例えば立法化や補償が実現する。
拉致事件にもどると、日本で問題にされるようになったのも、拉致された人々を「本当の自分の子供」、我が子のように感ずる人が増えたからである。地村さんがいったのはそういうことである。ところが、日本列島に一億の人々がいて、本当のところ見も知らない他人の事件を我が子に起こったように感じるなど、なかなかできない。そう感じる人々の数がふえるまで、かなりの年月がかかってその間、問題が棚上げにされる。
この点は重要である。おそらく日本社会で市民運動に携わった多くの人は、そんなこと、今にはじまったことでないと、ため息をつくかもしれない。国際的に常識とされ、反対する理屈もないのに日本社会は動かないことがよくあるからである。例えば、ハンセン病患者の強制隔離政策である。こんなことなど60年代のはじめ頃に先進国はやめた。反対する理由もないし、大きなコストが発生するわけでもないのに、この強制隔離政策を定めた「らい予防法」が日本で廃止されたのは1996年である。
このようなメカニズムは日本社会の弱点でもある。というのは我が子に起こったように感じることができない問題も多いし、身近に感じたときには手遅れということもある。
●今日本で起こっていること
この日本社会らしいメカニズムを前提とすると、今起こった現象が理解できるのではないのだろうか。
日本のメディアは故郷に戻られた五人の生存者が何を食べたかを含めて、その一挙一動を報道した。このように彼らと「同じ目線」で見ようとするのも、このメカニズムがはたらいて、私たちが被害者・犠牲者を我が子のように身近な存在に感じたいからである。またそうならないと、私たちが彼らにかかわりをもち、同情したり憤慨したりもすることもできない。日本では、国民の大多数がこのように情動することが「国民感情」と呼ばれる。
欧米にも私的領域に立ち入って報道するセンセーショナリズムを売りも物にするマスコミ媒体があるが、日本の報道は表面的には似ていても、センセーショナルな感じがしない。これもこの日本的メカニズムのためである。
次に、生存者帰国後しばらくして、死亡したとされる拉致被害者の家族が「自分たちの問題」が忘れられのを心配しているという記事が私の眼にふれた。これは欧米人には理解しにくい感情である。というのは、死亡したとされる拉致被害者について家族が抱く疑問の解明は、日本のメディアの生存者についての報道と直接関係ないからである。
この反応も、日本独特のこのメカニズムを考えると理解できる。というのは、「拉致被害者の家族会」の人々にとって、このように報道されることこそ、読者・視聴者(=国民)が拉致された人々を我が子のように思うことで、それが解決に近づくと今まで考えてきたからである。
次の事件は、拉致被害者五人の永住帰国と北朝鮮にいる彼らの家族を日本に呼び寄せる方針を日本政府が決定してしまったことである。これも、日本政府が久しぶり娘や息子に会い、彼らが二度と会えなくなることを心配する被害者家族と視点を同じにすることである。政府は、こうして事件が我が子に起こったよう感じていることを国民に対してデモンストレーションしたので、この日本的メカニズムがはたらいたことでもある。本来政治が「国民感情」を満足させることはよいことであるが、この政府決定は問題があると思う。というのは、理屈があまり介在しないメカニズムがはたらいて生まれた決定で、厄介な問題が考慮されていないからである。
●問題のある日本政府の決定
政府関係者は「、、そもそも5人は(北朝鮮の)国家犯罪による犠牲者であり、北朝鮮との合意を守らなくても国際社会の理解は得られる」と思っているらしいが、これはかなり楽観的すぎる見解である。
私たちは相手が悪人でも合意した以上守らなければいけないと思っているのではないのか。もし守らないなら、はじめから合意する必要がない。このような素朴な倫理観は国際社会でも正しいのである。というのは、国際法では、二国間の合意は、条約や協定ほど重みがないにしても尊重されるべきことになっているからである。次に北朝鮮が「犯罪国家」で、日本が「良い国」であることに国際社会で異論がないにしても、この一般的事実から個別ケースである今回の合議の一方的破棄を正当化するのは論拠として薄弱である。
現在日本に、この拉致事件に関して北朝鮮に「完全な原状回復」を要求する人がいる。確かに、外国が不法に自国民の所有物をこわしたり、あるいは自国領土を占領したりしたら、「完全な原状回復」を要求してもおかしくない。ところが、今問題になっているのは、物でなく人間である。物と人間の区別をおろそかにする主張は、18世紀か19世紀ならいざ知らず、人権とか個人の権利が重視される21世紀の国際社会で表立っていえるセリフでない。下手すると日本政府の人権意識が疑われかねない。
次はこの合意の内容であるが、これは、拉致被害者本人が家族と相談してから居住する場所(北朝鮮、日本、第三国)自分で決めてもらうことになっていて、日本政府もはじめこの立場をとっていた。この相談で重要度からいくと、拉致被害者本人、北朝鮮に住む彼らの家族、日本の家族の順である。次に北朝鮮の家族とは、米国人の男性伴侶と、北朝鮮で生まれ育った子供たちである。そのうち、亡くなられた日本人女性が残した女の子の場合、家族となると、正確には親権者の北朝鮮人の父親と継母とその子供を含むことになる。
この状況で、日本政府が、家族と相談をする機会もあたえず、一方的に彼らの居住場所を決め、それを要求することは、現在の国際社会の慣習に反する。というのは、外国人であろうが日本人であろうが、日本政府は日本国内に居住することは強制できない。そのことは日本政府関係者にもわかっていることで、だから新聞記者に対して「政府が(永住を)決定したので、(本人には)『日本人なんだから従って滞在して下さい』とお願いする」などと奇妙なことをいわなければいけない。
この決定を、ある程度まで正当化するためには、家族同志の相談が不可能になったとか、五人の北朝鮮に居住する家族が危険な状況に陥り保護の必要が生じたとかを、日本政府が証明しなければいけない。どちらの証明は難しいと思われる。
「拉致被害者は洗脳されている」とか「北朝鮮に残した家族が人質で、本人が自由な決断ができない」という理由は俗耳にはいりやすい。でも人質ということを言い出したら、北朝鮮に残された家族から見れば、母親、父親、あるいは伴侶が日本に人質にとられていることになる。
国際社会には世論といったものがあり、そこに価値尺度とか常識のようなものがある。この常識と、日本の「国民感情」の反映というべき日本政府の決定とのギャップの大きさに、正直いって、私は仰天した。日本の拉致被害者とその家族が将来どこの国で暮らすかについて、交渉を通じて、彼らの自由な決断を可能にする条件の合意が可能だったと思われる。
正常化交渉にあたって、北朝鮮だけでなく、国際社会が理解・納得しにくいことを要求し、それを公表することは、不必要に自分の立場を弱め、交渉相手を硬化させ、結局国益をそこなうと私には思われる。
共産主義独裁国は非人間的な体制であった。また国際社会の尺度で不法体制である。だから冷戦時代、ドイツの東側から西に逃げてくる人が跡を絶たず、当時ベルリンの壁ができた。でもこの不法体制下でも幸せに暮らし、その時代を懐かしむ人もたくさんいる。また当時西側から東側に移る人も少数ながらいた。西ドイツ政府もそのような人を邪魔したりしなかった。そんなことをすれば、自分たちの体制が、自由を求めて国境を越えようとする自国民を殺す東側の非人間的独裁体制と同じになってしまうからである。
今回帰国された五人の拉致被害者は、非人間的な北朝鮮の体制下で(少なくと今まで判明した限り、拉致直後は別にして)幸せに暮らされた人々のように思われる。例えば、彼らが、収容所に閉じ込められ、強制労働に従事し虐待されていたわけでもなかった。私たちはこのことこそ、素直によろこぶべきであったのではないのか。死亡された他の拉致者を考えると、ますますその感が強まる。
もしかしたら、私たちがあまりにも北朝鮮を悪い国と思うために、心の片隅のどこかで、拉致被害者が不満をもたず暮らしていたことを素直に受け入れることができない。そんなことを認めたら、北朝鮮不法国家・悪者のイメージがこわれてしまう。もし彼らが北朝鮮に住む選択をしたら日本国家の面子にもかかわる。だからこそ、日本政府は今回の決定をしてしまった。そのように勘ぐることもできる。
彼らは拉致されて自由を奪われ、きびしい運命に遭った人々である。今度こそ自由で自然なかたちで自分たちの暮らす国を選べるようにするべきであった。それなのに、はじめは気にならなかった北朝鮮にいる家族が、北朝鮮に対する猜疑心から、途中で私たちには「人質」に見えるようになり、その結果彼ら自身も祖国で「人質」にされてしまった。これは、本当に残念なことである。
美濃口さんにメールは Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de
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