狼は子羊と、豹は子山羊と共に臥し、仔羊や牡獅子は肥えた家畜と一しょに居て、小さい人間の童に導かれ、牡牛と熊とは同じうつわの食物をとり、熊の子と牛の子が一つところに住む。そして獅子は牛のように藁を食い、人間の乳呑児は毒蛇の住む洞穴の中でたわむれ手をまむしの穴にさし入れて少しも怖れない。こうした平和な世界がいつ来る。――
これは預言者イザヤが夢見た理想の世界です、みなさんはどう思いますか。多分、猛獣が、かよわい家畜と一しょに住んで、人間のこどもに導かれたり、乳呑児が毒蛇の住む穴で平気で遊ぶなどということはありえない――というでしょう。
ところが、サー・フランシス・ガルトンという学者は、こうした夢のような預言者の空想が、実際にあり得るというのですよ。ガルトンの説によると、あのデッカイ鯨でさえ人間の手で飼うことができるし、あざらしやおっとせいも飼育できるといっているのです。あざらしなどは現に北米合衆国のサンフランシスコのオーション・ビーチへ行くと、見ることができます。太平洋の断崖にクリフ・ハウスという建物があって、そこから見ますと、たくさんのあざらしが岩にのぼったり、海に飛びこんだりしているのが手にとるように見えます。
これは禁猟地域として保護しているので、まるで家畜のように人里近い海岸で生活しているのです。おっとせいとなると、玉ころがしのような曲芸をさえ教えこむことができるのです。
しかし、海の動物はとも角、陸の猛獣はそう易々と家畜化することはないだろう――とおっしゃるのですか。では、私が見て来たアメリカのロサンゼルスのライオン・ファーム(ライオン飼育所)の話をしましょう。
ライオン・ファームには200匹からのライオンが飼われていました、ファームの外観は、ライオンの住むアフリカの土人の住居をまねて造られてありました。中へ行くとライオンの吼えるのがものすごく聞こえます。折り柄、夕ぐれで、ライオンはそれぞれ自分の寝る場所へ追いこまれているところでした。見ると園丁のさし出す鉄棒に従って、大小のライオンがすなおに通路を通って、広い昼間の檻から、狭い夜間の檻へと移って行きます。
夜の檻は四畳半ぐらいで2、3頭ずつつめこまれて寝るのですが、檻の中を動き回っているライオンが、じっとうずくまっているライオンの頭の上をまたいでも、オイコラなんて怒るでもなく、悠然としています。
すると突然、一頭が吼えました。同じ檻のライオンはこれに和して吼えました。隣の檻のライオンもまけずに吼えました。狭い檻の中に反響してそれはそれはものすごいのです。同行のM氏がおそるおそる檻に近づきますと、獅子吼がピタッととまってしまいました。「変てこな人間が来たぞ、懐中物に気をつける」といっているようでした。
次いで赤ちゃんライオンの檻の方へ行って見ました。広い運動場に10頭ぐらいのベビーが長い丸太ン棒の上に乗って遊んでいます。まるで猫の子の幼稚園といった情景です。園丁の話では、母乳で育てたライオンと、牛の乳で育てたライオンとでは毛色が違うそうです。事務所の婦人が一頭のベビーライオンを猫の子のように抱いて来ました。
「生後20日目です。牛乳で育てていますが、こんなにおとなしいのですよ」といって背中をなでて見せました。
「背中をなでるだけなら大丈夫です」と婦人がいうので、わたしもそっとなでて見ました。ライオンは、かみつくどころか、却ってわたしたちを猛獣と思って、おそれて啼くのでした。
わたしは、ふと元の上野動物園長黒川さんの奥さんが、生後間もなく母をうしなったベビーライオンを、自分の乳で育てなさったことを思い出しました。黒川夫人は基督教信者で、母をうしなった子獅子をかわいそうに思って、試みに自分の乳房で哺乳して見ようと思い立たれました。子獅子は黒川夫人の乳で丈夫に育ちました。そして離乳期が来ると、ほかのライオンと同じ檻に移されました。
ところが、ほかのライオンと違って人なつっこく、ことに黒川夫人がそばへ行かれますと、さもなつかしそうに、婦人の手をなめ回したり、じゃれたりして、猫か羊のようにやさしいのです。
この話がアメリカの新聞に報道されました。それを読んだのが、このロサンゼルスのライオン・ファームの飼育者でした。彼はさっそく黒川夫人のまねをしてライオンの赤ン坊に人乳をのませ、羊のように柔和なライオンを仕立てて見ようとしました、この試みは見事に成功しました。人乳そのものがライオンを柔和にしたのではありません、乳を与える人間の母の暖かい愛情が猛獣を羊のようにやさしくしたのです。このライオンはプルトーという名を与えられ、人間を害することなどはまるで知らない家畜のような動物となって、人間と一しょに映画にも出演して喝さいを博しました。
こうして百獣の王者も、幼い日から愛の哺育を行えば、猫のように柔和になって、人と親和し、家畜のような存在となることが可能なのです。
ライオン・ファームから程遠からぬところに、オーストリッチ・ファーム(駝鳥飼育所)があって、そこには170匹の駝鳥が飼育されていました。駝鳥は存在する禽類中、最大の鳥ですが、一夫一妻で、生涯、連れ添って離れないといいます。砂漠の砂の中に穴を掘って卵を生むと、昼は夫が、夜は妻がその翼の中で卵をあたためるのです。そのため、雄の羽は砂漠に似た灰色、雌の羽は夜に似た黒色で、外敵から発見されにくいようになっているのも、造化の妙、驚くではありませんか。
ファームにいる駝鳥にはルーズベルトだの、フーバーだの、リンデーだのと有名な人の名がついていましたが、中でもミセス・リンデーは7尺豊かな大女で、世界一の大駝鳥だろうといわれ、一季節に119の卵を生むということでした。駝鳥の卵は人間の赤ン坊の頭ほどあって、しかも石のように堅いのです。
わたしたちは園丁から蜜柑をもらって食べさせましたが、丸呑みで、長い喉を通って胃までおりて行くのが、そのまま外からもわかりました。全くすごい胃袋です。だが、物すごいのは胃袋だけではなく、その足の速いこと、力の強いことも驚くほどで、ファームでは駝鳥に車をひかせて園内を走らせていました。わたしとM氏とはかわるがわるこの「駝車」にのせて貰いましたが、全く馬車同様で愉快でした。砂漠の王者も、全く家畜となったのです。
こうして猛禽や猛獣が、育て方如何によっては柔和になって、平和な動物となるのに人間だけが、戦争を放棄できぬという理屈はないのです。世界の人間がみな赤ン坊の時から、お互いに助け合い、相愛することを実践躬行するなら、世界から戦争をなくすことも必ずしも不可能ではないと思いますが、どうでしょう。
右に記したライオンや駝鳥は、人間に飼育されたとはいっても、飼育所の檻の中で監視されながら育てられたので、イザヤの夢からは遙かに遠いのですが、動物を全く野放しにして、家畜同様にしてあるところのあるのをあなたがたは知っているでしょう。そうです、奈良の鹿などはその適例ですね、奈良には約800頭の鹿がいて、昼は公園や市中を犬のようにぶらぶら歩いては、人から食べものを与えられ、夕方になると、鹿のアパートへ帰って行きます。奈良の鹿は春日明神の神鹿として保護され、もし市民が鹿を殺すと死罪に処せられた時代もありました。
このように宗教的な意味から、一定区域を限って或種の動物の殺生を禁じている例はほかにもあります。伊勢の外宮の森林内に何十万羽という鴨が群生しているのもそれですし、房州勝浦が、日蓮上人の出生地であるところから、地方の人々が殺生をつつしんでいて手をたたくと魚が寄ってくるといわれているのもそれでしょう。また遠く印度では孔雀が同じような意味で保護されているということです。
アメリカの国立公園ヨセミテは氷河の遺跡があるので有名な渓谷ですが、そこに住む熊を保護しているので、われわれは自動車を走らせて行くと、熊が森の中からのこのこと道ばたへ出て来ます。試みに自動車の中からキャンデーを投げてやりますと、うまそうに食べて、あとをくれといわんばかりに自動車のステップへ足をのせて来てしまいます。
人間がいじめさえしなければ、野放しの熊もおとなしくして少しも危害を加えないのです。奈良やヨセミテでは、熊も鹿も家畜と変わりがありません。わたしは、日本でもこうした所をもっとふやして、動物と人間とが相親和できる事実を現示し、人間の世界の平和運動に示唆を与えたいものと思うのです。
こうして動物はガルトンのいったようにどんな猛獣でも飼えることがおわかりになったと思います。ライオンも虎も豹も狼も、人間が愛をもって哺育し補導したら、彼らは戦闘態勢をすてて人間や羊の子と共に臥し共に遊んで、すなおに愛の社会を築くのです、弱肉強食の生存競争のみが生物界の法則ではないのです。
だのに、歯牙も角もなく、鱗もない人間がどうしても戦争のない世界を実現できないのでしょうか。原子の破壊力を発見したほどの人間がどうして互助と友愛によって戦争を放棄できぬのでしょうか。日本は敗戦を機として世界に率先して永遠に戦争を放棄しました、どんなことがあっても再び食人種や首狩人種の真似をしてはなりません。さもなければ、イザヤの予言したように、野獣性をすてて家畜のように人間と親しんでいるライオンや虎から軽蔑され、笑われるでしょう。(『世界国家』1950年2月号から転載)
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