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サマーズ米財務副長官の突然の訪日が意味する不気味な兆候

1998年06月18日(木)
萬晩報主宰 伴 武澄

 6月17日夜、日米政府が久々に為替市場に協調介入し、円安は当面鎮静化した。この日は日本にとって「忘れられない日」になるかもしれない。橋本首相ととクリントン大統領という両大国のトップが為替問題で緊密に連絡を取り合ったなどということは前代未聞である。

 いずれにせよ「円安」が現在の日本の経済の重大な不安材料となっている。1993年もまた未曾有の景気後退期といわれた。本気で日本がアジアに敗れるのではないか考え始めた。5年前の取材ノートを読み返して思い出した。当時はバブル崩壊の初期症状で、いまは末期的症状にある。違っているのは当時は「円高」が不安材料になっていて、いまは「円安」が悪玉となっている点である。

 日本経済にとって円高がいいのか、円安がいいのか、悩むところだ。どちらに進んでも悪いということは円安も円高もまったく景気とかかわりがないほど硬直した経済社会となっている証左である。ともかくこれだけ円安になって逆に物価が下がるということはこの10年、日本は何も変わらなかったに等しい。こうしたことを前提にいくつかの思いが頭をよぎった。

 円高でも円安でも悲鳴を上げた日本

 経済学的にいえば、自国に通貨が高くなることは歓迎すべきことである。外国から見て国民の持っている資産の価値が上がったのだし、輸入品が安くなるのだから消費者は嬉しいはずだった。ところが、数年前まで日本は円高に悲鳴を上げていた。日本の産業が崩壊するとまでいわれた。だが円高で日本は崩壊しなかった。

 5年前、悲鳴を上げていたのはトヨタ自動車とか松下電器産業といった輸出産業だった。つまり輸出産業が悲鳴を上げていたのである。輸入品はそれほど安くならなかったが、海外旅行は確実に安くなった。国民はどちらかといえば円高を享受していたはずである。

 今回の円安でこうした輸出企業は大きな為替差益が転がり込んで国内の不振をカバーしている。企業社会は悪くないときには黙っているものなのである。悲鳴を上げているのは金融関連と不動産、ゼネコンである。新聞の見出しに悲鳴を上げる業界や企業名まで書かないから、多くの読者は日本はずっと不況から抜けきれないでいると考えているかもしれない。だが、95年までとそれ以降とでは不況の中身がぜんぜん違うのである。

 韓国やインドネシアと同じ運命をたどることになる日本

 日米による今回の協調介入は2年10カ月ぶりだ。1995年8月は円高がピークにあったときである。その直前に為替は瞬間的にだが1ドル=79円に突入していた。はじめに「忘れられない日になるかもしれない」と述べた意味はここにある。うがった見方をすれば国際金融資本はもう十分に円安で儲けたことを意味するのかもしれないということだ。

 為替の乱高下のたびに日本の資産は振り回されてきた。これは前山一証券の中堅幹部から聞いた話だが、アジア投資に最初に着目したのは英国で、次いで米国資本が巨額のアジアファンドを組んだ。遅れて日本が出て行ったときには「高値づかみ」を余儀なくされたという。国際金融資本がアジアで十二分に収益を上げたときと、円相場が円高トレンドから円安トレンドに移行する時期とが奇妙にも一致するのである。

 円高で日本産業が国内の空洞化を迫られ、10年かかってようやくアジア投資が一巡したと思ったら、こんどは為替は円高から円安の時代に突入していた。この時期も不思議と一致する。

 これまでアメリカ政府は日本の度重なる協調介入の要請にも関わらず、介入に消極的だった。それがなぜ急きょ方針転換したのか。新聞は「円安が国際金融市場の不安要因になるとアメリカが判断したからだ」と説明するが、原因を作っているのが国際金融資本なのだから説明になっていない。しかも円安防止ごときでアメリカのサマーズ財務副長官が前触れもなく日本に来るはずはない。

 20日にはG7(先進7カ国蔵相・中央銀行総裁会議)代理たちが東京に乗り込んでくる。自分で自分を改革できない日本に厳しい要求を突きつけることになる。まもなく日本は韓国やインドネシアと同じ運命をたどることになる。

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