移民が支える起業家精神1998年06月08日(月)萬晩報主宰 伴 武澄
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萬晩報が「アメリカ礼賛にすぎる」という指摘のメールをたくさんいただいています。「日本には日本のいいところがある」「まねばかりしまくてもいい」といった意見でした。もっともな意見だし、日本を全面否定しようとしているのではない。 筆者は京都に住み、箱庭と紙と木の文化をこよなく愛している。休日の古寺巡礼を趣味とし「日本文化礼賛者」のひとりとして人後に落ちないつもりである。 だが1998年02月27日付萬晩報「 職務に忠実なアメリカの高校カウンセラー」などで主張し続けてきた「大人にも子供にも日常生活に"異なるもの"を受け入れる度量が求められている」という問題提起は、袋小路に追い込まれた日本が活路を見出すための最低限の提言なのだ。
カーネギーもデュポンも元は移民 インテルの創設者であるアンドリュー・グローブはハンガリー出身だし、パソコン製造で一時期、全米有数のベンチャーだったATSは今では韓国のサムスンエレクトロニクス(三星電子)の傘下に入っているものの、元はパキスタンや香港からやってきた学生が創業した企業だ。 サン・マイクロシステムズ、オラクル、シーラスロジック、ラム・リサーチといったハイテク企業も移民エンジニアリングを中心につくられている。シリコンバレーを支えているのは中国人とベトナム人技術者だといわれたこともある。 そもそもアメリカで鉄鋼王と呼ばれたアンドリュー・カーネギーはスコットランドからの移民。ナイロンを発明して化学業界のトップに立つデュポンの創立者であるエルセール・イレネ・デュポンはフランスからの移民だ。フィリップ・モリスなどは会社ごとロンドンから引っ越してきてアメリカという土壌で世界一のたばこ会社にのし上がった。 移民者であっても、アメリカでは大統領以外のあらゆる職種に就ける。オルブライトもキッシンジャーも移民である。言うまでもないが、二代目からは立派なアメリカンである。もちろんアメリカはアングロサクソンが基礎をつくった国家である。政治的には、アングロサクソンでも、経済、特に金融はユダヤが牛耳る。ロンドンやハンブルグ、パリからやってきたいくつかに家系にはいまだに強いシンジケート的つながりがある。彼らは、国際通貨基金(IMF)や連邦準備銀行、財務省に人材を送り込み、影響力を行使してきた。彼らもまた移民だった
幕末の江戸の活力も薩長土肥から移民が生み出した 文化のぶつかり合いが次世代の発想と生み出すと考えれば、いま日本に必要なのは異人種交流である。出会いが衝突を生み、その摩擦熱が社会の温度を上げる。社会の活力にとってこの摩擦熱は不可欠である。 ここで移民と難民との違いを指摘させておかなければならない。政治的、経済的理由で本国を脱出するまでは、母国を捨てるという意味で違いはない。しかし、移民の多くは少なくとも本国で売り払った財産を持って新天地にやってくるのに対して、難民は着の身着のままである。移民は新天地での当座の生活を賄う最低限の資金があり、新天地で成功しようという強い意志がある。この違いは小さくない。 バブル期に日本が労働力不足となり外国人労働の導入の是非が論議された。その時から筆者は、積極的な導入論者である。当時、野村証券の会長だった田淵節也氏はある講演で「アジアの人々からみる日本はハチミツがいっぱいのきれいな花だ。ハチミツにミツバチが集まるのを遮ることはできない」というようなことを話した。考え方にはひどく同感した記憶がある。
日本のやくざだって世界に迷惑をまき散らしている だが反論はいつもこうだった。「犯罪が増えたらどうする」「町ににおいがつく」。「日本人はホワイトカラーが行っているが、日本に来たがっているのはブルーカラーだ」と職業の違いを理由に反対する人も多かった。 筆者はすかさず、反論できる材料を持っていた。「ハワイで日本のやくざがアメリカ社会に迷惑をかけていませんか」「じゃぱゆきさんを日本へ送り込むためフィリピンでやくざが暗躍していませんか」。においの問題では「日本人が住むと家が醤油くさくなるといわれたことだってあるんですよ」。 実は1950年代に、炭坑労働者として多くの日本人が西ドイツに渡り、カリフォルニアには農業研修生と称して少なくない数の日本青年が出稼ぎに行ったのである。 唐の時代の長安や奈良時代の平安京にさかのぼるまでもない。カリフォルニアに国際国家はいつだって多くの国籍や人種の人間でにぎわっていたのである。 |
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