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   世界連邦運動協会高知支部
   

 World Federarist Movement Kochi since 1947.  We are the Peace Expeditors
 

世界連邦運動協会高知支部が誕生したのは1950年。
敬虔なクリスチャンだった中澤薬業の中澤寅吉が、知古の賀川豊彦の呼び掛けにいち早く応えて高知支部を立ち上げました。
高知県でこの運動が始められたのは1950年で、11月25日に世界連邦建設高知県同盟創立総会が開催されています。
全国の支部の中でも高知支部は盛んに運動したようで、
「昭和26年高知、中澤寅吉氏によりバッジ1000個のレコード的注文あり、送る」
「機関誌『国際平和』を定期的に500部の注文がある」などと東京本部の記録にあるそうです。
そして昭和35年には、高知県で初めて香我美町が世界連邦自治体宣言をしています。
続いて高知市をはじめ県下全市が宣言し、昭和39年には高知県も宣言自治体になりました。

初代支部長 中澤寅吉
2代支部長
3代支部長 奥山貫司


中澤薬業と中澤寅吉

寅吉は中澤家の三男として明治21年に生まれた。
中澤家は代々、岸本で「大田屋」という質屋を営んでいたが、祖父が副業に薬種商を始めた。
父源吉の代にその薬屋が本業になり、大阪道修町にまで名が通る薬種商となった。
寅吉は11番目の子供だったが、兄弟が相次いで亡くなり次男の兄と2人が残った。
岸本小学校、城山高等小学校、県立第一中学校と進んだが、耳の病にかかって耳がほとんど聞こえなくなった。
18歳で結婚、19歳の時、家業を兄にまかせ高知に出て米問屋を営んだ。
米問屋の経営は順調だったが、兄の死によって明治43年、薬屋を継ぐこととなった。
そして父が大正5年に没した後重責は寅吉ひとりにかかるようになった。
このころからキリスト教に入信し、自ら禁酒禁煙を断行して熱心な信者となったが、一方商売も繁盛した。
その後大正末期に店舗西隣に「香美キリスト教会」を建設してキリスト教の布教にあたり、
昭和のはじめ、邸宅の一部を改造して「香南幼稚園」、「日曜学校」を開設して岸本、赤岡ならびに近隣町村の児童の教育にあたった。
幼稚園は昭和45年に町役場に引き継がれるまで続いた。
その後中沢薬局は次第に販路を広げ、高知県内のシェアをほとんど独占するようになったため、昭和17年、本店を高知市帯田に移した。
家庭では明治40年、20歳で長男が誕生し以後5人の男子と2人の女子に恵まれた。
長男はブラジルに渡って成功し、次男は大学教授に、三男は親戚の養子に入り、四男が薬局を継ぎ、五男は医師に、六男は別の薬局を開き、それぞれの道を歩んだ。
ところが昭和20年ますます戦況は悪化し、高知大空襲時には片目を失い、次女を(私より一年上)失うという大災難にあった。
戦後は戦争をにくみ平和をもとめて世界連邦運動を始め、また刑余者厚生事業、社会福祉事業などにも尽力した。
それらの功績が認められて、昭和37年には藍綬褒章が授与された。
寅吉は薬業のほか多方面に大活躍して嚇嚇たる業績を残し、昭和40年、78歳でその生涯を閉じた。

天保3年  中澤復治が香美郡岸本村で創業
昭和17年 「中澤寅吉薬輔」高知市に進出し営業開始
昭和22年 「中澤寅吉薬業」本社を高知市本町5丁目に移転
昭和24年 資本金1,500万円で「株式会社中澤薬業株式会社」に商号変更
昭和32年5月 「株式会社中沢巌商店」(高知市蓮池町10)を資本金150万円で設立
昭和37年 「中澤薬業」高知市本町に本社を新築
昭和52年 「中澤薬業」高知市大津に本社を移転新築
平成 7年 香川県の「氏家薬品(株)」と合併し「中澤氏家薬業(株)」と商号変更


世界連邦運動協会高知支部

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