魁け討論 春夏秋冬



協力隊の原点--「ボランティア・スピリット」(6)
   旗印の「 民衆指向」が意味するところ

1999年11月06日
 元中国公使 伴 正一

ご意見
 さあ、話はさらに本質へと進みます。37ページは「4 海外協力活動」です。

 各自が参加の意義をどうとらえているにせよ、すべての隊員が目指している実践行為が海外協力活動 であることにまちがいはない。また、それはすでに述べたように国法のうえで定義をされている。

 そしてそれは、相手の国の経済および社会の発展に協力することを目的としている点で専門家派遣による国際協力事業団の一般 技術協力 と変わるところはない。だが、定義がわざわざ、『地域住民と一体となって行う青年の活動』 であるとして、隊員活動の特質、すなわち 民衆指向 を浮き彫りにしていることはみのがすことのできない重要な点である。

 民衆指向は、協力隊発足以来の旗印であり、象徴的な基本姿勢でもある。『現地住民と一体となって』という法文の表現も、このことを 確認したものにほかならない。

 20年前は理屈っぽかったなあと著者自身が述懐される部分なのですが、伴氏は前記法文の原案起草者でしたし、内容そのものは隊員活動の根幹に触れるものなので、そのまま引用しました。

 さて、伴氏のこの文の続きは、ちょっと意外な展開となるので、なぜ「民衆指向」であらねばならないかを説いている41ページに先回りします。

 民衆レベルに接してみると、その大多数が在来のしきたりと先祖以来の生活リズムで生き続けていくことに、なんの疑念もさしはさんでいないのにまず驚く。そういう人々にとってみれば、協力活動だといって自分たちのリズムを乱されてはかえって迷惑なのである。

 そんな気持ちでいる人々とのあいだに協力の実をあげようとするのだから、事はなかなかはかどらない。思っていた以上の手間と時間がかかるものと肚をきめ、腰をすえてかからざるをえないが、そのさい一番大事なことは、相互の信頼感を培うことだ。

 隊員の協力活動は、信頼感をベースにしてしか成り立たないのだ。そしてその信頼感なるものは協力活動と相まち相平行して深めていくしか築きあげようのないものでもあるのだ。信頼感をかもし出しそれを深める、これは二年を通じて夢寐にも忘れることのない隊員の思いであり、その努力のなかにこそ、協力活動の真髄もあれば人間成長の秘訣もある。

 生活をともにすることは、そしてその過程で彼らの歓びや哀しみを味い、彼らの心情を汲みとることは、協力活動をうわべだけのものでなく血の通ったものにするための要諦なのである。

 そしてそれは、人間革命のプロセスと伴氏は力をこめられるのです。
 「口先でいくら国際化、国際化と言ったって、今のような安っぽい国際主義では日本人の心の中はいつまで経っても、日本は日本、世界は世界で別々だろうと思いますよ。帰国した隊員がデパートに氾濫する商品を見て、派遣された国の貧しさを思い浮かべ、同じこの地上でこれでいいのかなと思う。すぐに回答なんか出るはずはないけれど、これでいいのかなと 考え込む 、その心情ですね」

 こ「れが日本人全体の心情になればもう、常任理事国になろうがなるまいが、日本は立派な、世界のためになる国になれますよ。観光客という形でいくら世界中を回ったってそんな感覚は生まれません」

 「一緒にバンブーダンスを踊って、言葉がわからなくても心は通じるなんていい気になってる。そんなことで満足してしまいやすいのが、イベント型の国際交流。これじゃとてもじゃないが、本物にはほど遠い」

 「そこへくると協力隊というのは重みが違ってくるんだ。何といったって2年も住むんですからね。2年も住めば日本へ帰った途端には『これでいいのか』と、ほとんどの隊員が思うでしょう」

 「8割は1年か2年で忘れちゃうでしょうけど、1割2割はもっと長く思い続けるでしようね。こういう人たちがさらにずっと思い続けて、これからの日本のオピニオンリーダーに成長してくれたらなあというのが私の切なる願いなんです」。

 民衆指向には、帰国後をも見通した遠大な構想すら期待されているということです。しかし、民衆指向はあくまで目標です。さてここで38ページの「気の遠くなるような挑戦」に戻ります。民衆指向がいかにむずかしいかの話です。
 そもそも 遅れている といわれる開発途上国のどこがどう遅れていて、発展のための最大の隘路はどこにあるのか、という点について簡単にふれておく必要がある。

 途上国におしなべて技術がないといいきることは危険なことだ。真相はむしろ、国としてはかなり高度な技術を持っていながら、それが少数のエリートの手に握られている。

 逆にいうと、このエリートたちを 下支えする中堅層が育っておらず、底辺の民衆に至っては、その水準が救いがたいほどの低さにあるということであろう。

 それにはいろいろな歴史的背景があるであろうが、要は潜在的な意味での中堅層以下に向かって技術を伝えようとする意欲がその国のエリートたちに乏しく、また、中堅層以下の側 にも技術を吸いとろうとする意欲と基礎能力が欠如していることに原因していると思われる。

 隊員が対象として協力活動の目標にしているのは、まさにこの不伝導体の部分―中堅層以下―なのであって、このことがある意味では若者の情熱をかき立てる要因になっているという一面もある。

 しかしこのことは、いざ実践となると気の遠くなるほど困難なことで、協力隊を青年のものであるとしていることも、現地生活費(海外手当)の抑制その他の面でストイシズムを貫いていることも、一にかかってこの民衆指向路線上に横たわる困難を想定したうえでのことにほかならない。

 (しかし)隊員の側にも、たとえば胃腸の強度にかなりの格差がある。したがって、モットーとしては 相手国の人々と生活をともに といっても、実は、外的諸条件や自分の抵抗力を考えながら可能なところまで生活水準を下げろという意味なのである。

 低い生活水準に耐えるうえで、体の抵抗力に劣らず重要なことは心の持ち方―意志の力―である。住民の食べている物を食べるのだ、という意志。その意志を支える体の抵抗力を維持するために規則正しい生活を送る意志がなくてはならないのである。

 伴氏はここで「ちょっと無理な注文だったかな」と自問されます。

  医療果つる地では自分の体は自分で守る心構えが必要だが、大多数の隊員の持ち味である鷹揚さを損なっては、というわけなのです。次回は伴氏が隊員によせる「高望み」を開陳していただきます。


 月刊「クロスロード」連載「伴 正一著『ボランティア・スピリット』を著者と共に読み解く」(本誌・斎藤儀子)から転載
1999年12月11日 (7)−「自分がこの国の為政者だったら」という視点
1999年11月06日 (6)−旗印の「民衆指向」が意味するところ
1999年09月03日 (5)−10年後に本当に分かる隊員だったことの意味
1999年08月13日 (4)−人のために役立ちたい
1999年07月26日 (3)−隊員は一匹狼であるべきか否か
1999年06月30日 (2)−現地の人々が隊員の活躍ぶりをせせら笑うとき
1999年06月18日 (1)−協力隊の原点--「ボランティア・スピリット」

 感想、ご意見をお待ちしています

お名前 

感 想 



© 1999 I House. All rights reserved.