温顔英知の闘士S・C・ボース
陸軍大尉・インド国民軍特務隊及び情報隊指導将校 村田克己
スバス・チャンドラ・ボース氏の名をはじめて深く印象づけられたのは、彼の著書「インドの闘争」(Indian Struggle)を読んでからである。一九四二年頃、私が大東亜戦争の意義を植民地解放と民族独立の闘いに求めて、盛んに植民地の民族運動の歴史を読んでいた頃である。
この著書の中でボース氏は、インドの聖雄と呼ばれたガンジーに対して「英国の恐るべき敵たるとともに、英国の最もよき警官になった」と痛罵し、ネールに対しても忌憚ない批判を浴びせていた。その急進的、熱情的な態度がきわめて印象深かった。
一九四三年暮、私はインド国民軍特務隊及び情報隊の連絡将校(Liason Officer)となったが、しばしばボース氏の熱烈な演説を見たり聞いたりするに及んで、激しい革命の志士ぶりに、英雄とはかくのごときものかと感嘆した。たまたまインパール作戦発起の前夜、インド国民軍最高司令官のボース閣下に招かれ食事を共にして私を激励されたことがあった。向い合って間近に見るボース氏は、私の先入観念と違って、まったく温顔英知の学者肌の人物であった。
ボース閣下は、歴史、風俗、生活様式の違う異民族と共に生活する私の苦労に感謝の意を述べられて、「アジア民族解放のため、一層の努力を期待したい」と激励し、「大学で何を専攻したか」とか、「インドの事情について研究したことがあるか」とか、いろいろ質問された。
最後に、困った事があれば言ってくれ」ということだった。私は「素直に言って、日本の給食はインド人の嗜好に合わないために困る」と、特に牛肉の問題を出したところ、ボース氏は「インド独立が達成されなければ、インド人の幸福は勝ち取れない神もインド独立のためならば牛を食うことすら許される。ネタジは、インド独立のためにはスキヤキも食っている。ネタジが許すから、何でも食うように言ってほしい」と述べられた。独立の達成に一生を捧げ、インドの独立を至上命令とする英雄の昂然たる気迫が伝わってきた。
インパールの戦いに敗れて敗走千里、一九四五年四月二十四日、ビルマ方面軍司令部は急にモールメンに退却した。このころ私は光機関から整理されて軍指令部にいたが、四月二十六日夜、ラングーンを発ってモールメンに向かった。
この退却行の途中ワウ附近でインド国民軍婦人部隊(ラニ・オブ・ジャンシー連隊)と共に退却していくボース氏に逢った。雨の中を、ボース氏は兵隊と共にトラックの後押し、荷物の揚げ降ろしをしたりして退却していった。昨日までのインド国民軍最高司令官ボース氏が、今日はあわてふためく日本軍の無秩序な退却行の中で揉みくちゃにされているのを見て、私は思わず「ボース閣下、ご期待に添い得ず残念でした。ご健闘を祈ります」と声をつまらせ、思わず涙した。明治十年の敗将西郷南洲を想い出させられたのだ。
ボース氏は私の感傷を叱咤するかのように、「勝利の日まで闘争だ!ジャイ・ヒンド」と、悲痛な叫びをされた。満々たる闘志、いかなる局面にいてもくじけぬ闘志に、私は深く心うたれるものがあった。忘れ得ぬ光景である。
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