第四章 スバス・チャンドラ・ボース・アカデミーの創立と活動

 アカデミーの発足の経緯 橋本洋

 同じ国民会議派で独立運動に従事したにもかかわらず、ガンジー、ネルーとたもとを分かち、国外に脱出して武力闘争を展開する道を選んだネタジの遺骨が、半世紀も日本に置かれたままであることは、インド国内の複雑な事情によるものだが、その間ネタジの霊を慰め、遺骨を守ったのは、異国の志士を暖かく迎え入れていただいた蓮光寺の二代のご住職のご協力を得たスバス・チャンドラ・ボース・アカデミーのメンバーであった。ネタジの永代供養にあたり、アカデミーの活動をここに記しておくことは、メンバーひとりひとりのインドとネタジに寄せる思いの幾分かを示し、これまでの関係者に対する感謝の念を表わすためである。
 「活動の記録」を章末に付し、事跡を知る一助とした。

 昨年十月、スバス・チャンドラ・ボース氏の甥にあたるアミヤナツ・ボース氏来日せられ、ネタジと関係の深かった元ビルマ方面軍司令官河辺正三氏に面会を求められました。そこで一席を設けられて懇談することになりました。その席に岩畔豪雄氏、片倉衷氏、大坪覚次氏と私の四名も列席しました。
 アミヤナツ・ボース氏の面会中し込みの目的は、カルカッタにサラト・ボース・アカデミーが発足し、その事業の一端としてネタジに関する記録を集め、これを広く刊行したい。就いては日本でネタジと関係の深かった人々より資料と写真を集めてほしい、というにありました。
 河辺氏はかねてよりネタジの人格を追慕し、各関係者より多数の資料を集め、これを要約した「チャンドラ・ホースと日本」という本を、外務省を通じて出しておられたので、その本を贈呈し、また出来得る限りの写真を集めて送られました。
 その席でアミヤナツ・ボース氏は、日本にもインドのサラト・ボース・アカデミーと類似したアカデミーが発足し、日印間の精神的、文化的提携が出来ればこれほど慶ばしいことはない。もし日本側にそういう意向があるならば、一月二十三日がネタジの誕生日に当るので、その日に発足してほしいとの希望を述べられました。一同はこれに賛意を現しました。アミヤナツ・ボース氏は滞日間、ネタジと関係のあった方々と逢われました。そのお世話の一切をされたのが江守喜久子夫人であります。夫人は終戦時、連合軍の占領に伴い、南方留学生の処置に対し不安な風評が飛んだとき、印度留学生四十四名を引き取り、その世話をやりながら無事印度に送り還され、現在に於いても印度の留学生の面倒を見ておられる方であります。そういう関係からアミヤナツ・ボース氏も印度に帰られた後もしばしば手紙を寄せられ、予定通り一月二十三日にネタジを偲ぶ会を催す運びとなり、「スバス・チャンドラ・ボース・アカデミー」の発足を見るに至ったのであります。この日集まったものは日印関係者約五十名であります。
 現在ネタジの御遺骨は蓮光寺に奉安されてあります。ネール首相の訪日のみぎり蓮光寺に参詣さ
れ、帰国後、蓮光寺住職、望月教栄師宛て印度政府の正式の書面が届けられ、ネタジの遺骨を印度に迎えるに当り、蓮光寺の意向を承りたいとありました。ネタジの御遺骨は日本としましては単に蓮光寺の行為に甘えておくべきではなく、日本政府の責任に於いて鄭重に管理し、印度よりの要望のあった節には日本政府よりお送りすべきであるとの意向が高まり、現在国会議員高岡大輔氏の奔走をお願いしている次第であります。
 最近寄せられましたアミヤナツ・ホース氏の手紙の一節をここに紹介します。これによって本会に寄せられる印度側の期待も自ら了解せらるることと存じます。
 一々参上して御了解を受け、また御意向、御意見を承らねばならないのでありますが、取敢えず書面を以て貴意を得たく存じます。
三月五日 世話人 橋木洋
 アミアナツ・ボース氏書簡の一節
 我々は、日本の「スバス・チャンドラ・ボース・アカデミー」は、カルカッタの「サラト・ボー
ス・アカデミー」と連合すべきであると思います。この連合が成立したならば、この二つの会は協同して作業を行う立場になるでしょう。その参考のために、「サラト・ボース・アカデミー」の会則の摘要を封入しました。
 この会則の第十条のAに、ある公共機関が、我々のアカデミーの会員になることが出来ることを示しています。「スバス・チャンドラ・ボース・アカデミー」が「サラト・ボース・アカデミー」の賛助会員になられることは、好い考えであると思います、もし「スバス・チャンドラボ・スーアカデミ


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