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国民の目が日本にフォーカスされていた時代

1998年03月30日(月)
萬晩報主宰 伴 武澄

●日本はいつの間にかワン・オブ・ゼム
 日本とアジアを語るうえでこの10年間の最大の変化は、アジアの人々がもはや日本を仰ぎ見る存在として見なくなったことである。フィリピンのJETRO(日本貿易振興会)に当たるフィリピンの国際貿易公社(PITC)の日本支社長のクリスチン・クナナンさんは語る。

 「かつてフィリピンにとって資金や技術で協力してくれるのは日本以外になかったのです。国民の目が日本にフォーカスされていたといっていいでしょう。ところがフィリピン経済がアジアの成長トレンドに乗るようになって多くの国から投資が来るようになりました。協力相手はシンガポールであり、香港もある。中国だってベトナムだって相手になってくれる。日本はいつの間にかワン・オブ・ゼムになってしまったのです」

 この十数年の変化は恐ろしく速い。そもそもアジアのエリート層はみな、欧米の一流大学や大学院を卒業し、英語での生活が日常化している。もしかしたら意識の半分はアジア人でないのかもしれない。そうしたアジアの若いエリート層が日本を見る目は欧米人のそれと極めて近い。昨年来の通貨暴落でアジア経済は疲弊しているが、日本は助ける力を失っている。経済力だけが日本とアジアをつなぐ絆だったのだとしたら寂しいことだ。

●毎年迎える10万人留学生が財産
 アジアの学生が希望する留学先はアメリカのほか英国など旧植民地の宗主国の比率が極めて高い。日本は二番手、三番手である。第一の理由は言語だろう。日本語だと一から勉強する必要があり、仮にマスターしても現地の日本法人で取り立てられるのが関の山。しかし、英語ならば全世界を相手にビジネスチャンスが広がる。

 でもそれだけではないだろう。日本に留学した経験を持つ先輩らから伝わる日本のイメージが決してよくないことにもそもそもの遠因であるような気がしてならない。欧米社会では留学先での就職に対して寛容であるのに対して、日本では大学を卒業しても日本企業の門戸は非常に狭い。さらに日本での住宅事情の悪さを考えれば、仮に日本留学を体験したアジア人がいたとしても「好意」を抱いて帰国するケースは稀だ。

 これは日本がアジア人を日本列島から排除し続けてきた結果である。中曽根首相は1980年代半ばに訪中し、胡耀邦総書記との間で「留学生10万人プロジェクト」を華々しく打ち上げた。日本への留学生が1万人程度しかいなかった時代である。若者の交流こそが将来の二国関係を築くという発想は非常に前向きだったが、政策がついてこなかった。

 あるアメリカの外交官が語った自慢話を思い起こした。「アメリカは毎年10万人を超える留学生を迎えている。20年ならば200万人だ。アメリカに好意を抱いてくれる外国人が全世界に数百万人いると考えられている。これこそがアメリカ外交の神髄だ」

●外国人に対する寛容の精神の不足
 アジアの日本離れは決して言葉だけの問題ではない。過去の歴史でもない。外国人に対する寛容の精神が不足し、外国人の才能を日本社会に取り込もうとする意欲が決定的に欠如しているからだ。平均すれば、アジア諸国の経済は日本より遅れているかもしれないが、新卒の日本の学生がアジアの新卒生より優れているといえる要素は一つもない。社会人一年生というレベルではまったく変わらないはずだ。アメリカ帰りの留学生がアジア経済の中枢を支えているという現実を振り返るだけで日本社会がアジア人を取り込まない不条理を理解できるはずだ。

 今週ロンドンで開く予定のアジア欧州会議(ASEM)で英国が提唱している「ASEM基金」がアジア人ジャーナリストの関心を呼んでおり、日本の影がますます薄くなっているという。日本が経済運営に四苦八苦していて有効なアジア支援策を打ち出せないでいるからだと30日付日経新聞夕刊は報告している。アジアを重視していたはずの日本はお金でも影の薄い存在になるのだろうか。

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