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日本の現代の寓話がアメリカに上陸した日
2004年08月23日(月)
萬晩報通信員 土屋 直
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庭に子供が産まれたことを記念して苗木を植える。少年の成長とともに、その苗木は枝葉を付けやがて一人前の樹木となってゆく。青年になった少年は、縁側から見事に緑の葉を繁茂させた樹木を眺めながら、両親と木にまつわる思い出を語る。家族は青年とともに成長した木を媒介として、物語をつむぎあい、その物語によって、親子の絆はより固く強い結束で結ばれることになる。
文化とは本来、こうやって形成されてゆくものではなかろうか。人類学者のレビ・ストロースは、親族関係や神話などの文化的所産の根底にある無意識の構造の中に文化が存在することを指摘しているが、それならば、現実から離れた虚構性の中にリアリティを求めて、小説を書き続ける村上春樹氏は、現代の寓話の創り手といえる。
「ノルウェイの森」などの、村上氏の小説は三百万部を超えるベストセラーとなり、70年前後の激しい学生運動の時代に青春を過ごした団塊の世代の感性を色濃く映し出す一連の小説群は社会現象となり、日本の現代社会が生み出した文化的な所産となっている。
そんな村上氏の作品「TVピープル」が、「ニューヨーカー」の1990年9月10日号に掲載されたのは、私にとって衝撃的な出来事であった。
「ニューヨーカー」は、創刊以来「明るさと粋と洗練された諷刺精神」を主調に首都生活を描いてきた雑誌で、アメリカ人にとって「ニューヨーカー」とは永い間守り続けてきた宝物のような国民雑誌(ナショナル・マガジン)であり、WASPの飛び地とも呼ばれていた。
また、「ニューヨーカー」は、文学界で最高の権威をもつ雑誌であり、人嫌いで知られ隠遁生活をおくっていた、J・D・サリンジャーも毎週電話で「ニューヨーカー」を読むよろこびを編集長ウィリアム・ショーンと語っていたし、ソール・ベーローは他誌から受取る稿料よりも少ない稿料で「ニューヨーカー」に寄稿した。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』、トルーマン・カポーティの『冷血』、チャールズ・ライシュの『緑色革命』も「ニューヨーカー」から生み出された作品である。
アメリカに日本作品を受け入れる素地が出来、「ニューヨーカー」のようなアメリカの雑誌に日本人の現代小説が掲載されたということが、当時の私にとって非常な驚きであった。
「ニューヨーカー」編集部によれば、六十五年の歴史を持つ同誌が日本人作家の作品を掲載したのは「ハツミ・レイコ」さん以来、40年ぶりだという。
もっとも、この私の衝撃は遅いものであったのかもしれない。なぜなら、既に村上氏は1989年10月末に米国で『羊をめぐる冒険』の英訳本を講談社インターナショナル社から初版二万五千部を出版しており、日本人作家の「三千から五千部が普通」という従来の常識を打ち破っていた。さらに、発売日以前に第二刷三千部の増刷が決まるなど、日本人作家としては異例の驚異的な売上の記録を更新していた。
ニューヨーク・タイムズ紙は、村上氏の『羊をめぐる冒険』を1989年10月21日号の書評ページのトップで取り上げ、「国際的な創作の分野における力強い新たな前進」であり、「汎太平洋小説」と呼んでよいと評価し、「太平洋のこちら側の読者にも認められるべき才能」として絶賛している。
われわれは1995年にドジャースの野茂投手がメージャー・リーグで初勝利を挙げたのと同様に、村上氏の「ニューヨーカー」掲載の快挙を日米文学交流の偉大な功績としてもっと記憶にとどめるべきではないだろうか。
□ 参考文献 ;
『朝日新聞 縮小版 1989年11月号』(国立国会図書館・関西館蔵)
『朝日新聞 縮小版 1990年9月号』(国立国会図書館・関西館蔵)
『毎日新聞 CD−ROM版 1992年版』(国立国会図書館・関西館蔵)
『「ニューヨーカー」の時代』(常盤新平著;白水社)
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