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ビッグ・リンカー達の宴2−最新日本政財界地図(6)

2004年07月05日(月)
萬晩報通信員 園田 義明

            ★★★★★お知らせ★★★★★
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            ★★★★★★★★★★★★★★

 ■ロックフェラー家と盛田家

 盛田昭夫は愛知県小鈴谷村の300年も続く造り酒屋の名家盛田家の15代目当主であり、その夫人盛田良子も大手書店「三省堂書店」を経営する亀井豊治の四女であった。夫婦共にエスタブリッシュメントの血を引くものの、当時世界を代表する財閥であったロックフェラー家やモルガン家とは明らかに格の違いがある。それにもかかわらず彼らのサークルに招かれた理由を探って行きながら、日本の現代史におけるキリスト教人脈を明らかにしたい。

 このキリスト教人脈を説き明かす鍵も「盛田・ロックフェラー対談」にあった。読売新聞は1991年12月3日付の「盛田・ロックフェラー対談」を一冊の本にまとめた「21世紀に向けて」を92年12月に出版している。この中でロックフェラー家と盛田家の出会いを「妻と私は、あなたのご家族とはちょっと変わったつながりを持っておりまして、妻は(ジョン三世夫人の)ブランチェット・ロックフェラーさんとは非常に親しくさせていただいています。」と発言している。実際デビッド・ロックフェラーの日本初訪問は62年であり、それまではデビッドの実兄であるジョン・D・ロックフェラー三世とその妻ブランチェット・フェリー・フッカー・ロックフェラーが日本と米国とのパイプ役を務めていた。

 このジョン・D・ロックフェラー三世(1906?1978)に関わる日本人を丹念に調べていくと戦前・戦後のキリスト教人脈がはっきりと浮かび上がる。彼らは英語力を武器に戦後日本企業史に名を残すソニーの原点はおろか、そのネットワークが保守本流、財界、そして天皇家まで及んでいることがわかる。

 ■「第二世代キリスト教人脈」と吉田茂

 ここで簡単に整理してみたい。昭和後期から現在に至る山本正、緒方貞子、小林陽太郎らの国際派カトリック人脈を中心とするキリスト教人脈を「第三世代キリスト教人脈」と位置付けることにしよう。第三世代はデビッド・ロックフェラー主導のもとで1972年の設立準備会を経て翌73年に設立されたトライラテラル・コミッションの現在の中核を担うメンバーである。そしてこのトライラテラル・コミッションのメンバーの多くが世界的なビッグ・リンカーとなっており、小林に代表される世界規模の日本人ビッグ・リンカーを生み出した。

 「第二世代キリスト教人脈」を戦後の昭和期に活躍した人物と位置付け、前回取り上げた石坂泰三(元東京芝浦電機会長)、そして戦後を支えた名宰相の誉れ高い吉田茂(1878?1967)もここに含まれることになる。

 「陰の総理」と言われたと石坂はすでに触れたとおり、石坂本人もキリスト教への関心が深く、戦死した次男泰介はカトリック信者だった。泰介との天国での再会を願った石坂の妻雪子もカトリックを信じ、「マリア」の洗礼名を授かっていた。「雪子のところへ行きたい」と本音を語った石坂の晩年にはカトリックの洗礼名「ペドロ」が用意されていた。

 吉田茂の妻は大久保利通の二男で文相、外相などを歴任した牧野伸顕の長女雪子である。従って石坂の妻と同じ名前であった。石坂同様、雪子の影響でカトリックに興味を持った吉田も最後の病床でカトリックに帰依して、自分を「天国泥棒」だというジョークを吐いてこの世を去っている。吉田の葬儀は故人の信仰に従ったカトリック教会(文京区関口の東京カテドラル聖マリア大聖堂)での葬儀と東京・日本武道館で行われた戦後初の国葬とに分けられた。この吉田のカトリックへの改宗はその子供達によって政界と天皇家に拡がりながら、第三世代へと引き継がれることになる。

 吉田の三女和子は麻生セメント社長や自民党代議士を務めた麻生太賀吉と結婚している。その長男が現在の総務大臣、麻生太郎である。つまり麻生太郎は吉田茂の孫にあたる。拙著「最新・アメリカの政治地図」(講談社新書)でも書いたとおり、麻生太郎もカトリックである。96年3月15日に和子は亡くなっているが、ミサ・告別式は父吉田茂と同じ東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた。麻生太郎の妹である信子(三女)は三笠宮寛仁親王殿下と結婚されており、三笠宮寛仁親王妃殿下(信子さま)もカトリックではないかと思われる。

 この麻生太郎は米国の昨今のイラク戦争におけるキリスト教右派やネオコンまではいかないまでも、理想主義からくる暴走傾向が見られる。これもキリスト教人脈の特徴として認識しておく必要があるだろう。

 吉田茂や石坂泰三の周辺で第三世代の山本正と同じようにフィクサー的な存在として日米における民間レベルのパイプ役を担った人物がいる。山本正の先輩格にあたるこの松本重治(1899?1989)について詳しく見ていきたい。

 ■松本重治の橋渡し人生

 松本重治は太平洋戦争を阻止できなかった反省から、「宿屋(国際文化会館)のオヤジ」を自認し、民間レベルでの日米の懸け橋となってきた。「国際日本の将来を考えて」(朝日新聞社)では松本を「明治の気質」と「平和憲法の精神」とを兼ね備えた無形文化財と評し、松本を形作るイメージとして、進取の気性、不屈の闘志、教育重視、博愛主義、愛国心、人生意気に感ずる男気、民主主義、自由主義、平和主義、性善説、国際協調、文化国家などをあげている。実際には「現実をふまえて物言うキリスト教的理想主義者」あるいは、「戦後リベラリスト本流」などが似合っているかもしれない。

 松本重治は1899年に松本松蔵の長男として大阪に生まれる。明治時代に銀行、現在の南海電鉄などを興した関西財界の松本重太郎の孫にあたる。妻花子は明治の元勲、松方正義公の孫で、松方コレクションで有名な松方幸次郎の娘である。松本はエドウィン・ライシャワー元駐日大使とも家族ぐるみでつきあっていたが、ライシャワーの妻松方ハルは松本のいとこにあたる。

 松本は東京帝大法学部卒業後、米エール大学をはじめとする欧米の大学に留学し、帰国後は東大の高木八尺教授(米国憲法)の助手に就任する。1925年に太平洋会議などの国際会議の裏方を務めたあと、32年に同盟通信社の前身である新聞連合社の上海支局長となり、中国人要人、「中国の赤い星」の著者エドガー・スノーらと交遊を深めた。この時には日本軍に父張作霖を爆殺された張学良が蒋介石を監禁し、国共合作の契機となった西安事件を36年にスクープしている。39年に帰国し、終戦まで同盟通信社編集局長や同社常務理事を務め、戦後は公職追放処分となった。

 その後、松本は「宿屋(文化会館)のオヤジ」の拠点となる財団法人「国際文化会館」を設立し、ソ連封じ込めのジョージ・ケナン、インドのネール元首相、歴史学者アーノルド・トインビー、キッシンジャー元米国務長官らを招き、文化交流に努めた。 

 この松本が亡くなったのは1989年1月10日である。その二日後の1月12日、東京都世田谷区にある日本聖公会の東京聖三一教会で松本の密葬が行われている。東京聖三一教会が属する聖公会はローマ・カトリックとプロテスタントの中間に位置し、両者の橋渡しの教会(ブリッジ・チャーチ)と呼ばれている。聖公会は松本の人生そのものを映し出していた。

 ■アメリカン・アセンブリーでの命がけのスピーチ

 松本の密葬に集まった約350名の中には中山泰平(日本興業銀行特別顧問、以下当時)、柏木雄介(東京銀行会長)や池田芳蔵(NHK会長)などとともに、わざわざ米国から駆けつけたジョン・D・ロックフェラー四世(ジェイ・ロックフェラー)の姿もあった。

 現在、ジェイはウエストバージニア州選出の大物上院議員(民主党)として、イラク戦争の大義、そしてイラク人虐待問題をめぐってブッシュ政権を激しく追求している。ジェイは知日派として知られており、ハーバード大学卒業後の57年から60年の3年間を東京三鷹にある国際基督教大学に留学している。また、強い要請によってトヨタのウエストバージニア工場(TMMWV)の誘致を実現させたことでも知られている。

 ジェイの国際基督教大学の留学に際し、保証人になったのが松本であった。そして、ジェイの父、ジョン・D・ロックフェラー三世と松本重治とは誰もが認める親友同士であった。

 ここで現在につながる松本のエピソードを紹介しておきたい。松本は当初からベトナム戦争に反対し、米国外交最大の失敗と語っている。そして、外務省の参与でありながらも周囲の反対を押し切り、「中央公論」や「ニューヨーク・タイムズ」に米国批判の記事も掲載している。一部から反米家とのレッテルを貼られながらも、米国を愛すればこそ勇気を持って発言したのである。

 松本は当時のことを振り返って、健康上の問題と国際文化会館がつぶされる心配から、まさに命がけだったと告白している。そして北爆が始まった1965年に命をかけて米国に乗り込み、スタンフォード、バークレー、ハーバード、プリンストンなどの大学を回って、米国批判の講演を行った。中でも1965年10月にアーデン・ハウスで開かれた第二十八回アメリカン・アセンブリーに招かれて講演したことは日米関係史に残る出来事だったかもしれない。この時の概括的テーマは「日米関係」であった。

 アメリカン・アセンブリーはコロンビア大学の付属独立機関として1950年に後に大統領となるアイゼンハワーらによって設立されている。会合場所となるアーデン・ハウスはニューヨーク市北方の広大な丘陵地の山の上にあり、もともとは鉄道王W・アヴレル・ハリマンの別荘であった。ハリマンはこの別荘をコロンビア大学に寄付し、現在は80人程度が宿泊できるように増築されている。会議は年に一度もしくは二度開催され、米国の公共問題について大物知識人が数日間缶詰となりながら討論を行い、時には米大統領への提言としてまとめられる。最近では対中国政策などが盛んに話し合われているが、現在のアメリカン・アセンブリーの理事長はリチャード・W・フィッシャーが務め、理事会にはポール・ボルカーの名前もある。リチャード・W・フィッシャーはキッシンジャー元国務長官とクリントン時代の大統領首席補佐官を務めたマック・マクラーティが1999年に共同設立したキッシンジャー・マクラーティ・アソシエイツの副会長であり、トライラテラル・コミッションのメンバーでもある。

 このアメリカン・アセンブリーに乗り込んだ松本は国務省高官、言論界の代表、大物財界人を前に「日米関係が過去数ヶ月の間のような緊張状態にあるのは戦後初めてのことだ」と指摘し、次のような直言を行っている。

一、戦後の日本国民のなかには、アメリカ人の想像する以上に、反戦感情が根強く心の底にしみこんでいる。なぜ半数以上の日本人がベトナム戦争に批判的かを知るには、この戦争反対の感情を理解する必要がある。(中略)もしアメリカ政府が、日本の保守党政府が世論を無視して望むがままのことをなし得ると考えるなら、それは重大な誤りである。ベトナム戦争がこのような状態で長引けば、日米関係は深刻な危機に直面するだろう。

一、ベトナム戦争は、結局中国問題の一部である。アメリカと中国との間にある日本は対中関係の好転を・・・それをむずかしいものと知りながら、期待せざるを得ない。日本はアメリカとの友好を望むとともに、隣国である中国との正常な関わりを望んでいる。

一、私は自由主義者であり、日本の共産化には強く反対するものであるが、日本の民主主義国家としての発展、アメリカとの友好関係の永続のため、アメリカと中国との激突を恐れる。私はアメリカ国民が中国問題について反省し、考え直されることを切望する。ベトナム戦争のために日米の友好が失われてはならない。

(以上、「国際日本の将来を考えて」(朝日新聞社)P72、73より)

 ベトナム戦争をイラク戦争に置き換えれば松本の想いは現在に蘇ることになる。

 アメリカン・アセンブリーの影響力については、この時にキー・スピーチを行った人物からも理解できる。初日のスピーカーは後にシティー・バンクの会長となるウォルター・リストン、最終日三日目はCIAから当時国務省極東担当次官補(ジョンソン政権)となっていたウィリアム・バンディである。ウィリアム・バンディはケネディ、ジョンソン両元大統領の国家安全保障問題担当補佐官を務めたマクジョージ・バンディの実兄であり、後にフォーリン・アフェアーズ誌の編集長になっている。そして松本のスピーチは二日目に行われた。

 なおこの第二十八回アメリカン・アセンブリーで日米関係が初めて取り上げられたことが、二年後の下田会議開催のきっかけをつくったのである。下田会議はアメリカン・アセンブリーのフォローアップという位置付けだった。下田会議が山本正の率いる日本国際交流センターとアメリカン・アセンブリーの共催となっていたのもこのためである。

 従って、山本正は松本なくして存在しなかったといっても過言ではないだろう。松本は命をかけて米国に向かった。はたして山本正はイラク戦争に関して行動を起こしたのだろうか。

 アメリカン・アセンブリーに挑む松本に対して保守派として知られたロックフェラー三世(アメリカン・アセンブリーには風邪のために欠席できなかった)は「君の考えはだいたいつねづね承知している。君の考えどおりに素直にやってください。日米関係のためになると信じているからね」と激励している。

 はたして現在の日本政府関係者や「第三世代キリスト教人脈」、そして「小泉純一郎首相を囲む会」の中に米国の有力者との深い友情に支えられて、時には批判であっても発言が許される人物はいるのだろうか。

 軽々しい親米・反米論争や親中・反中論争が飛び交う今、我々は先人達の生き様を学ぶ必要があるのではないだろうか。

□引用・参考

21世紀に向けて D・ロックフェラー、盛田 昭夫、読売新聞社編
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4643921188/qid
=1088221488/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/249-0496222-6057134


国際日本の将来を考えて 松本 重治 (著) 朝日新聞社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022558156/qid
=1088824742/sr=1-1/ref=sr_1_8_1/249-0496222-6057134


国際関係の中の日米関係?松本重治時論集 松本重治 (著) 中央公論社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4120021300/qid
=1088824742/sr=1-2/ref=sr_1_8_2/249-0496222-6057134


昭和史への一証言 松本 重治 (著) 毎日新聞社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4620305286/qid
=1088824742/sr=1-6/ref=sr_1_8_6/249-0496222-6057134


アメリカン・アセンブリー
http://www.columbia.edu/cu/amassembly/

 園田さんにメール mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp

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