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「小三通」と中台関係

2004年06月06日(日)
京都大学経済学研究科教授 大西 広


 5月末から6月初めにかけて台湾で二つの国際会議があったが、その合間に「小三通」という特殊な中台交流の現場を訪問することができた。

 中国アモイ市の目と鼻の先にある台湾統治下の島、金門島がその「現場」であり、この「小三通」とは、この島と馬祖島という大陸に貼りついた2島に限った限定的な大陸との通交を意味している。中国側が求めている通郵、通航、通信の全面的な直接往来という本来の「三通」が実現しないまでも、アモイから2100メートルの距離にある金門島との交易・交流を実現しようとの熱意が生み出した限定付きの「三通」である。

 これは冷戦終結による1992年における金門島の軍事解除を受けて、2001年1月1日から開始され、金門島に従来から住んでいる人々は自由に渡海することができるようになったもので、その現状を見、また現地ならではの情報を得るための訪問であった。

 実際、行きさえすれば現地での情報も入り、また新たなイメージも湧く。まずは台北からだけでも毎日十数便の飛行機が飛んでいるという観光客の多さと、林立するアモイのビルを一生懸命望遠鏡で眺める彼らの姿からは、やはり「渡りたい」との強い思いを感じざるを得なかった。台湾側からの出国制限が解かれれば金門島の魅力は一気に増すことは間違いない。

 が、他方の大陸からの入国はさらに厳しい。現在は金門島に友人のいるアモイの人間しかこのルートで入国できないことになっていて、これでは殆ど中国に対する開放にはなっていない。「小三通」の港を管理する人もそのように言っていた。

 もちろん、金門島の住民(6カ月以上住んでいる人)の大陸への渡航はもっと開放されていて、タクシーの運転手やお店やホテルのおばさんなど殆どの人は対岸に渡ったと言ってはいた。これには多少驚いたが、それでもここは何せ人口が4万人しかいない小島。一通り島人がアモイに渡ってしまうと後は日常的に行き来する人しか行かなくなってしまうので、渡航者も少なくなる。毎日4便の船がアモイに向かって出ているが、私が覗いた待合室には何と1組の若いカップルしかいなかった。

 もうひとつ、この「交流」が人の往来を基本としているという問題もある。このルートから台湾本島への貨物の転送は基本的には禁止され、また往来する人々が携帯できるのは自分で使用する日常品に限られ、待合室前の税関にはその携帯可能品目と数量を細かく示すリーフレットが置かれていた。その内容は以下のとおりである。

大陸から持ち込めるもの
@一般品目
農産品類

タバコ
 巻きタバコ
その他のタバコ

6kg
5kl

1000本
Aみやげ物
衣類
刺しゅう
陶磁器
茶碗、お盆、小皿
花瓶
半工芸品
記念品
家具
屏風
干し貝
干し魚
燕の巣
フカヒレ
農産品類
缶詰
その他食品
 漢方薬及びその材料

  6着
  3枚
  4個
各48個
 12個
  6個
  6個
  1個
  2組
 1.2kg
 1.2kg
 1.2kg
 1.2kg
  6kg

各6個
  6kg
合計12種類
金門島から持ち出せるもの
@農産品

1.2kg

A家庭用日常品
衣類
刺繍
陶磁器
茶碗・お盆、小皿
花瓶
半工芸品
記念品
家具
屏風
漢方薬及びその材料

6着
3枚
4個
各48個
12個
6個
6個
1個
2組

合計12種類
B酒・タバコ

タバコ
 巻きタバコ
 その他のタバコ

1kl

200本

 こんな感じである(一部表現は簡略化)。それぞれ個人が運ぶことのできるものはそれなりに多いと言えるが、かといって衣類にせよ、お酒にせよ、本式に貿易をするなら香港やマカオ経由で輸入することになるだろうことは想像に難くない。実のところ、アモイと金門島の境界海域では密輸取引が行なわれているとの話も聞けたが、この取引きの合法化にすぎないとの意見もこの初期にはあったほどである。ともかく、「小三通」を通じた正式の交易は極めて限定的なものであることが分かる。

 ただし、とはいえ、実はこの小さな小さな「交易」でも、それが存在するということの意義は大きい。私はそのことを人々の平和な姿を見て強く感じることができた。1949年以降何度かの武力衝突があったものの、今ではのどかなものである。私はこの春にもソウル北方の軍事境界線を視察したことがあるが、そこではヘリコプターが常時空中で待機していた。そのようなものを見ているが故に、この平和さは特別に印象的である。そして、問題はこの変化は中国側によって作られたということである。

 というのはこういうことである。つまり、現在、金門島での台湾の兵力が少なくできるのは中国側が侵攻の意図を基本的に持たなくなったからであり、台湾側が「大陸反攻」をやめたからというのではない。台湾側が軍事バランス上「反攻」を辞めたとしても、それでも大陸側が(少なくともここ金門島に関する限り)侵攻の意志を放棄しなければ台湾軍もこの地で縮小することはできないからである。つまり、大陸側は軍事占領でこの地を得るより、そのことで中台交流が断絶することの不利益を考えるようになったのであって、この変化があってはじめてこの地の「平和」が実現したのである。

 ケ小平がこの決断を行ない、このことで中国は経済発展を開始し、よって今では台湾内部でも「親中派」を形成するまでに至った。先日は「独立派」の対中投資を歓迎しないとの発言があったが、これもまた多くの「親中派」を獲得したとの自信の表れと評価できる。大きく言えば、中台の競争はこうして「軍事競争」から「経済競争」に変わった。この時代の変化をここ金門島ではどうしても感じざるを得なかった。

が、ここまで行くと、この考えを延長して次のようにも考えたくなる。というのは、ケ小平はこうして、「中台統一」という大目標にとっても「軍事」という政府間関係的=国家主導的なやり方から「経済」という民間的なやり方にシフトする必要を理解したのであって、これは「国有企業中心」という国家主導的なやり方より民間的なやり方に「経済」をシフトさせたことに通じているからである。凡人ではないケ小平は、(中台の両側共に)軍事を必要とする時代のあったこと十分認識していたが、それと同時に時代が変化することをも常に考えることのできる指導者であった。

 この指導者の下で中国は今や巨大な経済力を持つようになり、それが台湾企業にも様々な影響力を及ぼすようになった。国内における「経済発展」という大目標が成功に導かれているように、いつの日か平和的な「中台統一」という大目標も実現される可能性も高い。台湾では今年中に航空機の中国への直行便の飛行を可能にするとの話を聞いた。「経済発展」ばかりではなく、「中台統一」に向けたケ小平理論の検証はそれほど遠いことではないかも知れない。そんなことを考えるに至った訪問であった。

 大西さんにメールは mailto:ohnishi@f6.dion.ne.jp

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