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「ニューヨーカー」と反戦の歴史
2004年05月11日(火)
萬晩報通信員 土屋 直
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米軍によるイラク人虐待を告発した「アブ・グレイブでの拷問(TORTURE AT ABU GHRAIB)」はアメリカの良心に衝撃を与えた。この事件を最初にとりあげたのは電子版「ニューヨーカー」である。記事を書いたのは、「ニューヨーカー」紙のセイモア・ハーシュ記者である。ハーシュ記者は、ベトナム戦争の最中の1968年、南ベトナムのソンミ村で米軍が約500名の村民を皆殺しとしたソンミ村の大虐殺をスクープし、ピューリツア賞を受賞した著名な記者である。
政府や軍部による厳しい情報統制がおこなわれる中、このようなスクープが発表できたのも「ニューヨーカー」という媒体の性格によるところが大きいと考える。というのも、「ニューヨーカー」という雑誌はいたずらに実益を売らず、ジャーナリズムのロマンと公共への奉仕を大切にする雑誌であるからである。そして、その要因は編集の理想的な在りかたにある。「ニューヨーカー」の編集部と業務部は国家と教会のように分離しており、お互い干渉することがない。また作家にとって「ニューヨーカー」は「安全な港」と呼ばれ、執筆者は特定の仕事をあてがわれることなく自由裁量で興味あるテーマに取り組み、会社が原稿を買い取るという仕組みになっている。
私が今回の報道で意外に思ったのは「ニューヨーカー」が写真入りの記事を掲載したことと、国際問題に関わる事件を迅速にとりあげたことである。もともと「ニューヨーカー」は「言葉と絵によって首都の生活を反映する」ことを目的に創刊された雑誌で、写真を使うことを極力異例にも写真入りで拷問の様子を報じられた。また、「ニューヨーカー」といえば、粋で明るい社会諷刺を主調とする保守的な文芸雑誌というイメージがあったのだが、5代目の編集長にニューヨーク・タイムス出身のデーヴィット・レムニックが就任してから、国政や国際問題についても長い評論を載せる雑誌に変貌したようである。レムニックはこの分野をカバーするため、ピート・ハミルはじめ新しい書き手をライバル会社から数人引き抜いたという。
意外にも「ニューヨーカー」と戦争の関係は深い。「ニューヨーカー」が部数を大幅に伸ばしたのは、第二次世界大戦中に発行した軍人向けのポニー・エディションと呼ばれる縮小版が好評だったことに始まる。「ニューヨーカー」がナショナル・マガジンとして認知されるに至ったのは、原爆による広島の惨禍を報じたジョン・ハーシーの「ヒロシマ」を全ページ費やして報じたことが契機である。そして、「ニューヨーカー」はベトナム反戦に声をあげた最初の雑誌である。ベトナム戦争が自国の名もない農民にまでに深い傷を与えていることを伝えたC・B・D・ブライアンの『友軍の誤射』は2年がかりで書き上げられ、大きな反響を呼んだ。
「ニューヨーカー」は保守的な雑誌である。保守的な雑誌であるがゆえ古きよきアメリカが侵されたと感じる時、敢然と言論の刃を抜きはなち自らがつくりあげた民主主義の精神を守ろうとするのである。ハーシュ記者の「ソンミ村の大虐殺」はベトナム戦争を終結させる間接的なきっかけを与えたといわれている。今回もこの記事が米軍のイラク撤退の呼び水となることを期待したい。
□参考文献
『「ニューヨーカー」の時代』(常盤新平著;白水社)
『アメリカの編集者たち』(常盤新平著;新潮社)
『ニューヨーク紳士録』(常盤新平著;講談社)
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