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戦争の終わり方

2003年12月27日(土)
中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

 前稿「日本国憲法と律法」 で法のことに触れたので、もう少し法について書きたい。今回は国際法についてである。

 現在のイラクでの戦闘が最終的にはアメリカの勝利に終わり、それによってイラクに一応の安定が訪れたとしても、国際社会は深刻なジレンマに直面する。この間、諸々の国際法違反が横行したからである。

 言わずもがなのことであるが、人間が社会生活を営む上では何らかのルールが必要である。動物の世界にも本能に定められたルールがある。動物の世界が弱肉強食だといっても、ライオンは際限なくシマウマを食うわけではない。腹がいっぱいになれば無意味な殺生はしない。メスをめぐるオスどうしの戦いでも、相手が敗北を認め、尻尾を巻いて逃げれば、殺したりはしない。

 これに対して人間は、自然の本能ではなく、文化によってルール=法を設定する動物である。だから、法の体系はそれぞれの国家によって異なっている。ある国の法が他国から見て非合理的なものに見えても、その国はそのようなルールによって統治されているわけであり、そのルールがきちんとした手続きなしに急に変わったら、その国の統治は混乱する。今までサッカーのルールでゲームをしていたのに、突然、一方のチームがラグビー式に手も使ってよいということになったら、ゲームは成り立たなくなる。手を使えないことは不合理だと思っても、みながそのルールでゲームをしている以上、ルール違反は処罰されねばならない。

 スポーツでは審判がルールを確保しているが、国家の場合は、国家の暴力がこのルール=法を維持している。法律違反は司法がこれを判断し、最終的には警察力という国家権力が排除し、法を貫徹する。この強制力がなければ法は法として機能できない。

 国際社会も人間の社会である以上、何らかのルールが必要である。それが国際法と呼ばれ、第二次世界大戦以降は国連憲章が国際社会を律するルールと考えられた。ただし、国際社会の場合は、国家とは違って、ルール違反を暴力をもって排除する装置が欠如している。

 国連憲章は、国連加盟国の合意によって成り立っているルールである。それは国家の法とは違って、現在のところ擬似的な法である。国家の警察に相当する国連軍あるいは国連警察という法貫徹の装置を持たないからである。国際裁判所もかぎられた権限しかない。そのため、一国がルール違反をした場合、結局、その都度の話し合いで違反を処罰するしかない。違反をした国が旧ユーゴスラビアやイラクのような弱小国であれば、強国(の連合)が弱小国を処罰できる。しかし、強国がルール違反をしたら、他の国々は強国を処罰できない。小国が明白なルール違反をしても、大国が反対すれば、小国ですら処罰できない。イスラエルがそうである。この時点で、国際法は法として機能しなくなる。

 すでに多くの人々によって言われてきたように、今回のアメリカのイラク攻撃は国際法違反である。国連憲章が合法と認める武力行使は、安全保障理事会の決議によって承認された場合と、攻撃が逼迫しているか、あるいは実際に起こっている場合のみに限られている。今回のイラク攻撃はそのどちらでもなかった。当初アメリカは国連憲章違反になりたくなかったから、安全保障理事会での決議を得ようと必死で根回しをしたのである。しかし、安全保障理事会の決議が得られず、アメリカは国連憲章を無視してイラク攻撃に踏み切った。

 前稿でも触れたように、法解釈というものはどこまでも拡大可能であるから、アメリカの行為は国際法や国連憲章に違反しない、という理屈もありうる。しかし、大部分の国際法学者がアメリカの行動を国際法違反、国連憲章違反と認めているので、ここではこの見解に従う。イラク戦争の国際法的な見方については、たとえば明治大学法学部の小倉康久氏の「イラク戦争と国際法」をご覧いただきたい。
http://ac-net.org/dgh/blog/archives/000390.html

 この国連憲章違反に対して、アナン事務総長は厳しいアメリカ批判を行なったが、国連においてアメリカ非難決議などが行なわれる様子はない。それどころか、戦争が完全に終わっていない段階でイラクに国連職員を派遣し、事実上、アメリカの戦争責任を不問にした。国連憲章違反のイラク攻撃が国連で何のお咎めも受けなけないということになれば、国連憲章も国際法もその権威を喪失する。

 アメリカの国連憲章違反を放置することは、アメリカが国連よりも上位の審級になることを承認することを意味する。アメリカは今後、自国の利益になる場合だけ国連や国際法を手前勝手に利用するだけである(今までも事実上はそうであったが)。イラクがアメリカ人捕虜の写真を公開することは戦時国際法違反だが、アメリカがフセインの二人の息子の死体の写真を公開しても、国際法違反ではない――これがアメリカの立場である。法は公正かつ普遍的な適用を受けるのではなく、アメリカが欲すること、利益になること、行なうことが「法」となる。つまり、アメリカがゲームのプレーヤーと審判の両方を兼ねるようなものである。「ユニラテラリズム」(一国行動主義)とかアメリカの「帝国化」と呼ばれている現象の法的内実はそういうことである。

 さて、アメリカとイラクは国際法的にはまだ交戦状態にある。なぜなら、アメリカとイラクの間では終戦条約が結ばれていないからである。5月1日にブッシュ大統領が「戦闘行為の終結宣言」をしたが、これは一方的な政治的パフォーマンスで、法的には何の意味もない。法的に終戦が成立するには、終戦条約が調印されねばならない。終戦条約が調印されていないので、イラクでは事実上も戦闘が続いているばかりではなく、法的にも戦争は継続しており、イラクはまさに戦争地域なのである。

 10年前の湾岸戦争では、アメリカを中心とする多国籍軍とイラクとの間で終戦条約が結ばれ、その時点で戦争が終結した。イラクは過酷な条件を受け入れて、戦争をやめることを選んだ。

 終戦条約について、ここで少し歴史をふり返ってみよう。

 日米戦争が最終的に終わったのはいつであろうか。昭和20年8月15日ではない。8月15日は、日本がポツダム宣言を受け入れる用意がある、と宣言した日であるが、法的に終戦になったのは、9月2日、ミズーリ号の船上で、日本政府の全権大使・重光葵外務大臣が降伏文書に調印したときである。これは私が言っていることではなく、色摩力夫氏が『日本人はなぜ終戦の日付をまちがえたのか』(黙出版)という著書の中で明快に指摘している事実である。

 敗戦の受諾に反対し、天皇の玉音放送を妨害しようとした将校がいたことは、映画『日本のいちばん長い日』によってもよく知られている。このクーデターは失敗に終わり、日本は天皇の権威のもと、法に従い整然と終戦した。もし一部反乱将校があくまでも終戦=敗戦に納得せず、9月2日以降も日本各地で、進駐してきた米軍に対するゲリラ攻撃を続けたと仮定してみよう。その場合、反乱将兵がいかに愛国者であろうと、日本政府がすでに降伏文書に調印した時点で戦争が終わっている以上、彼らは法令違反者、つまり犯罪人になる。この場合、アメリカ軍による日本人ゲリラ兵士の討伐は、犯罪人の摘発行為となる。今の言葉では、彼らは「テロリスト」と呼ばれることになるであろう。

 日本の場合、8月15日の天皇の詔勅によって事実上アメリカとの戦闘行為が終了したので、9月2日の意義が薄れ、あたかも8月15日が終戦の日のように錯覚されてしまったのである。

 しかし、現在のイラクの状態はこれとはまったく異なっている。フセイン大統領が逮捕されたとはいえ、彼はまだ降伏文書に調印していない。したがって、米軍に攻撃をしかけるイラク人は、法的には犯罪者ではなく、まさに戦争従事者、つまり兵士なのである。彼らを「テロリスト」と呼ぶことは、事態をごまかすことにほかならない。

 もしフセインが降伏文書に調印し、その時点でも彼らが戦闘をやめなければ、彼らは犯罪人となり、米軍の彼らへの攻撃は犯罪人の掃討ということになる。しかし、現在はまだそのような法的状況にはない。

 民主党の菅直人代表が「フセインに降伏文書に調印させられないのか」と述べたと伝えられている。菅氏の真意を推し量ると、こういうことになるであろう。イラクの国家元首たるフセインが降伏文書に調印すれば、その時点で法的には戦争が終わり、その後は米英軍のゲリラへの攻撃は犯罪者の掃討と解釈されることになる。そうなれば、イラクに派遣された自衛隊がたとえ戦闘行為に巻き込まれたとしても、それは正当防衛的な一種の警察行為という形になり、戦争を禁じた憲法への違反にならないですむ。日本もおおっぴらに自衛隊を派遣し、イラクの復興に協力し、アメリカとの友好関係にもひびを入れないですむ、というわけである。

 一見うまそうな考えだが、残念ながらそうはならないであろう。フセインに降伏文書に署名させるためには、アメリカはフセインと交渉しなければならない。しかし、アメリカがフセインの身の安全を保証しないかぎり、フセインは降伏文書に署名しないだろう。もし自分を戦犯として裁いたり、自分の死刑の可能性を含むような降伏文書にフセインが調印したとするならば、それは正常の意識状態ではなく、心理的操作や薬物によって人格をコントロールされた上での調印を示唆することになり、そのような文書の法的有効性に重大な疑義を生じせしめることになる。フセインの降伏文書が出てきたら、茶番になる。

 ただし、戦争は必ずしも降伏文書によって終わる必要はない。そのことは、第二次世界大戦のドイツの敗北を見るとわかる。ドイツでは、国家元首たるヒトラーが自殺して、降伏文書に調印する主体がいなくなってしまった。結局、ドイツは日本のように秩序正しく降伏することができず、連合国軍にドイツ全土を「征服」されて、その時点でドイツでの戦争が終った。ドイツと連合国側の間には、日米間のような降伏文書はない。このことも色摩氏が指摘していることである。完膚無きまでにたたきのめされ、戦闘能力を完全に失ったドイツには、日本の将兵のように、クーデターやゲリラ戦を行なう意志や能力すら残されていなかった。

 「征服」後は、その国をどう料理しようと、降伏条件を述べた文書がないので、戦勝国の勝手となる。ドイツは結局、米英仏ソの戦勝国内部の都合により、東西に引き裂かれるという過酷な運命に甘んじざるをえなかった。

 イラクの場合もドイツに似ている。自殺こそしなくとも、フセインが降伏文書に調印しないかぎり、イラクは降伏することができない。ならば、米英軍がイラクの残存敵対勢力を徹底的にたたきつぶして、戦闘の意志と能力を破壊し、イラクを「征服」することによってしか戦争を終わらせることはできない。現在はその「征服戦争」の途中である。イラクを「征服」したあとは、米英が「民主化」の名のもとにイラクを自分たちの勝手に料理するだろう――「国際世論」なるものに多少の配慮を払うではあろうが。もちろん、米英軍によるイラク民間人への誤爆、誤射、略奪などの国際人道法違反の行為は処罰されることはない。

 「征服」が完了しない段階で自衛隊をイラクに派遣するということは、いかに人道援助のためとはいえ、法的にはまさに戦争地域に派遣することであり、しかも戦争当事者の一方である米英軍への協力となる。先に殺された二人の日本人外交官は文民であっても、CPA(連合暫定施政当局)への協力者であった。二人は「犯罪被害者」ではなく、「戦死者」である。

 米英軍が残存敵対勢力を完全に掃討し、戦闘が終息し、治安が回復した段階で、「征服」が完了し、戦争が終結したと見なすことができる。戦後のイラクの復興に責任があるのは、何よりも違法に戦争を始めた米英であり、国連でも「国際社会」でもない。小泉首相がアメリカのイラク攻撃を支持したので、日本も部分的に責任がある。イラク国民の惨状を一日も早く救うために、日本もイラクに人道支援を行なうべきである。この場合は、派遣される自衛隊は、武装勢力と交戦する可能性もなくなるので、現在の計画で想定されているような重装備は必要ない。これまでのPKO活動と同じレベルの装備でよい。またすでに戦争状態ではないので、法的にも問題はない。しかし、もし治安が回復されたのであれば、なぜ自衛隊を派遣する必要があるのだろうか。民間のNGOが主体になってもちっとも不都合ではない。

 武装勢力が掃討されたはず、であるにもかかわらず、治安がいっこうに回復しない可能性もある。それは、イラクの一般国民が米英軍の支配を嫌い、それに対する抵抗運動を起こしたときである(その徴候はすでに出ている)。そのときは、「国際法違反の外国の侵略軍 対 民族独立運動」という構図になる。米英は「テロリスト」討伐の名目で、イラクの民衆を虐殺することになる。日本が米英の要請に従って自衛隊を派遣すれば、たとえ直接戦闘行為を行なわなくとも、民族独立運動を弾圧する側に与することになる。そういう立場になることは、何としても避けるべきであろう。

 終戦条約が結ばれていない以上、治安の回復こそが、米英の「占領」が完了し、戦争が終結し、イラク国民もそれを受け入れた――喜んでか、諦めてか、はさておき――ことの指標となる。まがりなりにもまだ憲法9条を保持している日本は、自衛隊員の安全面からも、法的側面からも、その時点で復興部隊を派遣するのがもっとも無難なのである。

中澤先生にメール mailto:naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp

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