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【読者の声】新日鐵を追い抜いた韓国のPOSCOタイトル

1999年12月05日(日)
萬晩報主宰 伴 武澄



 【日本が優れていたのはアメリカ技術のおかげ】いつも大変素晴らしい記事を読ませて頂き感謝しています。私事、元日本人でアメリカには25年程住んでいます。1982年頃、こちらの大学へ通っていましたが、授業の中で製鉄技術の話になり、ちょうど、その頃、私は日本は親元を訪問した後だったのですが、日本訪問時にNHKの教育プログラムTVで日本の優れた製鉄所の番組を見たばかりでした。アメリカに較べていかに日本のものが進んでいるか、と云った内容でした。

 それを真に受けた私は、授業の中で、アメリカの製鉄が日本の製鉄に押されるのは技術革新の努力が足りないからだ、と云う様な発言をしました。つまり自動車の様に日夜研究と研鑚に務めるべきだ、と云った様な内容の事を発言しました。そうしたら、日本の製鉄所の技術が優れているのは、終戦後アメリカがその時点で最も優れた技術を敗戦後の日本へ持って行き、その技術を応用した施設を作り上げたからで、アメリカが技術革新を怠ってる訳ではない、と云われ、赤恥をかいた事があります。

 だって、NHKの教育番組ではそのような事は一言も云わなかったので、その番組を見た人達は全て私の様な間違った知識を得た事と思います。情報がいかに大切か、日本にいると、日本を中心とした物の考え方で日本を中心にお日様が上がってくる様な感じですが、アメリカの場合、その点、世界中の人間が寄り集まっており、ロスだけでも70数ヶ国語が話されて、世界の縮図がここにある様に思います。『日本産業の中枢の情報収集力が著しく低下していることこそが問題だといいたい』とのご意見に両手を挙げての賛成です。その為にも今後共引き続き素晴らしい記事を書いていただきたく存じます。(山岡幸雄)


 【処方箋について知りたい】萬晩報の読者です。韓国と日本の鉄鋼業界の現状大変おもしろかったです。よりくわしく鉄鋼業界の将来にある問題点、その処方箋について知りたく思いました。どのようなものから読んでいけばよいのか、また筆者のご意見をお教え下さい。(浅井しげる)
 【POSCO光陽製鉄所のシステム開発をしていた】初めまして。小岩井と申します。「萬晩報」を拝読する度に、自分の知らないことがこんなにあるのだと痛感してしまう会社員です。991203付けの萬晩報のタイトルを見て、ふとなつかしく思い出したことがありました。 私は現在、とある健診機関でコンピュータ処理関係の業務に従事しています。しかし以前は、独立系の小さなソフトウェア・ハウスに勤めていました。

 そのソフトウェア・ハウスでは、主にプロセス制御(工場の製造ラインや発電所等の制御)システムを得意分野としており、私も入社以来約4年間、製鉄所の圧延ライン制御のシステム開発に携わってきました。色々な製鉄所のシステムをやらせていただきました。時には長期出張して製鉄所の現場に赴き、脚半やヘルメットを着用して現場作業員と同じ格好をして、プログラムのテストを行なったりしました。ちょうどバブル絶頂期の頃で、仕事が次から次へと入ってきました。

 そして最後に関係した製鉄所の仕事が、POSCO光陽製鉄所のシステム開発だったと記憶しています。このときは、さすがに韓国までの出張はなく、私の直属の上司のみが元請会社の人たちと一緒に行きました。ですから、光陽製鉄所がどのようなところか全く想像もしていませんでしたが、「萬晩報」を読み、今世紀最新の設備をもった製鉄所と知り驚きました。

 光陽製鉄所のシステム開発を最後に、製鉄所関係のシステム開発の仕事は無くなりました。その後は、電力関係のシステム開発などに従事していましたが、バブル崩壊の影響は甚だ深刻で、私もそのソフトウェア・ハウスを辞め、現在の会社に転職しました。

 今にして思えば、私にとって「POSCO」とは、「バブル経済の終焉」に結びつく言葉または名前だったというわけです。(小岩井)


 【NKKは本社を福山に移籍するしかない】私は今年の3月、横浜から広島県福山市に転勤しました。職業は大手スーパーの販売員です。そう、福山はNKK最大の製鉄所の城下町です。 おわかりの通り、NKKの業績.株価に正比例して福山の街は瀕死寸前です。もともと質実剛健の土地柄、その上NKKの毎年のすさまじいリストラと残業カットで消費が全く伸びません。

 勿論、我々を含めて商売が時代の変化に追い付いていないことも原因です。しかし、今尚2万人の従業員を抱える大企業ならば地元経済への影響も考えるのが筋ではないでしょうか?市の責任も重大です。何もしなくても毎年法人税がたくさん入った時代に計画.実行された「ハコモノ(公共事業)が財政に重くのしかかっています。失業対策は勿論、地方自治体の本来の責務である公共サービスが非常に疎かになっています。

 暴論ではありますが私見を申し上げますと、NKKは本社を福山に移籍するしかないと思います。いずれにせよ、この街が閉塞的状況から抜け出すのは容易ではありません。(東出真一)


【日本の技術をマスターした韓国が優位に立つのは当然】突然のメールで失礼します。いつも「萬晩報」では楽しませて戴いております。さて「新日鐵を追い抜いた韓国のPOSCO」を読んで事実はその通りで予想されていたこととの想いを新たにした次第であります。特に
   きっと多くの鉄鋼マンはまだそんな事実さえ知らないのだと思う。
>  親しい鉄鋼マンを非難しているのではない。日本産業の中枢の情報
>  収集力が著しく低下していることこそが問題だといいたい。
とお書きになっておられますが、ひょっとして設備投資を押さえて技術でカバーすることを得意とした日本人の国民性が継続していたのかも知れないという感じがしました。

 韓国企業も人件費が当時よりも上がっていますが、設備の減価償却が進むにつれ、技術力の確立と相俟ってコスト競争力もピークにあるのかも知れません。POSCOはどの様に出来たかを知っている者には予想されていたことだからです。HYUNDAI(現代造船)の造船に関しても同じことだと言えましょう。

 オイルショックの後の日本の鉄鋼・造船業界は韓国から仕事を受注しながら敵に塩を送る商売を続けていたのです。何もないと言ってよい韓国企業に設備と製品(部品)の仕事を貰いながら、最新の設備と技術を彼らに提供してきたのでした。それが受注する、生きていく手段であって今はそれで凌ぐしかないとの思いであったのです。

 POSCOOの高炉とその付帯設備は日本の鉄鋼メーカ−と国内の鉄鋼設備メーカーである大手造船会社や重電機メーカーの技術で設計され製造されたのです。現代造船は日本の造船会社に製品を発注しながら技術や管理に関する実習を続け、中にはその後は造船会社が発注していた外注メーカーに直接発注するという方法さえ採ったのです。

 日本の企業は仰るように旧態設備を部分改良して最新技術を確立していたのですから何れは韓国企業が日本の技術をマスターすれば優位に立つことは明確に予想されていたのです。

 蛇足ですがこんな事実もありました。設備の部品に20トンの鋳物がありました。日本では老朽化した工場でそれを製造していました。20トンの鋳物を作るのに鋳物砂や鋳枠を含めると約40トンの揚重能力のクレーンが必要で、日本の鋳物工場では30トンと20トンのクレーンで天秤という吊具を介して吊っていたのです。(当時の日本の鋳物工場ではそれが珍しいことではなかった)

 そこへ上記の韓国の発注会社の鋳造専門技術者が実習にきました。彼等は朝早く出てきてその天秤を詳細にスケッチしていました。 それを見て「貴方方の鋳物工場ではクレーンの揚重能力はどうなっているのか」と尋ねてみると「この鋳物を作る工場は100トンと50トンのクレーンがある」と胸を張って回答していました。

 天秤のスケッチは全く要らないことでもっと鋳型の作り方や鋳物砂の性質とか管理方法などを何故学ばないのだろうかと話したものでした。

 その後調べてみると当時の日本中探してもない最新鋭の設備の鋳物工場が建設されていたのです。安い賃金で最新鋭の設備をもって日本の製造技術を習得したらとても日本は太刀打ちできないだろうと言うのが当時の我々の感想でした。「敵に塩を送る」ことの悲哀が当時認識されていたことは間違いない事実です。(成田 勝彦)


 【かつて鉄鋼マン、いまはトライアスロンショップ】いつも楽しく伴さんの記事を読まさせて頂いています。自分の興味のある本しかを読んでいないので、伴さんの記事を読んでいるといかに自分の知識が偏っているか思い知らされます。知らない世界を知る為、又、違う視点からの見方いつも教えてもらっています。

 今回メールを遅らせて頂いたのは、昭和63年まで私は神戸製鋼の神戸製鉄所で、技術職として働いていました。鉄鋼が不況 (約15年程前)になって一時期連鋳で働いていた事が有り、非常に懐かしく思い出されたのです。

 現場の者は、本当に頑張っている人が多かったのですが、トップの人達がもっと将来を考えて実行してくれればと思っていました.マー、色んなしがらみがあって出来なかったのでしょうね。こうなるのは前から判っていた事なのに経営陣は自業自得ですが、色々な事が有り11年前に会社を辞め自分が好きだつたトライアスロンの店を始めました。

 その後、自転車業界の人がトライアスロンの知識が全く無いので自分でアメリカ等から、競技用部品を個人輸入し始め現在は、競技用の卸をさせて頂いております。最初はアメリカ人の友人から色々助けてもらい、平成2年の冬に英語を勉強しに43歳でSDの学校に2-3ヶ月行きました。 お陰でブロークン英語で何とか商売できております。色々な素晴らしい友人に助けられて何とか競技用(ロード)では皆さんに知って頂けるようになりました。

 仕事がら(それを言い訳にして)色々の国に行くのですが、いつもバックパックを担いで観光客が行かないような所を歩き回っています。 東欧も時々行くので向こうの活気には将来性が楽しみといつも思っています。チェコのビールは本当にうまいし、地元の人が飲んでる居酒屋はメチャ安いですよね。

 又、4年程前からアジアにはまり、商売柄冬は暇なので、よく旅行に行きます。観光名所などは余り興味が無く、子供や、お坊さんのキラキラと輝く目を見るのが一番の楽しみです. とくにミャンマーやベトナムが好きで、ベトナムは今までの日にちを合計すると三ヶ月ぐらい滞在しています。 サイゴンの人々のいい加減さや、活気と言うかザワメキというかそんな中で、ビールを飲んで眺めているのが大好きです。

 今年も正月休は2週間程サイゴンでビールを飲もうと思っています. 夕方サイゴンの町中をランパンでジョギングをしてから食事をしビールを飲むのが最高です。

 私事ばかり思いつくままに書いて申し訳ありません。今後とも伴さんの記事を読まさせて頂きながら、世界の色々な事や、世界に思いを馳せたいと思っています。行きたい国がドンドン増えそうです.マア、人生一回だから頑張って知らない国を旅します。今後とも記事を楽しみにしています。 本当に有難うございます。(中原敏一)

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