新日鐵を追い抜いた韓国のPOSCO1999年12月03日(金)萬晩報主宰 伴 武澄
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日本の製鉄業界が一息ついている。というよりフル生産である。日本経済が浮上したからではない。アジア経済が再び成長路線に戻り、鉄鋼需要が旺盛になっただけである。 ●10年前のリストラに失敗したつけ 90年代前半、つまりバブル経済が崩壊した上に円高が進んだことも日本の製鉄業界のコスト押し上げ要因となった。日本の鉄鋼業界のリストラの目標は「世界一の競争力に追いつくこと」となった。口には出さなかったが韓国のPosco(浦項総合製鉄)の影がひたひたと迫っていた。 大手各社は相次いで大規模な人員削減を含むリストラ計画を発表した。日本の産業界にとって衝撃的だったのは、これまで「出向」という形で関連会社に出向いていた人員がついに「転籍」されることになったからだ。企業経営、特に労務対策でいわばお手本的存在だった鉄鋼業界がいよいよ終身雇用にストップをかけたのだった。 ●日本の最新鋭製鉄所は20年以上も古い! 「うぉー。日本の最新の製鉄所は20年前の新日鐵大分だったよな」 日本の鉄鋼記者会のメンバーが初めて取材団を韓国に送り込んだ瞬間である。「世界最新鋭の設備を見ないでこれからの鉄鋼は語れない」という酒席での議論が高じて2カ月後には訪韓団が組まれた。前年の11月にこの光陽製鉄所が稼働を始めていたのだった。 光陽製鉄所はわれわれが見てきた製鉄所と根本的に違うレイアウトだった。原料ヤードから高炉、圧延ライン、出荷バースまでがきれいな一直線を描いていた。 日本の製鉄所はもちろん最新技術の粋を集めてはいるが、全体的に継ぎ足しの感はまぬがれない。だから、レイアウトは複雑に入り組んでいる。分かりにくいといえば、分かりにくい。ところが、どうだ、この光陽製鉄所は素人にも簡単に製鉄の工程を説明できるレイアウトになっている。 それがどうしたといわれれば、元も子もない。 80年代に入って世界の製鉄所は日本が開発した連続鋳造という方式に変わっている。それまでは高炉でできた銑鉄をトピーカーで転炉に運び、酸素を注入して「鋼」に変え、いったんビレットという鉄鋼のかたまりにしてから、圧延工程でもういちどそのビレットを暖めて板に延ばしていた。 いったんビレットにするのは、どろどろの液体状の鉄を圧延工程に流し込めなかったからである。それを可能にしたのが連続鋳造である。だが冷えたビレットをもう一度、1000度以上に暖めなくてならない。壮大なエネルギーロスである。 製鉄所のレイアウトが一直線になれば、このロスがなくなることは分かっていたが、日本の入り組んだ古い構造の製鉄所ではむりな要求だった。製鉄所を新しくつくれば可能だが、日本での需給を考えるとそれはもっと不可能なことだった。 きっと30年前にアメリカの製鉄業界が日本の最新鋭の製鉄所をみて同じ印象を抱いただろうことは想像に難くない。 ●著しく低下している日本産業の情報収集力 筆者が1996年に上梓した「日本がアジアで敗れる日」(文芸春秋社)で「数年以内にPoscoが粗鋼生産で新日鐵を追い抜く」と書いたが、まさに1998年にその日がやってきた。新日鐵の王座は残念なことに1970年の合併以来30年続かなかったことになる。 1998年03月17日萬晩報に「構造問題の保守本流−日本の鉄鋼業界」というコラムを書いたらアメリカで勤務している日本の大手鉄鋼マンから「われわれを侮辱するのか」という抗議めいたメールをもらった。「ちゃんと鉄鋼業界のことを取材してから書け」という主旨だった。筆者としては萬晩報の黎明期だったこともあって「おうおう大手鉄鋼マンにまで読んでもらっている」と感動した一コマである。 春先に大手鉄鋼マンと話をしていたときに新日鐵がPoscoに抜かれたことが話題になった。その際「それよりPoscoの去年の税引後の利益が1000億円もあったのは知ってる?97年の通貨危機で韓国経済がどん底に落ち込んでいたときだぜ」。その鉄鋼マンが絶句したのはいうまでもない。 きっと多くの鉄鋼マンはまだそんな事実さえ知らないのだと思う。親しい鉄鋼マンを非難しているのではない。日本産業の中枢の情報収集力が著しく低下していることこそが問題だといいたい。 |
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