1ドル=105円は狼狽するほどの円高か1999年09月19日(日)萬晩報主宰 伴 武澄
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為替レートが先週から円が買われ1ドル=110円を超え、15日には一時103円前半を付けた。大蔵省・日銀は円高阻止のためアメリカに協調介入を懇願するなど危機感を高めている。「せっかく立ち直りかけた景気の腰を折ることになりかねない」というのが共通した認識だ。 だが、1ドル=100−110円という水準が政府が狼狽するほどの円高なのだろうか。答は否である。
●構造改革が進むとの期待感があった5年前の円高 忘れてはならないのは、株価は95年7月の1万4000円台をボトムに96年6月には2万2666円という戻り高値をつけ、この為替水準で日本の景気も一時持ち直していたのである。 確かに93年は産業界は円高に困窮していた。自動車産業は「110円を超える円高では内外のコスト競争力が逆転する」とし、鉄鋼業界もまた「105円で日韓の鉄鋼生産の競争力が逆転する」と悲鳴を上げていた。 しかし、一方で流通業界を中心に「価格破壊」が進んだ。衣料を中心に食品など輸入品の価格低下が消費者に大きなメリットをもたらした。あこがれの輸入車も相次いで販売価格を下げ、身近な存在となったことは記憶に新しい。 デパートの主力商品だった紳士服はロードサイド店に売り上げを奪われ、ディスカウンターの登場でビールを中心に酒類の定価販売が崩れた。消費者は円高でようやく日本の構造改革が進むと円高を歓迎するムードもあったはずだ。 産業界は、"円高"を避けられないものと観念し、製造業がアジアへの生産移転を本格化するのもこの時期だ。同時にアジア経済もまたピークを迎え、短かったがこの世の春を謳歌した。
●金融不安の前の水準に戻っただけの円ドルレート 60兆円にも及ぶ公的資金の供給が決まり、いまでは貸し渋りもなくなり、金融不安の当面の危機は乗り越えたことになっている。そうであるならば、為替水準が金融不安が台頭する前の水準に戻ったところでなんの不思議もない。 まさか日本経済は90年代前半の構造改革の断行という決意を忘れたわけではなかろう。 アメリカの好景気を見るまでもなく、強い通貨を持てば世界のカネが集まるのである。世界のカネが集まっていれば、日本の銀行が貸し渋りをしても日本企業はここ数年経験したような資金ショートに陥らなかったかもしれない。外資系銀行が潤沢な資金を供給できただろうというのが、萬晩報の「たられば論」である。
●榊原氏が目指した円安誘導は100−110円? 円ドルレートが80円台の超円高に陥ったとき登場した大蔵省の榊原英資氏が、実施したのは強引な市場介入によるドル買い円売りだった。この介入手法についてはいろいろ批判もある。だが、榊原氏が目標にしたのは1ドル=100−110円までの円安誘導だったようだ。このことはその後の榊原氏の発言のなかから容易に想像できる。 95年9月8日、日銀のドル買い円売り介入で円ドルレートは早くも1ドル=100円にまで戻っていた。だが、榊原氏は翌々日、榊原氏は一部の市場関係者との会合で「円安の動きはこんな程度ではない」と発言した。 96年11月7日、日経金融新聞のインタビューで「円安誘導終焉」を宣言した。この時のレートは110円近辺である。
97年5月8日、国会で「103円発言」。榊原発言で為替レートは1ドル=125円から急騰した。このときこう言ったのである。 1ドル=80円台の超円高から政府が目指した円安誘導の水準がまさに先週から大騒ぎしている円ドルレートの範囲内ということならば、日本としては為替動向に付和雷同することはない。そもそも政府が大騒ぎする割に産業界は比較的冷静である。6年前に1ドル=110円を突破した時の騒ぎとはまったく別物であることを付け加えておきたい。 |
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