悲しむべき東洋民族間の憎み1999年09月16日(木)文 彬
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中国の中央テレビ局(CCTV)の人気司会者倪萍さんの自叙伝風著作「日子」(日々、作家出版社)に「愛花」(花が大好き)という章がある。その副題に「私は花が大好き。ただ桜が嫌い」とある。 理由1:桜の色、咲き方等が自分の性分に合わない。理由1についても色々書いたが、「嫌桜情緒」は主に理由2に起因することだというは倪萍さん自身も隠さない。だから「桜には罪がないが、仕方がない」とある。また「桜」を憎む裏付けとして、梁実秋は青島の桜が大嫌いだというエピソードも引出した。勿論、ここでいう桜は植物としての桜に止まるものではないことをわざわざ強調する必要は無い。 「恨屋及烏」(人を憎めばその人の住家の屋根にいる烏をも憎む=この訳は適切ではないが、名訳が浮かべない)は人間の感情世界のものなので、理解できないことでもない。また「前事、忘るべからず」も納得する。しかし、戦後50数年が経っても、はたしてこのように「景に触れば情け生ずる」必要があるだろうか。 ある花屋さんのホームページを見たら、イギリスとポルトガルの国花はバラ、オランダはチューリップ、ドイツはヤグルマ菊、フランスはアイリス、スペインはカーネーション......とあり、どれも愛らしい花だが、こちらの国々はどれも中国を侵略した憎むべき歴史がある。 今も北京の郊外に散在している圓明園の生々しい廃虚はその証拠である。しかし、我々中国人は(倪萍さんもそうだと思うが)、こちらの花を見る時、憎むべき歴史への連想はない。桜だけは運が悪い。この欧米諸国に対する感情と日本に対する感情は何故このように違うかは別の機会で触れたいが、ここで筆者が言いたいのはこれらの愛らしい花を見てあの「憎むべき歴史」を連想しないと同じような気持ちで桜を鑑賞することはできないだろうか。 青島の桜が大嫌いという梁実秋の亡国への鬱憤も当然尊敬すべきだが、「桜花賦」をしたためた郭沫若氏の心も大切だと思われる。郭氏は権力に迎合する所謂「応酬の作」が多かったとしばしば見下げられる傾向があるが、少なくとも「桜花賦」を書いた時の郭氏は聊かの権力によるプレッシャーもなかったし、節を屈してまで桜を謳歌する必要はなかった。ましてや、倪萍さんがいうように旅先で主人に対する礼儀からではないと思われる。 ここで少し話が逸れるが、今月初めに韓国のマスコミを賑わす「金嬉老事件」があった。30年前に静岡県で暴力団員2人を射殺し、人質13人を取って立てこもった罪に問われた在日韓国人、金嬉老さんが7日、千葉刑務所を仮出獄した。逮捕から31年、最高裁の無期確定から24年ぶりの身柄拘束解放だ。同日釜山に到着した金嬉老さんは、「愛国同胞の帰国歓迎」といった横断幕や韓国国旗を持った人々、仏教会婦人合唱団、女子高校の吹奏楽団などの、国民英雄さながらの盛大な歓迎を受けた。 そして、韓国のマスコミは金嬉老さんの仮出獄が確実になった8月下旬からも連日競って大々的に関連ニュースを報道してきた。感情的な対応を避けようとする姿勢も見受けられるものの、感情が先に立つ雰囲気が圧倒的な優勢で、結果的に国民感情を偏った方向へ煽ったこととなった。 「金嬉老事件」は民族差別に起因した事件で、今振り返ってみても金嬉老さんの悲惨な運命に胸が痛む。しかし、冷静に考えれば「金嬉老事件」の金嬉老さんは被害者と加害者であっても、決して英雄ではないことはいうまでもない。それが英雄扱いされたことの底流には、韓国人の日本人に対する言葉では言い尽くせない憎しみのセンセーションがあると敢えて言いたい。そして、このセンセーションを必要以上に煽りつづけてきたのは紛れもなくジャーナリストとマスコミだ。筆者がわざわざ「金嬉老事件」にまで筆を走らせた目的もここにある。 つまり、民族間にあった「過去」は憎むべく、忘れるべきものではない。しかし、過去の如何に拘わらず、ジャーナリストを含む文筆業に従事している人々は民族問題を扱う時は、安易に感情に走るのではなく、事実を如実に伝えると同時に大衆の感情的な高ぶりを冷静にそして未来志向に導くことに努めてもらいたい。残念ながら、中韓日のマスコミの現状を見ると憂慮すべき現象がまだ非常に多い。 報道陣に対し「日本人の中にも人情のある立派な人がたくさんいる。そうした人と差別する人を同一視してはいけない」という金嬉老さんの発言は、彼の悲壮な半生の血と涙の結晶として受け止めたい。 倪萍さんの本には、桜を青島に植えた日本人は桜の木と同じように永遠に青島に居残り、永遠に青島を占領したかっただろうと推測して、益々憎々しさが倍増するという意味の文章がある。しかし、次のように全く逆の発想の方がもう少し夢があり、我々の乾燥した気持ちにちょっとした潤いを与えることが出来るのではないかと思うのは私だけだろうか。 戦争のため青島に駆り立てられた学徒出陣の日本人青年とその学友達は、郷愁を凌ぐために八丈嶺に桜の木を沢山植えた。そして間もなく青年は戦死した。学友達は毎年のように満開した桜の木の下に集まり、戦死した学友を偲び、戦争が早く終わり、帰国できるようにと祈っていた。 これは筆者の独り善がりの牽強付会だろうか。 文 彬さんへメールはbun@searchina.ne.jp
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