ヨーロッパで常識化した地方分権の新しい力学1998年09月27日(日)萬晩報主宰 伴 武澄
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イギリスのブレア政権が昨年、ウェールズ州とスコットランド州議会に徴税の自主権を与えたことを知っているだろうか。正確にいえば、住民投票で勝ち取った。日本でいえば、北海道と沖縄に中央と違う税制を認めるに等しい考え方である。イギリスでそんな変革が進んでいるのに、日本政府は一昨年来、沖縄権が求めてきた自由貿易区への法人税軽減に対して「一国二制度はまかりならん」という頑な姿勢を崩していない。 地方分権は、昨年5月のイギリス総選挙での労働党の公約の一つでもあった。地方分権は歴史の流れだが、徴税権まで持った地方政府は例は珍しい。徴税権こそが国家機能の大きな部分であるからだ。日本で破綻金融機関の処理をどうするかもめていた間に、イギリスでの改革はそんなところまで進んでしまった。そんな感慨がある。
日常化した Subsidiarity Principle 論議 地方自治を言い出したのはローマ法王ピオXI世だそうだ。1931年、折から勢力を増しつつあったヨーロッパでの、共産主義、ファシズム、ナチズムといった全体主義の風潮に危機感をもったカトリック教会の対応だった。 法王の通達は「個々人がみずからの発意と、みずからの力で成し遂げることのできる事柄を取上げ、社会的作為に導き込んではならないように、小さな、あるいは下位の共同体が為し、良き成果を導くことのできる事柄を、より大きな、あるいは上位の共同体の掌中にゆだねることは、公正に反するばかりでなく、劣敗であり全社会秩序を乱すものである。すべての社会的作為はその本質において補完的なものであり、社会体の構成員を補助すべきものであって、決して打ちのめしたり吸い込んでしまうものであってはならない」という内容だった。 Subsidiarity という概念はラテン語の "subsiduum ferre" 「介添え人、後見人の役をはたす、補助を提供する」という言葉からきているのだそうだ。 この考え方が、主としてドイツのイニシアティブによってEU連合の地方公共団体、国、連合の間の権力、権限を規定する原理としてマーストリヒト条約に導入されたわけだが、これを支持したのがイギリスであり、ベネルックス三国はこの規定が国家主義への後戻りの口実として利用されるのではないかという不信感を表明した。
中央政府がふがいない時こそ地方政府の活躍の時 本来ならば、今日のように中央政府のふがいなさが目立つ時期にこそ、地方自治体が「われこそは」とばかりに新鮮な政策やアイデアを打ち出せる格好のチャンスであるはずだった。地方自治体は権限委譲を訴えながら、権限が委譲された場合の受け皿の議論を怠ってきた。 どうせ中央省庁の権限など委譲されるはずはないという固定観念に凝り固まっていたに違いない。 これまで地方議会は数え切れないほどのヨーロッパ視察団を派遣してきた。そんな視察旅行が年に一度の観光旅行でしかないという批判は古くからある。たとえそうであっても、観光の合間に姉妹都市など訪問先の自治体との交流がゼロであったはずはない。ヨーロッパで起きている変革の説明を受けて「日本ではできない相談だ」と考えたとしても、起きている変革の内容ぐらいは持ち帰って市民に広報することだってできたはずだ。 事務局も含めてこの人たちはヨーロッパで何を学んできたのだろうか。変化するヨーロッパを目の当たりにして感性のかけらもなかったのだろうか。 「自治体」という言葉はだれが生み出したか知っている人がいたら教えて欲しい。英訳は Local Government である。翻訳すると「地方政府」になってしまう。中央集権国家である中華人民共和国ですら「北京市政府」「河北省政府」という言葉を使っている。しかしここらが、日本では曖昧である。 大阪府議会や大阪市議会といえば、実態が明確だ。ところが行政府の場合、「大阪府」とか「大阪市」としか呼ばれない。府や市の何なのか実は分からない。府庁や市役所は建物の名前である。英語で Office でしかない。だから市役所に勤めているという表現は間違っている。 マスコミでよく使われる「大阪府は・・・」という場合、「大阪府の行政は・・・」の意味なのだ。 いまほどLocal Government の訳語が求められている時期はない。とりあえず、萬晩報は明日以降、自治体という表現はやめて「県政府」「市政府」「町政府」を使っていこうと思う。 |
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