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インターネットと同時出版した小説「スレイヴ」の波紋

1998年08月27日(木)
萬晩報主宰 伴 武澄


 萬晩報の読者の一人でもあり、筆者のインターネットの先生でもある畑中哲雄氏の処女作「スレイヴ」(ポット出版)が8月22日、発刊された。本人はコンピューター推理小説などといっているので、スーパーマンのようなハッカー探偵が事件を解決するような華々しい物語を期待しがちだが、そうではない。

 どこにでもいそうなパソコン音痴の平凡なサラリーマンが「スレイヴ」という手のひらパソコンを入手し、それを自分の奴隷(スレイヴ)にすべく悪戦苦闘した挙げ句、電脳作家になってしまうという汗と涙の物語がけっこう読ませる。

 Web上に復活させた「お代は見てのお帰り」方式

 この小説を紹介しようと考えたのは、単に友人が処女作を書いたからではない。そんなことをしたら「身内びいき」として批判される。たとえ身内であっても、作品の発表の仕方がとてつもなく面白いと考えたからだ。畑中氏は「著作権フリー」といっているが、筆者に言わせれば「ネットワーク時代の新しい出版形態」を暗示させるからである。前者は別として、いくら「著作権フリー」だといっても、出版社がよくWeb版の同時公開を許したものだと思う

 「スレイヴ」を開いてきっと気付くことだろうと思うが、この本は二つの点で新しい。まずは著者が印税を取っていないことだ。もう一つは紙の本が出る前に、Web上でTextFile版とHTML版の2種類の「スレイヴ」を公開したことだ。

 Web版でただで読んだ読者には「気に入っていただけたなら200円でも500円でもいいから、郵便為替か切手を送って、わたしを勇気づけてください」と訴えている。ちゃんとした小説だから10分や20分で読みこなせるものではない。もし最後まで読み終えたのだったら面白かったということで、読者はエンターテインメントの代償を支払うべきだ。

 そのむかし、お祭りで芝居小屋がやってくると呼び込みが「いらっしゃい。いらっしゃい。はいはい、親の因果が子に移り・・・。お代は見てのお帰り・・・面白くなかったら金は要らない」なんてやっていた。記憶にある読者もいることだろう。Web版「スレイヴ」はまさに芝居小屋の「お代は見てのお帰り」方式を復活させたものだ。

 見て、面白かったら代金を払って下さいというのは古い発想のようでそうでもない。立派な商慣行だ。どこでも、お金は先に払うものだと考えていたら大間違いだ。日本では先払いが横行して、何も思わなくなっているが、世界広しといえども、食堂で食券を買わされるのは日本だけだ。ふつうの国のレストランでは、食べ終わった満足度に応じてチップの額だって変わろうというものだ。

 いまはアジアでも普及してしまっているが、プリペイドカードなどもふざけた制度だ。NTTの電話カードの場合はまだ電話料金の割引があるが、JRのオレンジカードにいたっては一銭の割引にもならない。どんな家でも使い残した度数のカードが何枚もあるだろう。アメリカで発達したクレジットカードは完璧な後払いだ。本来、金銭の授受は後払いが常識なのだ。その証拠に日本だけしかない手形はちゃんと後払いになっている。

 筆者は「スレイヴ」の売り方について、消費者の良心に寄りかかった古くて新しい「代金後払い方式」と評価している。

 うたかたに消えた著述業の夢

 ウインドウズ95が売り出されたのはまだ2年半前のことだ。なんだか分からないけどインターネットが新しかった。筆書も分からないながら「インターネットはただの世界が限りなく広がる時代だ」などと吹聴し、業界団体から講演を頼まれたり、原稿執筆を依頼された。その時、考えて話した内容に、畑中氏と同じ発想があった。

 「日本がアジアで敗れる日」という本を出版したばかりだった。定価1400円の本に対して印税は140円。初版8000部で筆者には直ちにその140倍の印税が振り込まれた。110万円強の収入はアルバイトとしては悪くない。「俺もいっぱしの著述業で生きていけるかもしれない」。そんな不遜なことを頭に浮かべてほくそ笑んだが、「ちょっとまて」と考えた。

 仮に独立して執筆業だけで生きるには、取材費も込めてこんな本を毎月のように書かないと今のサラリーマンの収入は確保できない。それは物理的に不可能だ。そんな計算をして、著述業の夢はうたかたに終わった。

 2万部売れば成功といわれる世界で、8000部も印刷してくれる本はいい方だとも聞いた。1400円という本の定価は決して安くない。もしその本が3分の1で買えるのならもっと多くの読者が得られるかもしれない。印刷代も紙代も問屋である中継ぎ手数料もなくなれば、筆者はより多くの執筆料を稼ぐことができ、読者も格安で書籍が買える。どこかで「インターネットはそんな時代をもたらす」ともしゃべった。

 「インターネットで販売すれば一石二鳥だ」なんてことは筆者でなくとも考えるだろう。だが多くは、電子マネーがまだ十分に機能してない昨今では実現は遠い先と考えがちだ。だが時代のスピードはわれわれの常識を超える。2年前の講演で「僕のような素人だって半年も勉強すればホームページぐらいできるようになるでしょう」などというねぼけたことを話していた。そんな筆者は8カ月前からだれの世話にもならずネットコラム「萬晩報」を発刊できた。インターネットが普及し、2年前の非常識がいまの常識となる時代なのだ。

 畑中氏の「スレイヴ」から大分、横道にそれた。

 実は「スレイヴ」は昨年春には完成していた。畑中氏が執筆業を目指していたのだろうことは以前からうすうす感じていた。「スレイヴ」は内容がパソコン業界を揶揄しているだけに「マイクロソフトに逆らうような本を出版してくれる会社はないぜ」という否定的な意見や、「こんなの小説じゃないよ。やめろやめろ」という厳しい批判をいくつも浴びた。

 それがインターネットとの出会いの中で、このたび新しい"出版"形態となって世に出た。アメリカの大手メディアであるCNNニュースはテレビ放映中、詳しくは「インターネットで」の表示と共にCNNのurlが示される。バックグラウンドや関連記事が山のようにあり、シリコンバレーの八木博氏によると「それをみた立花隆がCNNのインターネットには1本の記事から何冊もの本が書ける情報が詰まっている」と語っているそうだ。

 いつか、萬晩報も「お代は見てのお帰り」方式にしてみたいが読者はどう考えますか。


 畑中氏の「スレイヴ」出版にいたる詳しい経緯は自筆の「『スレイヴ』出版について」でお読み下さい。
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