コロンブスの卵だったチーンというレジの音1998年04月14日(木)萬晩報主宰 伴 武澄 |
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19世紀の後半のアメリカは現代社会の利便性を生み出す多くの発見があった時代である。斬新なアイデアと新たな発想が多くの企業を生んだ。。最近取材した会社の中からNCRとアンハイザー・ブッシュを紹介したい。NCRは機械の名称であり、アンハイザー・ブッシュは創業者の名前である。 ●氷詰め貨車で全米ブランドを勝ち取ったバドワイザー
この常識を打ち破ったのが世界一のビールメーカーとなったアンハイザー・ブッシュ社だった。1850年代のアメリカはまだカウボーイが全盛で、鉄道は敷設されて間もなかった。E・アンハイザーはそのころミシシッピー州セントルイス市で始めた石鹸製造事業で大成功を収めていた。ところが仲間と融資していた市内のビール工場が破産し、一番多くお金を貸していたアンハイザーが他の債権者の債権を買い取らされた。 嫌々ながらビール工場経営を継承したアンハイザーは幸運にもA・ブッシュという助っ人を得た。娘と結婚したブッシュはビール職人だったのである。若きブッシュは「全米の人々に飲まれるビール」を夢描いた。ブランドは故郷のチェコのボヘミアにあったビールにあやかって「バドワイザー」と命名した。 当時、ビールに全国ブランドはなく、ビールといえば地ビールだった。冷蔵技術がなく、長距離の輸送に適しなかったためだ。そんな中、「鉄道沿いに氷貯蔵庫を作り、貨車を冷やす」という常識破りのアイデアを思いついた。立て続けに大陸横断鉄道沿線の駅前の土地を取得し、氷貯蔵庫を建設していった。 氷詰め貨車で野菜を西部から東部へ運ぼうとして失敗した話がシュタインベックの小説「エデンの東」に出てくるが、20世紀に入り第一次大戦が始まる頃の話である。ブッシュはその50年も前にビールで氷詰輸送に成功していた。 次いで低温殺菌で発酵を止める技術も開発した。これでビールは常温でも長期間の保存が可能となった。だれも思いつかなかった発想がバドワイザーを世界に広げる第一歩となった。 10年ほど前の中国で冷たいビールは大都市の高級ホテルでしか飲めなかった。中国では長くビールを冷やして飲む習慣がなかった。というより冷やす設備もなかった。しかし、いまは違う。家庭にまで冷蔵庫が普及して、だれもが冷たいビールを飲めるようになった。だからビールの消費量が爆発的の伸びている。 ●世界の店舗近代化はチーンという音から始まった
この日本での社名の変遷がNCRという企業の変遷を物語っている。現在のコンピューターの原形は計算機だが、真空管もトランジスタも存在しなかった時代は機械式の計算機があった。NCRこそはそのキャッシュレジスターの元祖だった。 オハイオ州デイトン市の石炭商だったパターソン氏の創業譚は興味深い。1884年、町のサルーン経営者が発明した簡易レジに着目したのが事業の起こり。チーンと音の出る手動レジはいまは見ることもなくなったが、20年くらい前には日本でも店舗の定番品だった。 当時多くのサルーン経営者の悩みは、店の酒はどんどんはけているのに一向に売り上げが伸びなかったことだった。この経営者はある日、従業員が売り上げ金をちょろまかしていた事実をつかんだ。この経営者が偉かったのは従業員を追及せず、店の金銭の取り扱い方法に欠陥があったと自責したことだった。 「入金する度にチーンと音が出るようにしたら注意喚起になるのではないか」というひらめきからさっそく簡易レジを改造した。ウイスキーが売れる度にチーンと鳴るので入金状況が分かり、従業員による不正は大幅に減少した。 音が出なければパターソン氏の目に留まることもなく、音付きレジの量産はなかったに違いない。チーンという音はコロンブスの卵だった。パターソン氏が量産したレジは売り上げ金の把握で悩んでいた全米の店舗経営者の間に瞬く間に普及した。チーンという音から世界中の店舗管理の近代化が始まったといっても言い過ぎでない。 実はカード式コンピューターを発明してIBMの礎を築いた人物こそが、NCRの創業時の社員の一人だったワトソン氏なのである。1884年、デイトンのサルーンでチーンという音がしなかったら、コンピューターも生まれなかったといえば、言い過ぎだろうか。 ちなみに1972年、世界で最初にオンラインCD(現金支払機)を銀行の店舗に設置したのは日本である。そしてシステムを製造したのは日本NCRだった。少なくとも25年前の日本の頭脳は健全だったようだ。 |
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