ボーダーレス時代の日本人の"保身術"1998年04月14日(火)萬晩報主宰 伴 武澄 |
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その「北東アジア開発フォーラム」が1995年2月、新潟市で開かれたとき驚いたのは、韓国の元総理やビジネスマン、学者がみな英語でプレゼンテーションしたことだった。会議は英語、パーティーでの日本人との会話は日本語だった。それぞれ流暢に操っていた。今どき、こんなことに驚く方がおかしいという読者のお叱りが聞こえそうだ。 最近ソウルで取材したとき、大手財閥で課長昇格の必須条件は「日本語」ということだった。台北で大手企業トップにインタビューしたときは、事前に秘書から電話が入り「何語でインタビューするか」聞かれた。 アジアで一定以上の地位にいる人は母国語プラス最低で英語、そのほかにもう一つぐらい外国語ができるのが当たり前なのだ。そうしたことが常識でないのは日本と中国ぐらいのものだ。 理由は簡単だ。長い間、植民地にあった国や地域では学問の基礎が植民地側の言語でなされてきたため、家で使用する言語と学校で使う言語が違っていたという長い歴史があるからだ。 二カ国語の使用を余儀なくされた歴史はある時代までは苦悩だったが、ボーダーレス時代の到来とともに、他言語を操ってきた生活環境が逆に強みとなっているといえよう。しかし、日本にとって「そうだったのか」と簡単に済まされない今日的課題となって跳ね返っている。多くの国が参加しているパーティーで日本人だけが阻害されるという風景はまだまだ随所にある。 日本人が特殊だという主張はまだまだ多く語られる。国内にあって国際的素養を身につけた人は、一部の例外を除いて社会的に高いポストを得られない。外国語をぺらぺらとしゃべれる人が「中味がない人間」のように語られたのは過去のことではない。 外国に留学したり、外国で働いてきた人々がやがて気が付き、誰もが習慣とすることは自分の過去を隠すという保身術だ。
●運輸省が犯してきた不無作為犯罪
六法全書を紐解くとあった。船舶法第一条【日本船舶の要件】として三項に「日本ニ本店ヲ有スル株式会社及ヒ有限会社ニ在リテハ取締役ノ全員カ日本臣民ナルモノノ所有に属スル船舶」とある。99年前、日清戦争直後の明治32年に制定された。19世紀の遺物がまだ生きていた。 外航船舶業界は国内市場を持たない日本で唯一の業界で、内外という概念すらない。公海上で各国の船会社が裸で競争しており、政府が運賃を許認可していては成り立たない。船籍のほとんどがパナマやリベリア。船員もほとんどが外国人。本社が日本籍であるだけでオペレーションまで海外で行っている企業もある。 商船三井は運輸省を通じて内閣法制局に見解と質したが「法律が規定している以上、取締役就任は無理」との回答だったという。「国際的人事交流を阻む時代錯誤的な法律」として運輸省に同法改正を申し入れた。当然だ。 一番驚いたのは「臣民」なる法律用語が日本国憲法下で50年以上も生きていていたことである。運輸省がこれまで知らなかったのなら職務怠慢であり、知っていて放置してきたのだったら「不無作為犯」である。法改正を求める前にこの法律の憲法違反こそを問うべきなのではないだろうか。ドメが支配する霞ヶ関にこの道理が分かるかな。 |
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