【読者の声】コンピューター化されたフォードのグローバル人事1998年03月14日(土)共同通信社経済部 伴武澄 | |
|
1998年03月04日付萬晩報 「コンピューター化されたフォードのグローバル人事」に対する感想を掲載します。
●メルセデス本社の話はすごい
●具体的事例が欲しかった (2)「海外で意識改革に目覚めた社員は『帰ったら本社を変えてやる』と意気込んだが、帰任して半年もすると挫折した。目ざといエリート社員は『上を目指すには、海外での経験を捨て去ることが一番の早道である』ことをまもなく悟ることになる」「現在、約50万人の企業戦士が海外で働いている。そこそこのエリートである。だが、培われた国際感覚は昇進の邪魔でしかない。日本企業の国際化はその程度でしかない」の理由について何ら説明がされていないので、筆者の私的感情の域を脱していない。ニュース記事としては妥当性を欠く。たしかにそうなのかもしれないが、根拠を実例をあげて説明して欲しかった。【無名】 筆者より:1998年02月12日(木) 「フェアな競争に待ったをかけた松下本社」に具体例を挙げていますので読んで下さい。
●経験を捨てきれずに変化を待つ
●単なる嫉妬の対象でしかないのか
●経験の場と機会が足りない 私が思うには、日本人に限らず、人は内々にこもって同じ人種しか信用していないのが通常だと思います。日本人は日本人しか信用せず、現地の人たちを見下した態度を取りがちですし、中国人は中国人しか信用せず、自分達のライフスタイルを変更する気はないようです。「マレー人でマレーの国から外国人は早く出て行けと思っている人は結構多い」とマレー人の親友は言っていました。 外国人・他民族が日常として存在するマレーシアでもそうだったのに、外国人がまだまだ非日常で、総称して「外人」などと呼んでいる日本人が、そのようなアレルギー的反応を無くすには、経験の場と機会が足りないと思います。いままで1人で車を運転した事の無い人が、運転が下手なのは当たり前で、みんなで考えていくのはもっと車を運転しよう、または道で初心者にはどう対応するかだと思います。 今、既得権益を持っている40歳代〜50歳代がそれが良い・悪いは別として、新しい考え方の存在を認める事は、引退するまでしないんじゃないかと今は私は思っています。【元マレーシア勤務】
●問われる国籍を離れた職場での仕事の能力 6割くらいの出向者は、ほぼまったく日本のままでした。彼らの仕事のほとんどは日本との調整、あるいは日本人のための仕事で、昼食も日本人同士でほとんど日本飯屋へ行っていました。彼らは帰国後ほとんど問題なく短期間で復帰できます。しかし、他国において他国の文化の土壌の上で仕事をしたり、あるいは日本企業の風土を現地の人々共有することに概ね熱心ではありませんでした。また仕事以外の場に純日本人型が混じるとほかの参加者の居心地が悪くなります。彼らには、それぞれ個人としてのアイデンティティーが弱いように見受けられました。 次の3割の日本人は、現地の人々と共に仕事をし、相当程度異なった文化的風土を理解していました。かれらは、場合によっては受け入れにくい本社による決定をできるだけ合理的に説明しようとします。同時に、オフィスだけでなく、昼食、アフターフアイブあるいは週末のバーベキューなどをいっしょに楽しんでいました。不思議なことに、これらのひとびとの大部分は、帰国後まもなく日本型のタイプに復帰できるようでした。少なくとも数年の内には、まったく米国経験を感じさせないようになってゆきました。おそらく、彼らはとても器用で、それぞれの環境に対応できるのでしょう。 最後の1割は、おそらく元々日本的でなく、正に水を得た魚のように現地に溶け込みます。多くの場合、彼らはそのまま現地に溶け込むことを望み、帰国復帰をするかわりに、現地での就職をさがします。しかしながら、米国の過半はきわめて内国的風土で、日本関連以外の場での活躍は困難です。彼らの多くは、日本企業に残った場合の仕事の大きさと、生活面でのメリットをトレードオフした形になるようです。 私自身は二番目のタイプで、且つ復帰できなかった少数派だった様です。米国で、一人一人の値段がすべて異なる流動性のある雇用市場をみて、日本の制度(若年層の過剰人員と低賃金による高生産性が、高年齢層の低生産性を補完する)は企業成長の維持を必須の条件にしており、会社と一体の利害の形成で、流動性を著しく阻害していたように思われました。帰国当時(80年代後半)、私には終身雇用と年功賃金が2000年までもたないように感じられ、日本企業以外での仕事を求めることにしました。私の世代が、最終的に持ち出しに終わるのではないかと、考えたのです。 その後10年を経て仕事の国際化を思うときに、真の国際化とは日本企業の海外進出でもなく、あるいは米国企業の企業運営方法の国際的認知ではない様に思われます。個人レベルでの国際化あるいは国際的意味での価値の増加は、国籍を離れた場所における仕事の遂行能力であるでしょう。日本人女性がフォードのためにタイで日本企業取引以外のために働くという記述は、まさに個人の国際化でしょう。アジアでは極めて多くの英国人とオーストラリア人がそれぞれの出身国とは関係のない分野で働いています。英語を話すという絶対的優位性はあるものの、それ以上に高い環境対応能力があるようです。同じように英語を母国語とする米国人にはこれの対応能力がすくないようで、実際米国企業以外で働く米国人は少ないようです。現在私の部下として働いていルメンバーも英国人、インド系オーストラリア人、香港系カナダ人等国際化した人々です。但し、これら有能な人々が就職することにしたのはもっとも国際化した米国企業ではあります。【元アメリカ勤務】 |
© 1998 HAB Reserch & Brothers. All rights reserved. |