HAB Reserch & Brothers

昔の貧乏人がお金持ちになって、金持ちが貧乏人になって

【創刊1カ月記念号】

1998年02月09日(月)
共同通信社経済部 伴武澄

 「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりにという歌をを歌いながら、流れに沿って下り, 人間の村を上を通りながら下を眺めると、昔の貧乏人がお金持ちになっていて、昔の金持ちが貧乏人になっているようです」という書き出しの「アイヌの民謡」の響きのよさに心を打たれた。「銀の滴が降る」という情景は現実的ではないが、きっとだれにでも想像できる情景ではないかと思う。梟の神様はそうやって人間の世界に舞い降りてくるのだ。

   天真爛漫な稚児に向けた童話でもあり、自由な自然を失った現代人が忘れた心優しい梟の神様を信じる人間たちの物語でもあった。そんな謡を歌いながら大自然に溶け込んで暮らしていた民族があったのだとしたら、さぞ幸せな人々だったに違いない。

 アイヌにとっては、自然のすべてに神が宿る。なかでも一番崇高なのが梟の神様だ。時には獰猛性も発揮するが、ふだんはおとなしく目立たない森の鳥が一番偉い神様だということろがいかにもアイヌの民族性を表している。そして、その神様はいつも銀や金の滴の歌を歌いながら人間たちに福音をもたらすのだ。

 消え行く民族としてのアイヌに対して可愛そうだとかいう感情が湧いたわけではない。単にきれいな響きの謡だなと感じ、そんな世界があったら羨ましいなと思っただけのことだ。数年前、北海道を初めてレンタカーで旅し、旅先で購入した藤本英夫著の『銀の滴降る降るまわりに』(草風社)を読んだ。知里幸恵という19歳で生涯を終えたアイヌの少女の生涯記である。

 知里幸恵は日本の言語学の碩学である金田一京助博士のアイヌ研究の協力者だった。この少女はアイヌ民族であることに誇りを持ち続け、金田一博士のもとでアイヌ伝承文学に目覚めていく。「大正時代に、こんなアイヌの少女が生きていたのか」と感動したことを覚えている。

 ●北海道の地名はなぜ漢字表記か
 現在、博物館になっている札幌の旧道庁跡も訪れた。江戸時代の探検をもとにした北海道地図が展示してあった。地名はすべてカタカナ表記で、文字を持たないアイヌの人々がつけた地名であるからカタカナ読みは自然な感じがした。

 北海道を旅行していて一番苦労するのが地名の読み方ではないだろうか。初めて訪れた人は地元の人に場所を聞くにも、読み方が分からない。読み方が分からないと聞きようがない。北海道の212市町村のうち「カタカナとひらがな表記はニセコ町」と「えりも町」だけだ(町名や字にはカタカナ表記がたくさんある)。仕方なく、地図を広げて「ここ」と指差して聞くしかない。不便であるだけでない。読めなくて当然なのに地名が読めないということで恥ずかしめを受けなければならない。

 不便なのになぜ北海道の地名は漢字の表記のままなのだろうか。きっと、明治の役人は、北海道の地図を作るとき、アイヌの発音に苦労して漢字の当て字を考えたのだろう。明治の役人に苦言を呈しているのではない。古来、日本では中国にならって西洋の地名までも漢字で表記していたから、当然のことだった。だが、大正時代の役人は南洋群島が日本の委託統治になった時、いちいち漢字の地名などつけなかった。ちなみに第二次大戦では、シンガポールを昭南と改名した。滋賀県の湖西地方にマキノ町という地名がある。日本では唯一の片仮名の町である。片仮名の地名が北海道にたくさんあってもなんらおかしくない。他意はない。ただ自然だと考えた。

 ●アイヌから名字を考えた
 それから名字についても考えさせられた。アイヌはもともと名字を持たない。名字を持つようになったのは明治以降のことだ。戸籍を作るうえで名字がないことが障害となり、明治の役人たちが名字をつけるよう指導した。

日本人だってもともと名字を持っていたのは貴族か武士と一部の商人だけで多くの農民たちは『何々村の何々兵衛』で判り合えた世界だった。明治になって初めて名字を許された。具体的名前を出すと語弊があるが、旭川市でアイヌ民俗館を経営する川村謙一さんに聞いたら「うちは川のそばに住んでいたから川村になった」といっていた。日本だって同じようなのもだったろう。

ただ、アイヌが名字を強制されたのと、日本人たちが名字を許されたのではちょっとばかり意味合いが違う。アイヌへの差別がなくなったら、いずれアイヌらしい名字が考え出されるのではないかと期待している。

初めて接するアイヌの文化は物見遊山の気分で見て回ったが、多くのアイヌ博物館を訪れながらアイヌの過去を考えた。アイヌは文字を持たなかったこと、名字がなかったこと、よくもこんな山のなかで暮らしていたなど当たり前のことを知った。文字を持たない民族は世界でも多くある。イスラム圏では父親の名前を子供の名前のお尻に付けるだけで名字という概念はない。この間知り合ったビルマの留学生もビルマに名字がないことを教えてくれた。アウンサン・スーチーは父親のアウンサンの子であるスーチーという意味だそうだ。

 欧米流のグローバル・スタンダードでは名字は一般的だが、21世紀には名字がない民族でも生き残れる日本であってほしい。

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