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ビッグ・リンカー達の宴2−最新日本政財界地図(11)
2004年08月07日(土)
萬晩報通信員 園田 義明
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■終戦期の世界の天皇認識
「処刑すべし」33%
「終身刑」11%
「追放」9%
「裁判で決めるべきだ」17%
「政治的に利用すべきだ」3%
「無罪」4%
上の数字は終戦直前の1945年6月にギャラップによって実施された世論調査結果である。「天皇をどうすべきか」との問いに対して、三人に一人が処刑を望んでいた。戦争犯罪人の筆頭として天皇を処刑すべきだとの主張は当時、米国に限らず、中国、ソ連、オーストラリアなどを中心に根強いものがあった。
正式に動き出そうとしていた戦勝国による極東委員会は、占領政策に大きな権限を持つと予想され、マッカーサー元帥の権限に制限が加えられる可能性が高まっていた。極東委員会には既に始まりつつあった冷戦相手のソ連が含まれ、オーストラリアなどから天皇の戦争責任を追及する声が日増しに強まり始めていた。
しかも、米国務省は中国との外交関係を重視する立場から天皇制廃止論を唱えるチャイナ・クラウド(中国派)と、日本との外交関係重視から天皇制利用論を唱えるジャパン・クラウド(日本派)とが激しく対立していた。チャイナ・クラウドの急先鋒になったのはディーン・アチソンやオーエン・ラティモアである。特にラティモアは天皇と天皇位継承の資格のあるすべての男子を中国に流して抑留し、国連の監視下に置くべきだと主張した。
これに対して、ジャパン・クラウドの代表格を務めたのが1932年から10年間にわたって駐日大使を務めたジョセフ・グルー(1880-1965)である。グルーは国務省極東局局長を経て、44年12月に国務次官に就任する。日本をかばいすぎるとの激しい批判を浴びつつも「日本をハチの巣とすれば、天皇は女王バチ。女王バチが死んだら、他のハチはすべて死んでしまう」とする天皇「女王バチ」論を展開し、天皇制を擁護した。
しかし、このグルーも日本のポツダム宣言受託を見届けながら辞表を書いた。グルー退官後、チャイナ・クラウドのディーン・アチソンが新たな国務次官に就任する。日本側は絶望的な状況の中でGHQを迎え入れることになる。
■日本に降り立つボナー・F・フェラーズ
マッカーサー元帥がサングラスにコーンパイプをくわえて厚木飛行場に降り立ち、その後に続く幕僚達の中にボナー・F・フェラーズの姿があった。フェラーズはラフカディオ・ハーンの文学に接し、「ハーン・マニア」を自称するほどの親日派であり、マッカーサーの高級副官として天皇救出工作を行った中心人物である。そして彼こそがクエーカーだった。
それでは『昭和天皇二つの「独白録」』( NHK出版)、「象徴天皇の誕生」(角川文庫)、「天皇家の密使たち」(文春文庫)、「陛下をお救いなさいまし」(集英社)などをもとにしてフェラーズについて見ていこう。
フェラーズは1896年にイリノイ州リッジファームにあるクエーカー教徒の農家に生まれる。リッジファーム高校卒業後、クエーカー派のアーラム大学に進み、ここで日本から留学していた渡辺ゆりに出会い、日本に興味を持つことになる。1916年にアーラム大学を退学、軍人の道を志して陸軍士官学校(ウェストポイント)に進む。陸軍士官学校卒業後、中尉となり21年からフィリピンに駐留、22年に休暇を利用して日本を訪れ渡辺ゆりと再会し、この時恵泉女学園を設立したクリスチャンの河井道を紹介されている。ここで、ラフカディオ・ハーンの文学に接し、30年には夫人と共に再来日しハーンの遺族を訪ねている。
33年から二年間を陸軍指揮幕僚大学に在籍し、論文「日本兵の心理」を残している。この論文は44年に軍内部で出版され、日本兵を知るためのテキストのひとつになった。36年に再びフィリピンに派遣され、この時の上司がマッカーサーである。37年にマッカーサー、フィリピンのケソン大統領とともに日本に立ち寄るが、この時グルー駐日大使の主催で歓迎レセプションが行われ、一色乕児・渡辺ゆり夫妻も招かれている。フィリピン勤務を終え、米国で陸軍大学に入学、在学中の38年に4度目の来日をはたした。陸軍大学卒業後、母校の陸軍士官学校で英文学を教え、40年に少佐に昇進、アメリカ大使館付き陸軍武官兼イギリス軍観戦武官としてエジプトに赴任する。真珠湾攻撃はこのエジプト赴任中の出来事となった。
エジプトから帰国したフェラーズは准将に昇進し、戦略事務局(OSS.CIAの前身)の計画本部に勤務、43年9月にオーストラリアのマッカーサー司令部に派遣され、統合計画本部本部長、そしてマッカーサーの軍事秘書、司令部内の心理作戦部(PWB)部長として、日本人に対する心理作戦を立案、実行することになる。フェラーズ文書には当時つくられたビラやパンフレットが残されているが、この時すでに戦争責任を負うべきは軍首脳部であり、天皇はだまされているとする「天皇免責論」が反映されていたことに注目すべきであろう。さらに45年4月上旬に新たに策定された「対日心理作戦のための基本軍事計画」では次のような方針が付加されている。
「天皇に関しては、攻撃を避け無視するべきである。しかし、適切な時期に、我々の目標達成のために天皇を利用する。天皇を非難して国民の反感を買ってはならない。」
フェラーズもリアリストであったことがよくわかる。おそらくクエーカーとしての立場も人脈構築に使われていたはずである。決して宗教的な動機だけで動いているわけではなかった。フェラーズの考え方は当時のグルー国務次官の天皇「女王バチ」論に通じるところがあるが、一色乕児・渡辺ゆり夫妻が招かれたグルー駐日大使の主催の歓迎レセプションで二人は会っていることは間違いない。
■日本側受け手の「陛下をお救いなさいまし」
当然のことながら日本側に受け手がいないとクエーカー国家は成立しない。日本に着いたフェラーズは旧知の渡辺ゆり(この時には結婚して一色ゆり)と河井道の消息を尋ねることから始める。二人の居場所を突き止め、アメリカ大使館の自室の夕食に二人を招待したのは1945年9月23日、戦後大使館に入った最初の日本人ゲストとなった。天皇とマッカーサーの初会見が行われたのはこの4日後の9月27日である。
フェラーズは大使館についた二人を抱きかかえんばかりに歓迎し、マッカーサーの幕僚達にも紹介した。食事が終わると、フェラーズは天皇の戦犯問題を切り出す。二人とも米国に学んだクリスチャンであり、天皇崇拝者ではなかった。それにもかかわらず、ゆりは「天皇陛下にもしものことがあったら、ねえ、先生、私たち生きていけませんよね」と口走り、河井も「日本にとって大変なこと」であると語る。この時のフェラーズの日記には「天皇が追放されれば暴動が起きるだろう」という河井の言葉が書き込まれた。
フェラーズは二人の意見を取り入れながら天皇不起訴を進言する覚書を作成し、マッカーサーに提出する(10月2日付最高司令官あて覚書、日本語全文は「陛下をお救いなさいまし」にある)。
またフェラーズはこの直後の10月4日に第二の覚書を提出している。ソ連の天皇制批判が高まる中で、フェラーズは米国国内の論調とソ連の動向を箇条書きにしながら、天皇訴追の危険性を警告している。「ソ連は、日本に革命が起こることを望んでいる。我が国(米国)の政策は、革命を期待しているかのようだ。革命には、天皇の排除が最も有効なのである。」と記し、天皇を排除すれば日本人の暴動を招くとの主張を繰り返した。
こうした中で11月29日に本国政府はマッカーサーあてに天皇の処遇問題に関して、判断に必要な証拠の収集を命じ、マッカーサーに一任されることになる。
本国政府の要請に応じて、フェラーズは休むことなく次の天皇救出工作に着手する。天皇の無罪を立証するための証拠作りに取りかかったのである。この中には万が一に備えた天皇自身による立証としての「昭和天皇独白録」含まれていた。この第二の工作には二人の日本人が関わっている。関屋貞三郎と寺崎英成である。
関屋は1921年から12年間宮内次長を務め、万年次官と言われた。そして、46年3月には枢密顧問官となり官中・府中とGHQとの「架け橋」を務めた。
寺崎は外務省に入省し、日本大使館の一等書記官として開戦直前期の対米交渉役を務めた。外務省アメリカ局長であった兄の太郎と連絡をとる際に、日米関係を表す暗号として一人娘の名前「マリコ」を用いたことで広く知られている。寺崎は46年2月にフェラーズの提案に基づいて設置された「御用掛」に就任するが、フェラーズの祖母にあたるベッツィー・ハロルドが、寺崎の妻、グエンドレン・ハロルドの叔母にあたることがわかり、二人の関係は接近し、頻繁に接触を重ねることになる。そして、日本語と英語の「昭和天皇独白録」を残した。
マッカーサーの天皇の処遇問題に関する回答は翌年1946年1月25日のワシントンにあてた電報に記されている。
「天皇を戦犯とみなすに足る確実な証拠は発見できなかった。天皇を破滅させれば、国家が崩壊するであろう。(混乱を抑えるため)最低100万人の兵力を必要とし、予測できない長期間の駐留が必要となるだろう」
この報告を受けて、ワシントンの天皇訴追論は終止符を打つことになる。
フェラーズは晩年のインタビューでこう語っている。
「当時、本国(=米国)や連合国の間で天皇批判の声が高く、その圧力に抗するために覚書を書いた。大体の案はあったのだが、確認のために河井道に協力してもらった。(中略)河井道自身は知らないことかもしれないが、マッカーサーの天皇観は、たぶん河井の影響を受けている」
園田さんにメール mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp
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