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高校バレー・名監督の『犯罪』

2004年06月23日(水)
萬晩報通信員 成田 好三

 「おいおい、まだこんな教師がいるのかよ。これじゃまるで殺人未遂で罰せられる犯罪じゃないか。だから俺はスポーツが嫌いなんだよ。こんなことがまかり通っているなら、学校教育からスポーツを排除すべきだよ」

 飲み屋での友人の言葉である。彼は、スポーツにはまったく関心をもたない。プロ野球も、サッカーW杯や五輪でさえも興味がない。「五輪のTV観戦のために寝不足になる奴の気が知れんね」などと平気で言い、今夏のアテネ五輪時の寝不足を今から覚悟している人間(筆者)の気分を悪くさせるような男である。

 そんな彼が珍しくスポーツを話題にした。それも少し興奮気味にである。彼は、ある新聞に載っていた記事を読んで、驚き、そしてあきれてしまった。彼はスポーツ面など見ない。しかし、この記事は社会面に掲載されていたので、彼の目にとまったのだった。

 スポーツ嫌いの友人が驚き、そしてあきれた『犯罪』を扱った記事は、6月9日付読売新聞朝刊の社会面に、「風邪で高熱、入院させず練習 バレー部員一時危篤」の4段見出しで掲載された。以下、記事の一部を引用する。

 バレーボールの「春の高校バレー」で4度の全国優勝を誇る男子の名門、岡谷工業高校(長野県岡谷市)の前監督(48)が、今年3月に当時2年生の主力選手が風邪をこじらせた際、病院で診察を受けさせるなどの処置を怠り、この部員は一時危篤状態になっていたことが8日、分かった。(中略)家族などの話によると、この部員は3月4日に高熱がでて、近くの病院で、「設備の整った同市内の病院への緊急入院が必要」と診断された。しかし監督は入院させずに学校に連れ戻した。その後、全国大会に向けて無理を押して練習や遠征に参加し続けたために、部員は同月下旬に敗血症などで一時心肺機能停止に陥った。(以下略)

 前監督は妻を寮母役として自宅にバレー部員を住まわせており、一時危篤になった部員もこの寮で生活していた。

 この問題が明らかになったことから、長野県教委は前監督を県教委高校教育課付に異動させた上で、6月11日、停職6か月の懲戒処分にした。この懲戒処分を取り上げた読売新聞は、「生死の境をさまよった部員は闘病生活で81キロあった体重が今は50キロ台にまで落ちた」(6月12日付朝刊・スポーツ面サイド記事)と記している。また、この記事では、この部員が「見学に来ていた両親の前で監督から顔をたたかれて鼻血を出している」と、日付を特定して伝えている。同高バレーボール部では、指導の名のもとに、日常的にこうした体罰が繰り替えされていた。

 何ともおぞましい『事件』である。刑事事件としては立件されないかもしれないが、社会の常識では、前監督(教師)の行為は明らかに犯罪である。

 マスメディアはこの『事件』を例外的ケースとして扱っている。しかし、実態はそうではない。前監督の立場と、一時危篤状態に陥った部員の置かれていた状況には普遍性がある。高校スポーツの名門校ではほとんど当たり前の環境の中で、『事件』は起きたからである。

 ここからは、『事件』の背後にある根本的な問題について考えてみたい。根本的問題は二つある。その一つは高校生レベルでの『勝利至上主義』である。高校レベルでも競技スポーツであるから、各校が勝利を目指すのは当然のことである。競技スポーツから『勝利への意思』を削除したら、何も残らなくなる。しかし、高校レベルでの『勝利への意思』は抑制的であるべきである。

 高校レベルでは、『育成』と『勝利への意思』とのバランスを取る必要がある。選手が将来、大学、社会人レベルで活躍できるよう、ステップアップの時期と考えなくてはならない。しかし、野球など他の競技も含めて、現状はそうなってはいない。

 前監督にしても、春の高校バレーの時期ではなかったら、この部員に対してこれほどの無理はさせなかっただろう。全国レベルの名門校の監督として、前監督には学校、地域、部員の父母らの全国優勝への期待が重くのしかかっていたことは、容易に想像できる。

 もう一つの問題は、より深刻である。前監督が、絶対的な権威者、権力者として部員を管理していたことである。前監督は同校の教師でもある。全国から集まった部員は、前監督の自宅である寮で生活している。寮母は前監督の妻である。部員は寮で寝起きし、教室、練習場である体育館に通い、寮に戻るという生活を繰り返している。

 練習や遠征では、前監督は絶対的な権威と権力をもつ。寮では前監督の妻が前監督の代理人の役目を果たす。教室でも、他の教師を通して前監督は部員の情報をいくらでも入手できる。部員は生活全般にわたって前監督に管理されている。

 それに加えて、前監督は「春の高校バレー」を含め全国優勝を何回も達成した、高校バレー界の名監督である。「バレーボールのまち」を標榜する岡谷市の名士でもある。県教委も校長も、他の教師も前監督の体罰を組み込んだ指導に異議をとなえることはできなかった。子どもを預けた父母はなおさらである。子どもが、前監督によってレギュラーに指名されるかどうかによって、その子どもの、その後のスポーツ人生が大きく変るからである。

 24時間体勢で管理される部員と、絶対的な権威、権力、情報をもって管理する前監督。極めて強固な上下関係、支配・被支配の関係が、あの『事件』を引き起こした。そうした関係が成立していなければ、前監督は医師の緊急入院の指示を無視してまで練習を強要しなかっただろう。部員も、命を落とす直前まで、前監督の命令に従ったとは思えない。こうした関係は、人間が本来もつ、自分の命の危険に関する防衛本能まで希薄にさせてしまうほど、強い力をもつ。

 高校レベルでの過度の『勝利至上主義』と、指導者と部員の支配・被支配の関係を抜本的に見直さない限りは、こうした『事件』はいつでも発生する可能性がある。(2004年6月20日記)

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/


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