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ブッシュと小泉の宗教集票マシーン(2)

2003年11月03日(月)
萬晩報通信員 園田 義明

 ■公明党と創価学会

「現に、フセイン大統領はいまだに見付かってないんですよ。生死も判明していない。フセイン大統領が、見付かっていないから、イラクにフセイン大統領は存在しなかったということ言えますか?! 言えないでしょう!」

 ラッシュ・リンボウでさえも驚くに違いない歴史的な迷言を残したのが小泉首相である。鎮痛剤依存症のリンボウに対して、小泉首相は創価学会依存症の徴候が見られるようだ。

 10月10日最重要法案であるテロ対策特別措置法を2年間延長するための改正テロ対策特別措置法成立後、衆議院は解散、これを受けて政府は臨時閣議を開き10月28日公示、11月9日投票の第43回衆議院総選挙が決まる。総選挙は小泉政権発足から2年6カ月で初めてとなる。

 60%を超す高支持率を味方に付ける小泉首相と北朝鮮拉致問題で国民的人気を高めた安倍晋三自民党幹事長のコンビに対して、菅と小沢の2枚看板で挑む民主党との「二大政党」対決に注目が集まる。

 今から10年前の1993年7月18日の総選挙の結果、議席数は自民党223、社会党70、新生党55、公明党51、日本新党35、民社党15、共産党15、さきがけ13、社民連4、無所属30となり、自民党が過半数割れを起こした。当時新生党の代表幹事であった小沢一郎の強力なリーダーシップのもとに8月9日、日本新党の細川護熙を首班とする非自民非共産の8党派連立政権を樹立させた。この10年に及ぶ連立時代の裏側で常にキャスチングボートを握ることになる公明党の支持母体、創価学会に焦点をあててみたい。

 ■創価学会の集票能力

 公明党の支持母体である創価学会は1930年に設立された日蓮の仏法を信奉する宗教団体であり、戦中は政府に弾圧されたが、戦後に再建、池田大作第三代会長時代の60年代には高度経済成長の陰で「貧・病・争」に苦しむ庶民を対象に急速に勢力を拡大した。公明党は、創価学会が求める平和、文化、教育、福祉、医療などの社会的弱者に配慮した政策を打ち出してきたが、与党経験を積む中で戦争をも支持(黙認)するようになる。

 2000年11月の創価学会の活動方針で示された5年ごとに更新している学会員の国内世帯数は、同年11月1日現在、821万世帯(前回812万世帯)、海外の会員数が163カ国・地域150万2000人(前回148カ国・地域、136万人)となっている。また公式ホームページでは機関誌である「聖教新聞」の発行部数を約550万部としている。会員数は、「全国に1000万人を越える会員を擁している(1995年の日本外国特派員協会での秋谷会長のスピーチより)」とのことであるが、いずれの数値も創価学会側発表のため、新聞各社は公称として扱うケースが多い。

 最近の選挙での比例代表における公明党獲得数は800万票前後であり、これは一小選挙区当たり2万から3万票に相当すると言われている。

 低投票率時代にあって、見込める創価学会票を狙う飢えたドラキュラ達が今日も日本国中を群がるように徘徊している。

<比例代表での新進党及び公明党の得票数及び得票率>

新進党
第17回参議院議員通常選挙結果(1995.07.23) 12,506,322 (30.75%)
第41回衆議院議員総選挙結果 (1996.10.20) 15,580,053 (28.04%)

公明党
第18回参議院議員通常選挙結果(1998.07.12) 7,748,301 (13,80%)
第42回衆議院議員総選挙結果 (2000.06.25) 7,762,032 (12,97%)
第19回参議院議員通常選挙結果(2001.07.29) 8,187,804 (14.96%)

 ■クリスチャン・コアリションと創価学会の集票方法

 佐藤圭一著「米国政教関係の諸相(成文堂)」によると、クリスチャン・コアリションは年間4000万通以上のダイレクト・メールを配布するためのデータ・バンクと通信機能を備えており、選挙には「ボーダーズ・ガイド(有権者の手引き)」を作成し、1994年の中間選挙では3300万枚、1998年の中間選挙では4500万枚が有権者に配布された。配布場所として教会の中で行われることもあり、協力する教会数は94年が約12万、98年には12万5千に達しているとのことである。

 このクリスチャン・コアリションに対して、創価学会の集票活動は、まさに「草の根(グラス・ルーツ)」を基本としているようだ。1995年8月の朝日新聞発行の雑誌「AERA」が詳細に報じているので一部を紹介したい。

 創価学会は公明党候補者のために地縁血縁を頼りに積極的な集票活動を行っており、学会員が血縁、友人、知人を頼って票のとりまとめに動く「F票(Fはフレンドの頭文字)獲得活動」や、学会の中でもあまり熱心ではない学会員を投票に行かせたり、票の取りまとめに協力してくれるように働きかけたりする「K作戦(Kは活動家の頭文字)」、自分の選挙区以外の都道府県まで出向き、そこに住む知人らに投票を頼む「交流」という活動などを地道に行っている。

 「創価城下町」で知られる八王子では創価大学、創価女子短大、創価高校などに出入りする1万3000社もの土建業者、電機関係、通信機器、生命保険、内装業者、造園業者、購買関係先等の各社から社員名簿を提供してもらい、学会員が電話でお願いする。また投票用紙を模した紙に、候補者名と、政党名「新進党(当時)」と書かせる練習までしたようだ。「進新党」と書くお年寄りが多く、全部ひらがなで書くように世話役が丁寧に「教育」したと報告されている。

 ■小沢一郎と創価学会

「学会のすごさが分かるはずだ」・・・小沢一郎

 小沢は1995年の参院選では「創価学会パワー」を100パーセント引き出す作戦を取った。比例代表の名簿登載順位でも、党内から「旧公明党優先」との不満があがるほど上位に旧公明系候補を並べたのである。

 小沢一郎前自由党党首は、自民党時代は田中角栄元首相の「秘蔵っ子」として力をつけ自治相、幹事長など歴任し、自民党最大派閥の竹下派の会長代行だったが、金丸信・元副総理の佐川急便事件の処理に端を発した派内抗争で、小渕恵三や野中広務らに敗れ、1992年羽田孜らと竹下派を離脱。翌1993年、政治改革を掲げ離党、新生党代表幹事として非自民各党派をまとめ、細川連立政権を樹立、自民単独政権を崩壊させた。1994年には公明党、民社党などを巻き込み「新進党」を結党する。

 当時の最大のテーマは政治改革であり、小沢は改革の旗手をアピールし、自民党幹事長だった梶山静六や加藤紘一らが小選挙区制導入に消極的だったことから、小沢は次第に世論の支持を集めていく。この後、細川連立政権下で衆院への小選挙区比例代表並立制を柱とする政治改革関連法を成立させるまで、政治改革こそが小沢の力の源泉だった。

 小沢の狙いは、自由競争、小さな政府、積極的な国際貢献などを柱とする日本型「新保守主義」の理念による構造改革と二大政党制の実現である。

 しかし、小沢率いる新進党は、1995年の参院選で自民党に肉薄したものの、1996年の総選挙で200議席を目指しながら150議席余にとどまったため、翌年には旧公明党参院議員との分党問題をきっかけに新進党は解党することになる。

 新進党結成後初めての本格選挙だった1995年の参院選では、創価学会が全面支援し、低投票率にも助けられ、新進党が比例区で自民党を逆転し「第一党」となる原動力になった。しかし、1996年の総選挙では、「比例代表は新進党、小選挙区では人物本位」との従来の方針を掲げたものの、その中身は自民党候補を支援したり、自主投票にしたりする選挙区もあった。

 理由として、離党者が相次ぎ、オレンジ共済組合事件が明るみに出るなど、小沢の求心力が低下したこともあげられるが、最大の要因は自民党が総力戦で臨んだ「反学会キャンペーン」である。

 ■自民党の「反学会キャンペーン」

「新進党は創価学会が主力の政党。万一、新進党が次期衆院選で勝てば、一大宗教政党が日本を牛耳ることになりかねない」「新進党は宗教政党、創価学会の党だ。当選すれば天国、落ちれば地獄で、一種のアヘンだ。新進の候補も入信しないとやっていけなくなる」・・・山崎拓国対委員長(当時)

「新進党は小沢一郎幹事長が強引過ぎて批判を受けたが、最近は市川雄一政務会長の強引さ、背後の宗教団体の強引さに警戒を持たなければならない。宗教団体が政治を仕切るようになったら、日本も危ない」・・加藤紘一政調会長(当時)

 この発言は共に1995年7月17日に群馬県高崎市の講演で飛び出した発言である。更に強烈な発言もある。

「オウムはサリンと自動小銃で政権を掌握しようとしたが、学会はこれを選挙でやろうとしている」

 この発言は「反学会キャンペーン」の急先鋒となった「憲法二十条を考える会」の代表を務めた亀井静香・自民党組織広報本部長(当時)の発言である。しかし、創価学会を震えあがらせたのはもう一つの発言であろう。その発言とは・・・。

「池田大作さんに宗教法人特別委員会に参考人として出てきてもらい、宗教法人法の改正に反対の理由を述べてもらいたい」

 細川・羽田内閣の打倒を目指す亀井は1994年2月18日昼、東京・赤坂で秘密会合を開いた。出席者は全日本仏教会、神社本庁、立正佼成会、霊友会、天理教、大本教、仏所護念会、崇教真光の代表等である。同日付けで「憲法二十条を考える会」の設立趣意書が作成される。現在の自民党中枢にいる議員が多数名を連ねている。

<「憲法二十条を考える会」役員(設立時)>
顧問   原田憲 塩川正十郎 綿貫民輔 中尾栄一 石原慎太郎 水野清
      中山正暉 中山太郎 塚原俊平 大河原太一郎 井上裕 
      佐々木 満 村上正邦
代表   亀井静香
代表代行  田沢 智治
副代表   村岡兼造 佐藤信二 玉沢徳一郎 与謝野馨 麻生太郎 桜井新
      高村正彦 平沼赳夫 中馬弘毅 白川勝彦 宮崎秀樹 
      下稲葉耕吉
幹事長   島村宜伸
事務局長  額賀福志郎
事務局   自見庄三郎 尾身幸次 村上誠一郎 衛藤晟一 石原伸晃 
      安倍晋三 成瀬守重 尾辻秀久 西田吉宏
幹事   亀井善之 野中広務 大島理森 町村信孝 木村義雄 武部勤
      谷津義男 長勢甚遠 松岡利勝 森英介 野田実 藤井孝男 
      松浦功

出所:白川勝彦「憲法二十条を考える会」の結成と顛末
http://www.liberal-shirakawa.net/criticize/const_a20/index.html

 しかし、この「憲法二十条を考える会」は自民党と創価学会との長年にわたる絆を再認識させる結果ともなる。このことは、山口一区から自民党公認で初当選したばかりで「憲法二十条を考える会」事務局として参加した安倍晋三現自民党幹事長の1994年11月1日に開催された「四月会」の緊急フォーラム(東京・憲政記念館)での発言に象徴されている。

(「四月会」は俵孝太郎が代表幹事を務めた創価学会と公明党に批判的な宗教団体や有識者の集まりである。1994年5月、当時自民党の支持団体であった立正佼成会、霊友会、仏所護念会教団などを中心に結成されたが、自民党が公明党と連立を組んだため、一部教団が自民党との関係修復を模索し始めたことから、2001年3月に解散する。)

「公明党から立候補していない選挙区なので、父の代から創価学会に支援して頂いた。ところが、『憲法二十条を考える会』の集まりに参加した翌日、公明党の地元幹部から電話があり、『考え直さないといけない』と言われた」

 創価学会が反権力・反体制主義を転換して政治権力との協調を志向し始めたのは1970年の、佐藤内閣の時であった。創価学会が勢力拡大の絶頂期にあった1969年に刊行された藤原弘達著『創価学会を斬る』をめぐる出版言論妨害事件で窮地に立った創価学会は自民党に歩み寄ることになる。池田大作会長は佐藤首相に、竹入義勝公明党委員長は田中角栄幹事長(いずれも当時)に接近し、友好関係構築に成功する。

 佐藤-田中派と創価学会? 公明党との協調関係は、竹下登幹事長・首相-矢野絢也書記長・委員長、小沢一郎幹事長-市川雄一書記長の関係を軸として維持された。この関係は1993年の小沢の反乱に市川雄一氏が加担したため一時混乱を巻き起こすが、1996年の総選挙で竹下・小渕派と創価学会の協調関係は修復されることになる。

 この修復には「池田名誉会長の証人喚問要求」の揺さぶりが強く影響したことは間違いない。

 ■日本での政治と宗教

<日本国憲法二十条 信教の自由>
  1. 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
  2. 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
  3. 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
 米国同様日本でも森首相による「神の国」発言問題や靖国神社公式参拝問題に代表されるように、政教分離に関する議論は活発に行われてきた。ここで日本人の宗教観に関する2000年と2001年に読売新聞が実施した世論調査結果がある。
 
 2001年12月15、16日に実施された全国の有権者3000人に行った調査では、「幸せな生活を送るうえで、宗教は大切だと思うかどうか」の質問に対して、「そうは思わない」が62%と多数派ながら2000年2月の同調査より3ポイント減少しており、「大切である」が34%で3ポイントアップしている。

 「大切である」は、1979年調査(46%)以降、減少を続け、地下鉄サリン事件が起きた95年の調査では過去最低の26%にまで落ち込んでいた。それが、98年(27%)、2000年(31%)と徐々に上昇し、今回は同事件前の94年調査と同レベルとなった。

 2000年2月の調査では政教分離に関する調査も行われ、宗教団体が政治や選挙にかかわることを「望ましくない」と考える人は68%にのぼり、「問題はない」はわずか5%にとどまっている。「望ましくない」は、宗教法人法の改正問題が持ち上がった1995年調査より4ポイントも上昇、宗教と政治のかかわりに対する抵抗感は強くなっている。

 当時自民、自由、公明三党による「自自公連立政権」に、創価学会を支持母体とする公明党が参加しているが、野党や自民党内の一部から「政教分離の点で問題だ」とする意見が出ており、これらがこの時の調査結果にも影響を与えているものとみられる。

 また支持政党別にみると、公明支持層の6割近くが「問題ない」としているのに対して、自民支持層では71%が「望ましくない」と回答。「望ましくない」は民主、自由、共産の各支持層でもそれぞれ7割に達するなど、公明支持層との間で数値に大きな開きがあった。

 こうした世論調査は米国同様、定期的に同じ質問内容で実施されることをお勧めしたい。

 ■ 小泉純一郎と創価学会

 目まぐるしく合従連衡を繰り返す連立時代の中で、泳ぐ術を身につけた者だけが生き残る世界に見えてくる。1999年8月13日、公明党の入閣は憲法違反だとして19人の自民党議員が意見書を提出する。

「公明党との閣内協力については憲法に定める政教分離の原則に照らして疑義があり、よって私たちは、これに慎重に対処することを強く望むものである」

 19人の自民党国会議員(石原伸晃、江口一雄、江渡聡徳、奥谷通、小澤潔、小此木八郎、尾辻秀久、小林興起、小林多門、佐藤剛男、白川勝彦、自見庄三郎、鈴木俊一、原田義昭、平沢勝栄、穂積良行、武藤嘉文、森田健作、渡辺具能)の中で「憲法二十条を考える会」の設立時のメンバーで残ったのは、石原伸晃と白川勝彦と自見庄三郎だけとなった。

 反創価学会を旗印に自民党を離党した白川は、激戦区新潟5区で田中真紀子に挑むことになる。2001年の参院選同様、立正佼成会が支援しているのであろう。約200万世帯の会員を抱え、「四月会」を発足させるなど長年創価学会と対立してきた立正佼成会は、これまでの自民党路線からから民主党支持へと変わりつつある。総選挙の水面下で熾烈な宗教戦争が行われているのである。

 小泉首相は、2002年11月の公明党大会に来賓として出席した。小泉首相は9月に南アフリカを訪れた際にNGO主催の展示場で池田大作名誉会長が撮った満月の写真を見たことを紹介し、「月のように孤高でも耐えていかなきゃ。それが首相の心得。池田名誉会長が撮った写真を眺めて不動心ってものは大事だな」と、最大限に池田名誉会長を持ち上げた。

 「10月解散、11月総選挙」の流れをつくったのは公明党である。小泉首相は衆院解散・総選挙の時期について、公明党の意向を尊重し「今秋」解散の流れが固まったのである。公明党の神崎武法代表が記者会見での「ダブル選挙なら、自民党候補まで手が回らない」発言が決め手となった。公明党が同日選阻止にこだわったのは、同日選になれば衆参両院に力が分散されるうえ、計4票もの投票用紙へ記入の「お願い」かつ「指導」をせねばならず、高齢者に支えられた「創価学会パワー」のフル稼働による組織選挙の徹底が困難と判断したからである。また自民党に有利な同日選になれば、参院で自民党が単独過半数を回復する可能性があるため、いつしか同日選回避は公明党の至上命題ともなった。

 小泉首相が同日選による単独過半数の夢を捨ててまで「10月解散、11月総選挙」を決めたのは、「創価学会パワー」の安定性とイラクへの自衛隊派遣による「自衛隊員死亡のリスク」を回避の狙いである。つまり、イラク派遣による自衛隊員の死亡すら織り込み済みということに他ならない。

 1995年9月11日夜の総裁選公開テレビ討論では小泉首相はこんな発言をしている。

「自民党では創価学会のような熱心な選挙運動はできない。選挙であまりにも有効に機能するため頼り切って、その団体の言うことしか言わない。その団体が嫌だといったら何も言えなくなってしまう雰囲気になると怖い」

 「言うことしか言わない」ふりをしながら、リスクより「創価学会パワー」という現実を選んだ小泉首相のしたたかさがここにある。

 10月26日に投開票された参院埼玉補欠選挙で自民党新人の関口昌一氏(50)が接戦を制した。27・52%の低投票率は「創価学会パワー」の威力をまざまざと見せつける結果となった。

 一方民主党に合流した小沢は、共同通信とのインタビューで解体した新進党の教訓として「党内抗争をやめること。党首選で負けた方がワーワーやって、まとまりがつかなかった。それと創価学会、公明党という特殊な組織を抱えたから解体した」とし、「政権が変われば自民党はバラバラ、公明党はどこへ行くか分からない。そうなれば必然的に再編だ」と語る。

  小沢発言の裏には創価学会の最大の問題を見通したものであろう。池田名誉会長は1928年1月2日に生まれた。これが避けることの出来ない、もうひとつの現実である。

 ■ジハード(聖戦)という名の新たな脅威

 「自民党の暴走を許さない」をキャッチフレーズにした公明党とその支持母体である創価学会の「平和」は、今日に至るまで小泉首相のタカ派路線に対して黙認を繰り返すだけであった。その象徴的な出来事が2002年のイージス艦派遣問題である。

 読売新聞によると、2002年10月7日、直前まで訪米していた額賀福志郎自民党幹事長代理は、米国のイラク攻撃が必至な情勢であるとの分析を伝え、手薄になるアフガニスタンのイージス艦派遣の有効性を訴えた。これに対して、小泉首相は「押し切る理屈づけが必要だ」と答える。イージス艦派遣で。政府や自民党が最も頭を痛めたのは、公明党の説得だった。米同時テロ直後も公明党の強い反対で断念した経緯があるからだ。

 同年11月19日の防衛庁幹部の一人が、公明党幹部の事務所に訪ねた。「現在派遣しているヘリ搭載護衛艦は建造から25年もたっています。外の気温は40度あり、冷房の利きが悪いため、艦内温度は30度もあります。冷房装置が新しいイージス艦なら25度まで下げられ、居住性に優れています」と説明した。

 この時、公明党幹部は目を輝かせてこう語る。

「それだよ。それをどうして早く言わないんだ」

 公明党幹部は、長期派遣の自衛隊員の居住性を良くするためなら、党内に根強い反対論を薄めるのに役立つ言い訳になると判断したのである。こうして12月8日からのリチャード・"ショー・ザ・フラッグ"・アーミテージ国務副長官の来日に合わせて、政府は12月4日に派遣を決める。連立与党内で最後の最後まで首を縦に振らなかった幹部は、野中広務元幹事長だけであった。

 「10月解散、11月総選挙」の決定は、公明党とのパイプ役が連立政権の生みの親である野中広務元幹事長から小泉?山崎ラインに傾いたことも決定付けた。これはどう見てもこれまでの主張を捨ててまで権力にすがりつこうとしているようにしか見えない。


「不法者どもは知るがよい。我々にはこの不公平な戦争に参加するすべての国、特にイギリス、スペイン、オーストラリア、ポーランド、日本、イタリアに対して、適切な時期と場所で応戦する権利がある」

 カタールの衛星テレビ、アルジャジーラは10月18日、国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンの声明とされる音声テープを放送した。ビンラディンが日本を名指しで警告を発したのは初めてである。米国のイラク占領についてイスラム世界に対する新たな十字軍であり、宿命的な戦争だとして、イスラム教徒にジハード(聖戦)参加を呼び掛けた。さらに米国内外で自爆テロ作戦を継続すると警告した。

 米中央情報局(CIA)は10月20日、この音声テープについて、ビンラディン本人の可能性が高いとの分析結果を公表する。

 結果として日本は北朝鮮に加えて、ジハード(聖戦)という名のアルカイダによるテロの脅威をも引き入れてしまった現実を直視する必要がある。特に創価学会という宗教集団を率いる公明党は、ジハード(聖戦)の持つ言葉の重みを真摯に受け止めるべきだ。

 中東で強引に民主化を進める日米両国は、まず足元を点検することをお勧めしたい。特に日本では票に飢えたドラキュラ達が今日も流行となった国益を口にしながら熱弁を振るう。しかし、残念ながら世界のことも知らない、知ろうともしないドラキュラ達に国益が語れるはずがない。ここに経済問題も含めたすべての元凶が潜んでいることを最後に指摘しておきたい。(おわり)

□引用・参考

朝日「AERA」、毎日「エコノミスト」
共同通信・中国新聞・朝日新聞・産経新聞・読売新聞・日経新聞・時事通信・ロイター・毎日新聞他

'Bin Laden' messages: Full text
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/3204230.stm

 園田さんにメールは mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp


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