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リベリアへの平和維持部隊派遣のすすめ

2003年09月29日(月)
萬晩報通信員 齊藤 清

 【コナクリ=ギニア発】国連安保理は9月19日、14年間にわたる内戦で、15万人以上の死者、200万人以上の国外難民・国内避難民が出たといわれる西アフリカ・リベリア(人口330万人)の和平を確立するため、平和維持部隊(UNMIL)として1万6000人を派遣する決議案を採択した。

 ◆テイラー大統領の亡命

 リベリア国民議会は2003年8月7日、上下両院でテイラー大統領の辞任を承認し、ブラー副大統領に大統領権限を委譲することを決定。

 8月11日、首都モンロビアで大統領の権限委譲のセレモニーが行われた。ガーナのクフォー大統領、モザンビークのチサノ大統領、南アのムベキ大統領らの賓客が参列。これは、この日を最後に首都モンロビアを離れ、ナイジェリアに亡命するはずのテイラー大統領の最期を看取る儀式でもあった。公式行事として亡命の挨拶をするというのもかなり妙なもので、世にも稀なものではあるものの、何事もショーアップすることを趣味としている氏に対しては、それなりの舞台をしつらえて背を押し、精一杯の手向け花を飾る必要があったものと思われる。

 氏はキリスト教信者ということになっていて、別れの挨拶のその言い回しは、いつものように宗教的な味付けのかなり濃いものであった。「リベリアの危機を救うための生贄の仔羊として国を離れることを決めた」と、アフリカ諸国の指導者はすべからく弁舌さわやか、聴衆を感動させる術を心得ていて、ことにテイラーはその筆頭でもあるといわれるだけあって、大統領退陣を表明した後のこの国での最後の挨拶も、時にフレーズごとに韻を踏みながら徐々に感情を盛り上げ、口舌の雄の名に恥じない立派なものであった。

 当然のように、ギニアを通じてリベリアの反政府勢力LURDを資金援助し、訓練し、武器の支援をした米国を非難し、「これはアメリカの戦争である」と断定。「私はこの国を離れたくはない。しかしアメリカの力がそうさせたのだ」とスピーチ。そして最後に、「神の思し召しがあれば、戻って・・・くるだろう」と、いくぶん途切れがちにトーンを落として付け加えた。この一言が、しばらく後になって不気味な意味を持ってくる可能性もないではない。

 そして、ナイジェリア政府が用意したボーイング737機に、防弾仕様のリムジンと豪華仕様の四輪駆動車、そして大量の引越し荷物の品々を積み込み、8月11日午後、テイラーはリベリアを去り、ナイジェリアへ居を移した。隣国シエラレオネの内戦に介入したとして、国連の戦犯特別法廷から起訴されていることには、あるいは目をつぶることで裏の合意ができているのかもしれない、と思わせる雰囲気でもあった。

 この日、リベリアの沖合いには、米国の軍艦3隻が二千数百人の米兵を乗せて停泊していた。

 ◆反政府勢力LURD代表の動き

 テイラー大統領の出国を目前にした8月7日、反政府勢力LURDの代表セクー・コネは、パリでラジオ・フランス(RFI)のインタビューを受けていた。

 『フランス当局にも状況を報告すると同時に、リベリアの窮状を訴えるつもりで今パリにいる。この後、西アフリカへ戻り、ナイジェリア、ガーナ、セネガル他の首脳とも会う予定だ。紛争のために国を離れているリベリア人が現在少なくとも100万人はいるはずで、その多くが国へ戻るまでに2年程度の時間が必要と考えているから、暫定政権はそれまでとしたい。暫定政権内に自分自身は入らない』

 氏は15万人以上の国民を抹殺した当事者の一方の代表でもあるわけだけれど、さすがに、米国の支援を受けた反政府勢力のリーダーは、言動にもその動き方にも並々ならぬ自信を感じさせるものである。古典的なゲリラ・反政府勢力であったら、リーダー自身も銃を持ち山の中に潜んで艱難辛苦を耐える、というようなイメージを持ってしまいがちなのだけれど、昨今のゲリラのリーダーはそうではないらしい。たいていは、ぱりっとしたスーツにネクタイというビジネスマンスタイルで、ロンドン、パリ、ニューヨーク、ワシントンを自由に往来し、しかるべき人々と接触することが主な仕事のようである。

 このようにしてガーナの首都アクラで8月18日、リベリア政府と反政府勢力2グループが、暫定政権を10月14日に発足させ、2005年に選挙を実施することなどを柱とする包括和平合意に署名。

 9月25日現在、氏は長年留守にしていたリベリアへ戻っている。住み慣れたギニアの邸宅を後に、スモークガラス付の日本製四輪駆動車に護衛のギニア兵を乗せ、都合14台の車を連ねてギニア側から陸路リベリアへの国境を越えた。移動途中のゲリラキャンプでは、自分の戦闘員たちの出迎えを受け、彼らの労をねぎらいながらの凱旋となった。これで、これまで「反政府勢力」として動いていたグループはひとまず静かになる。

 ◆蚊の攻撃に敗退した米兵

 テイラーがリベリアを去った8月11日の時点では、80人程度の米兵が米国大使館警備のためにリベリアに入国していた。沖合いにはその数日以上前から、米国の軍艦3隻と2000人を超える米兵が待機。この時期には、反政府勢力が更なる虐殺を続けていると報道されていて、国際社会が米兵の出撃を声高に要請しても動くことはなかった。

 そして8月14日になってから、港の警備を主な任務として米兵200人程度を送り込んだものの、その多くは日帰りで、夜には沖合いの艦艇へ戻るというパターンであった。ともかくアフリカ大陸への上陸を極端に恐れていて、最長10日間程度の滞在で、兵によっては数日間だけの上陸というのがその実態であった。国際社会の圧力をそらすために、ただアリバイを作っただけの米軍。10月1日までにリベリアから撤収の予定とされている。

 米軍がアフリカの兵を恐れる理由は、1992年にアメリカ主導でソマリアの内戦に介入したときに端を発しているらしい。「希望回復作戦」と名づけて敵と目するグループのトップを急襲したのにもかかわらず、米陸軍が誇る精鋭特殊部隊は相手を捕捉することができず――いつものことではあるものの――、そればかりか反撃を受けて18人の兵を殺され、そのうちの一人の死体を車で引きずりまわす映像をテレビで流され、その結果不名誉な撤退を余儀なくされた苦い記憶が、特に共和党員の間に根強く残っているためであるという。

 ところがそれほどに神経質なオペレーションを行ったのにもかかわらず、伏兵はアフリカ人ばかりではなかったらしく、現地の蚊の軍団にたっぷりかわいがられてしまった様子が伺える。

 以下、『ProMED情報』からの抜粋。
 ≪情報源:ABC News、9月10日。海軍の医師団は、先月平和維持任務でリベリアに滞在した海兵隊員に異常な高頻度で発生したマラリアを調査中である。海兵隊員のうちさらに3名が発病し、西アフリカ海岸沖の米軍軍艦内で治療中であるが、今回の患者発生により患者総数は46名になったと、軍関係者(曹長)が述べた。この患者数は先月リベリア沿岸に派遣された海兵隊員・海軍兵士225名中20%に相当し、彼らが服用しているマラリア予防薬は通常蚊が媒介するマラリア予防に非常に有効とされているだけに驚異的な数字である。≫

 ≪情報源:Washington Post、9月10日。積極的な予防法にもかかわらず、2003年8月にリベリア沿岸で活動した200名以上の海兵隊員のほとんどが明らかにマラリアに感染し、うち約43名は入院治療を要した。≫

 ProMED情報
 http://www.forth.go.jp/

 Failed Safeguards Are Blamed For Marines' Malaria Outbreak
 http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A51637-2003Sep9.html

 これは予防薬投与の失敗ではないかと推測する専門家もいるけれど、例えそうであったとしても、マラリア媒介蚊に刺された人間がすべて発症するわけでもない。ある程度の体力(免疫力)があれば、たいていは発病しないですむものだ。筆者の長年の観察からも、それは確信できる。軍の発表がウソでないとすれば、この惨憺たる結末は米兵の質の悪さ・ひ弱さ――数合わせのための寄せ集めの兵士――の証明ということになるのではないか。なるほど、彼らにはアフリカでの野戦は不可能だ。

 ◆リベリアと米国

 米国のアフリカ戦略には、油の中東依存度を増大させることなく、この地域にも安定した原油の供給元を確保することと、飢えたアフリカ大陸に米国産の穀物を大量に売り込むこと、このふたつが大きな柱として存在している。アフリカの油を確保するための仕込みはすでに熟成の段階に到達したといえる。穀物(米、小麦、大麦、とうもろこし、豆等)に関しても、ケネディ・ラウンド関税交渉の中で成立した開発途上国に対する食糧援助を先進国に義務付けるシステムにより、被援助国の農業生産意欲を殺ぐ意図はかなりの程度に達成された。また、内戦多発によって農業生産が阻害され、穀物の輸入需要はますます増えている。

 リベリアは19世紀初頭、アメリカのかつての解放奴隷を支配者層として送り込んで建国された、アメリカとは濃密な関係を持つ国である。現在でも富裕層の子弟は米国で教育を受けることが普通となっている。

 船に関係するニュースなどで、リベリア船籍の船という言い方を耳にすることがあると思うけれど、船の登録に関しては便宜置籍という方法が存在する。船の持ち主の実態とは異なる国――税金等の安い国に便宜的にその船を登録し、節税、船員経費対策などを目的とするものだ。リベリアが便宜置籍国としてかなりのシェアーを持っているのは、その昔の米国の支援による影響力が大きく働いている。

 アメリカのファイアストーン・タイヤゴム会社は、リベリアに世界最大のゴムのプランテーションを持っていた。1988年、内戦の始まる直前に日本のブリヂストン社がこれを買収。

 リベリア深奥部のギニアとの国境地帯には、標高1752メートルのニンバ山がある。この山一帯は下記のページに詳細な説明があるように、動植物の宝庫ともいえる場所だ。

 ニンバ山に詳しいページ(京都大学霊長類研究所)
 http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/chimp/Bossou/Nim-j.html

 そしてこの山は、実は鉱物の分野でも宝の山と目されている。荒っぽく言ってしまえば、山脈すべてが高品質の鉄鉱石でできている。リベリア側は内戦前まで採掘されていた。その鉄鉱石を運び出すために、広軌の鉄道総延長261キロが敷かれた。そのための港も整備された。ラムコ(LAMCO)と呼ばれるこのプロジェクトには、アメリカとスウェーデンの資本がかかわっていた。

 ラムコ・プロジェクトに携わっていた関係者の子供が、その当時のリベリアでのあまい想い出を語っているページ。
 Our Beloved Liberia! http://home.enter.vg/liberia/

 さらにこの山のギニア側にも、当然のように鉄鉱石採掘のためのプロジェクトが存在し、英国に本社のある国際的な資源会社をはじめとする複数の会社がすでに利権を確保している。ボーリング調査の結果として、この一帯の確認埋蔵量は世界一であるとささやかれている。昨年末にはギニア政府との最終協定が結ばれた。この鉄鉱石搬出のためには、ギニア国内に総延長1000キロの鉄道をまず建設しなければならない。多額の先行投資が必要となる。しかし、リベリア国内の内戦が収まったことから、リベリアの既存のラムコ鉄道を補修して使う可能性が出てくることもありうる。そうすれば建設コストもランニングコストも大幅に削減できる、と欧米の多国籍企業は計算している。(ギニア政府はそれを拒否する立場だけれど)

 現在まで米国軍艦が停泊していたリベリア沖合いの石油は、これから試掘作業が動き出すことになる。当然のように、西アフリカ・ギニア湾の海底油田地帯に含まれるこの一画にも、米国のメジャーはしっかりと狙いを定めている。

 ダイヤモンド資源に関しても、シンジケートが環境を整備し、他のルートからの輸出を規制する方向に動くことだろう。

 農業は――そんなものは、米国から米でも麦でも買えばいいのだから、そのあたりに放り投げておけ、と米国は考えているだろう。

 1980年のクーデターによって反米的な政権が誕生してからというもの、外国に支援されて送り込まれた反政府勢力という名の複数の刺客グループと政府軍の戦い、そして反政府勢力同士の反目と、三つ巴、四つ巴の争いが続けられてきたリベリアにも、それなりにいくぶんかの明るさが見えてきたこの頃である。

 ――しかし、ナイジェリアから電話を通してリベリアとの接触を続ける、すでに引退亡命したはずの元大統領もいたりして(彼の私兵たちはまだリベリアに存在している)、武装解除が進んで和平が定着するまでは、まだ予断が許されない。

 Nigeria warns exiled Taylor
 http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/africa/3115992.stm

 ◆悪魔のささやき

 このようにリベリアについてのあれこれを書いてみたのは、ある魂胆があってのことだ。日本は、イラクへではなく、リベリアへ平和維持部隊を派遣したらどうだろうか、ということを言いたいためである。

 来月には、「大義なきイラク侵攻を指揮した大統領」として歴史に名をとどめるであろう米国のブッシュ大統領が、自軍が破壊してしまった相手の国を再建するための費用見積書を持って、うるさいことを言わずにイラク侵攻を支持してくれた日本の戦友を訪ねると伝えられている。同時に、連帯の意志を再確認する意味を込めて、日本の自衛隊のイラクへの早期派遣を迫っているとの報道もある。

 米国は早々とイラク侵攻の戦闘終結宣言をしてしまった。しかし現実には、いまだに兵士が日々殺され続けていて、イラク全土が厳然として戦争状態にあることを、米国は誰よりもよく理解しているはずである。そしていまや、停戦交渉をすべき相手も消えてしまって為す術がない。ベトナムの泥沼におぼれさせられたリンドン・ジョンソンの二代目を継ごうとしているようにも見えるジョージ・ブッシュがいくら望んだとしても、そのような場所へ、おそらくは人を撃ったことも撃たれたこともない戦争バージンの日本の自衛隊を送るわけにはいかない。例え、日本の法律上許容されたとしても。ましてや、1990年の湾岸戦争以来、劣化ウランをばら撒き尽くした土地である。殺されずに帰れたとしても、後には別の苦しみが待っている。

 また、イラク復興には今後4年間でおよそ1000億ドルが必要、とする見積もりが流され始めている。単純に10兆円と換算しても、この数字に例えば日本の国連分担金負担割合20パーセントを乗ずると、それは2兆円になる。しかも「派兵」に付き合わなければさらに上乗せされる可能性すらないではない。――それから忘れてならないのは、日本政府と民間企業が、イラクに対して現時点ですでに1兆円以上の債権を持っていることである。この債権は放棄させられ、最終的にはすべて日本政府の負担となる可能性が大きい。

 イラク侵攻に関しては、すでにノーリターンポイントを超えてしまっている日米関係である。となれば、少しでも日本国民の負担とリスクを減らす方向で現実的に対処するしか方法はない。

 とはいうものの、日本の新聞が書いているように、自衛隊の輸送機を使って他国との間の運送業務を手伝うとか、100人程度の工作部隊を「絶対安全な場所」に送り込んで土建屋の真似事をさせ、「派兵」の要請に代えてお茶を濁すなどというちゃちな後ろ向きの動きは日本の国益にそぐわない。米国にとっても、足元でじゃれる子犬ほどの役にも立ちはしない。

 この際、この災いを日米同盟関係を強化する絶好の機会として捉え、米国と国連を結びつけながら、日本の主体性を発揮する前向きの行動として、リベリアへの平和維持部隊の派遣を提案したい。

 『わが国はかけがえのない同盟国としての米国を支援するために、イラク復興支援特別措置法案を多大な困難とともに国会を通過させた。わが国の憲法からはこれが精一杯のものである。そのためには、国会審議史上稀にみる居直り答弁までして、慎み深い日本のメディアにすらひやかされたほどだ。しかしながらイラクの現状は日本の自衛隊にとってはまだまだ難しすぎる。歩き方を一歩間違えれば、あなたが頼りにしている私の政権は吹っ飛んでしまうだろう。そこで、ブッシュ閣下と米国を尊敬している証として、貴国の権益にも大きく貢献できるリベリアの平和維持活動で汗を流すつもりだ』という変化球を投げ込むというのはどうだろう。

 現地ではすでに和平合意が成立し、国連安保理の平和維持部隊派遣決議も採択されている。日本の国内法的にもハードルは高くないはずだ。そして、このミッションは限りなく安全でかつ有用なものである。恒常的な平和を定着させて100万の難民を故郷に戻すことができるのであれば、困難な経済状況の中であえいでいる日本国民も納得してくれるのではないだろうか。

 折りしもこの29日からは、東京都内のホテルで第3回アフリカ開発会議(TICAD3、議長・森喜朗前首相)が開かれる。アフリカ各国の首脳が多数参加する。アフリカの開発に対する全面的な支援を打ち出している日本の、口先だけではない真に役に立つ決断を期待したい。(『金鉱山からのたより』2003/09/28)
                      (2003.9.28記)

 齊藤さんにメール mailto:bxz00155@nifty.com
 『金鉱山からのたより』バックナンバーは
 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000005790

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