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イタリア在住の飯田さんが翻訳した『反戦の手紙』

2003年09月12日(金)
萬晩報主宰 伴 武澄


 昨夜は9・11から2年の夜。東洋では十五夜をまつる夜でもあった。イタリア在住の飯田亮介さんが独学で翻訳したイタリア人ジャーナリストのティツィアーノ・テルツァーニ著『反戦の手紙』を一気に読んだ。

 テルツァーニ氏はドイツのシュピーゲルなどの特派員として30年あまりアジアに在住し、ベトナム戦争からカンボジア紛争、ソ連崩壊など主要な戦争や事件を報道した著名なジャーナリストである。60を過ぎてからヒマラヤを望む地に居を構えて自然と対峙する生活に入っていたが、9・11以降、再び「山を下り」、戦乱のアフガニスタンに入った。

 『反戦の手紙』は8通の異なる場所から書かれた手紙で成り立っている。最初の3通は9・11直後にイタリアで書かれ、後の5通はアメリカによるアフガニスタン空爆後に訪れたパキスタン、アフガニスタン、インドで記された。

 9・11後に国際社会が一斉にアメリカの報復を支持したことに強い危機感を覚え、「暴力は暴力を生むことしか出来ない」という信念の下にテロリストをテロに走らせた遠因を独自の現地取材の中から導き出していた。

 飯田さんの翻訳の中からいくつか印象的な部分を紹介したい。

「ヨーロッパのジャーナリストたちも今や、ニューヨークの自分のデスクのコンピューターにべったりと張り付いて動かなくなってしまった。そこで彼らが読み、目にすることは、彼らの口から語らせるためにアメリカ政府が選んだ情報だけだ」

 ことの善悪は別として、われわれ日本のジャーナリストの日常もまた似たり寄ったりである。情報の渦の中で情報を取捨選択するのが、本来われわれに課せられた仕事であるのだが、記者クラブという政府や企業の一方的な発表の場からの発信が多すぎる。また、そうした場では政府や企業から洪水のような発表が行われている。確かにニュースの取捨選択はしているのだが、たとえて言えば「観音様の手の平の上で暴れていた孫悟空」のような存在でしかないのである。

テルツァーニの至言は、はアフガン駐在のアメリカ人記者に「今や私たちは『プラウダ』になってしまった」「敵は悪魔以外の何者でもなく、抹殺すべき、許し難い怪物として描写されなくてはならない」と語らせていることである。

 「4ページにわたる彼女の返事を読んでとても悲しくなった。私はまたも勘違いをしていたのだ。9・11は素晴らしい機会などではなかった。それは私たち一人ひとりの中に眠っていた獣を叩き起こし、けしかける機会だったのだ。オリアーナの返事の要点は、彼女は敵の道理を否定するのみならず、さらにはその人間性までも否定するということだった」そのような考え方こそがあらゆる戦争を非人道的にする根本な理由だというのに」

 オリアーナというのはニューヨーク在住の著名なイタリア女性ジャーナリスト、オリアーナ・ファッラチである。彼女はテルツァーニの古くからの友人であり、新聞紙面で彼女との対話を試みている。ニューヨークのデスクから大上段に世界を語るその彼女に対して「相手を非難する表現方法としてある恨み、敵意、怒りなど数ある情念の中で最も下等なもの、暴力的な情念を選んでしまった」と批判しているのだ。

 またカンダハール郊外におかれたアメリカ軍基地が「キャンプ・ジャスティス」と呼ばれ、ジャスティス(正義)が「復讐」であることを明らかにするため、基地に掲げられた星条旗にはツイン・タワーの犠牲者の遺族たちのサインがあったことを明らかにしている。

戦争報道に関しては「この戦争は何百人ものジャーナリストによって追われ、過去のどの戦争よりも確実に多くのページが割かれ、関連テレビ番組の放送時間も過去最長になっている。にもかかわらず、アメリカは断固としてそれを目にみえない戦争とすることに成功している」とアメリカのみごとまでに巧妙な報道管制に言及した。

アメリカの空爆については「あるタリバーンは仲間と一緒にアメリカ人をやっつけにいったが、敵は影も形もなかった。聞こえるのは高い空を飛ぶ飛行機の轟音、目に入るのはその爆弾がもたらす惨禍だけだった。人間が文字通り粉々に・・・」「歴史上の数ある戦争の中で、双方の犠牲者の均衡がこれほど取れていない戦いもなかったに違いない。厖大な数の敵を殺しておきながら、米軍の犠牲者はほとんどゼロに等しいのだから」とその非合理な姿を描き出している。

戦場の医療現場では「カブールにある国際赤十字連盟の整形外科センターではイタリア人医師が中心になって働いているが、このセンターで両手両足があるのは彼だけである。患者だけでなく職員、医師、技術者を含めた人々の全員、身体のどこかを欠いている」とその驚きを記している。

 書き出すと切りがない。いずれ、この翻訳はどこかの出版社によって日本でもベストセラーになるのだと思う。

 最後の章である「ヒマラヤからの手紙」にはさらに考えさせられる対話が載せられている。

 19世紀の終わり、インドの著名な哲学者ヴィヴェカナンダがアメリカの講演会であるご婦人と交わした会話だ。

「全人類がたった一つの宗教を信じていたら、素敵じゃありません」
「いいえ、もしも人間の数と同じだけ宗教があったならば、もっと素敵でしょう」

 『反戦の手紙』の一部は下記で読めます。
 http://web.tiscali.it/no-redirect-tiscali/ryosukal/

 
【追記】10月16日
 飯田さんの翻訳による『反戦の手紙』の出版が決まりました。
 2004年1月ごろ、WAVE出版(東京)から上梓される予定です。
 お楽しみに!!!

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