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紳士たちの終わりなき夏の夜の夢(上)
2003年09月02日(火)
萬晩報通信員 園田 義明
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■リンクス・クラブ
1982年3月1日、トヨタ自動車の豊田英二社長(当時)はゼネラル・モータース(GM)のロジャー・スミス会長(当時)と会談を行う。フォードとの提携交渉が白紙撤回となり、日米自動車摩擦が激化する中で、最後の切り札としてGMとの合弁交渉にのぞんだのである。それから3年後の1985年4月、カリフォルニア州フリーモントで、政財界人ら2000人を集めて、合弁会社、ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング(NUMMI)の工場開所式が行われた。
あいさつに立った豊田英二トヨタ会長(当時)は、「日米自動車産業の良い点を組み合わせ、国際的にもすぐれた生産システムを作り上げ、米国自動車産業の活性化に貢献したい」と語り、スミスGM会長も「この事業はトヨタとGM、それにUAWが新たな挑戦のため海を越えて手を結んだもので、東洋と西洋の英知の結集だ」と訴えた。
この提携を影で支えてきたのはJ・W・チャイ伊藤忠アメリカ副社長である。いすゞ―GM、トヨタ―GMのいずれの提携にも大きな役割を果たし、黒子役として日米を飛び回った。
1982年3月1日の会談が行われて場所は、GMニューヨークビル近くにある会員制クラブ、「リンクス(Links)」のダイニングルームであった。この場所を選んだのは、スミス会長本人であろう。スミス会長はリンクスのメンバーだった。
■米国のエリート・クラブ
紳士達が集う米国のエリート・クラブは、ホワイツ(1696年設立)、ブルックス(1774年設立)、カールトン(1831年設立)などの英国紳士クラブに大きな影響を受けて、1800年代から相次いで設立される。リンクス(ニューヨーク)、パシフィック・ユニオン(サンフランシスコ)、シカゴ、ボヘミアン(サンフランシスコ)、ブルックス(ニューヨーク)、メトロポリタン(ワシントン)、カリフォルニア(ロサンゼルス)、センチュリー(ニューヨーク)、デトロイト、デューケーン(ピッツバーグ)、ミネアポリス、ローリング・ロック(ピッツバーグ)、サマセット(ボストン)、ユニオン(クリーブランド)、ユニオン・リーグ(フィラデルフィア)、ニッカーボッカー(ニューヨーク)などが特に有名である。
当然、名門一族、大企業トップ、大物政治家などは複数のクラブのメンバーとなっており、例えばロックフェラー家のデビッド・ロックフェラー元チェース・マンハッタン銀行会長はリンクス、センチュリー、ニッカーボッカーのメンバーとなっている。
このクラブの中で毎年夏に行われる一大イベントのために世界的な注目を集めるクラブが存在する。サンフランシスコに本部を構えるボヘミアン・クラブである。
■夏の夜の夢
"Weaving spiders, come not here"(巣を張る蜘蛛よ、近づくな)
シェイクスピアの「夏の夜の夢」の第二幕第二場の妖精の歌に出てくるこの言葉は、ボヘミアン・クラブのモットーとなっている。クラブ機能としてビジネスを行ったり、請い求めたりすることの不適切性を説いているのである。確かにこのクラブのメンバーの多くは、このモットーに忠実である。しかし、どうやらある集団の方々は、長年に渡って違反を繰り返し続けているようだ。まるで、スパイダーマンのように網の目の巣を張りめぐらせている。
このクラブのメンバーは、毎年7月になるとサンフランシスコから北へ70マイル程の距離にあるモンテ・リオの山村近くに集まる。世界的な巨木として知られるレッドウッドに囲まれた森林の中で、二週間にわたって行われるサマーキャンプに参加するためだ。このキャンプに参加した数少ない日本人のひとりは、300フィートを越えてそびえ立つレッドウッドに囲まれたこの場所を日本の神聖な神社に例えている。メンバーの多くも聖なる特別な場所と信じているようだ。この約2700エーカーのこの場所は、「ボヘミアン・グローブ」と呼ばれており、ボヘミアン・クラブの私有地である。
1878年から行われてきたこのサマーキャンプには約2700名のクラブ会員と特別ゲスト以外は参加できない決まりとなっており、全米各地から厳選された大統領経験者を含めた大物政治家やフォーチュン500企業や大手金融機関のトップ、著名大学教授、芸術家、文化人などが一同に集まる。そして、クラブのマスコット人形を焼く儀式によってこの二週間のキャンプが始まる。
メンバーの特徴は、政財界メンバーのほとんどが純白人であり、ユダヤ系や
黒人などは一部の例外を除いてほとんど存在しないようだ。また、大半が共和党員か共和党支持者である。従って、極めて保守的なクラブとなっている。
これまで、このサマーキャンプに出席が許された日本人は2名、ひとりが外交評論家の高橋正武氏、そしてもうひとりがユニデンの設立者である藤原秀朗氏である。高橋氏は、カリフォルニア州政府の州知事補佐官を務めたことから、特別会員の権利を与えられており、その著作から少なくとも過去に二度は参加しているようだ。この2名以外にも存在する可能性もあるが、その徹底した秘密主義により明らかにされていない。
高橋氏によれば、ボヘミアン・グローブには、約120のユニット・キャン
プがあり、レーガン元大統領は「ふくろうの巣」、ニクソン元大統領は「ケープ・マン(洞穴男)」、そして高橋氏は「ドラゴン」と呼ばれる政財界人25名で構成される名門キャンプで時を過ごす。このユニット・キャンプの中で極めて注目を集めるロッジは「マンダレー」である。
■マンダレー・ロッジ
インターネットにはボヘミアン・クラブに関するさまざまな情報が飛び交っている。その中で信頼できるものを探し出すのも骨が折れる作業である。ここに2001年のマンダレー・ロッジの宿泊名簿がある。メンバーの顔ぶれは次の通りである。ずらりとスパイダーマンが並んでいる。
☆コリン・L・パウエル
現国務長官、元統合参謀本部議長、元国家安全保障問題担当補佐官。アメリカ・オンライン(AOLー現在はAOLタイムワーナー)元取締役、ベクテル・グループ元顧問。
☆ヘンリー・A・キッシンジャー
元国務長官(ニクソン・フォード政権)、元国家安全保障問題担当大統領補佐官(ニクソン政権)。キッシンジャー・アソシエイツ会長、ホリンガー・インターナショナル取締役、フリーポート・マクモラン・カッパー・ゴールド取締役、JPモルガン・チェース国際委員会メンバー、アメリカン・エクスプレス諮問委員会メンバー、アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)国際諮問委員会会長、アメリカン・エクスプレス元取締役、レブロン元取締役、TWCグループ元取締役、ガルフストリーム・エアロスペース(現在ゼネラル・ダイナミックス傘下)元取締役。戦略国際問題研究所〈CSIS〉理事、アスペン研究所理事、トライラテラル・コミッション(三極委員会)・メンバー、ビルダバーグ・グループ・メンバー。メトロポリタン、センチュリー、ブルックス・メンバー。
☆マイケル・H・アーマコスト
元国務省内国政担当次官、元駐比米国大使、元駐日米国大使。アメリカンファミリー生命保険(AFLAC)取締役、アプライド・マテリアルズ取締役、カーギル取締役、TRW取締役、米国ウラン濃縮会社(USEC)取締役。スタンフォード大学・アジア太平洋研究センター・ウォルター・ショーレンステイン特別評議員。ブルッキングズ研究所元所長、トライラテラル・コミッション(三極委員会)・メンバー、ビルダバーグ・グループ・メンバー。
☆ニコラス・F・ブレイディ
元財務長官(レーガン・ブッシュパパ政権)。ダービー・オーバーシーズ・インベストメンツ会長、H・J・ハインツ取締役、アメラダ・ヘス取締役、C2取締役、フランクリン・テンプルトン・インベストメンツ取締役、ディロン・リード元会長。ビルダバーグ・グループ・メンバー。リンクス・メンバー。
☆ピーター・M・フラニガン
元大統領補佐官(ニクソン政権)。ウォーバーグ・ディロン・リード上級顧問、ディロン・リード元取締役。マンハッタン研究所理事。リンクス・メンバー。
☆アンドリュー・‘ドリュー’・ルイス
元運輸長官(レーガン政権)。ユニオン・パシフィック元会長、ガネット元取締役、ルーセント・テクノロジー元取締役、イージス・コミュニケーションズ・グループ元取締役、アメリカン・エクスプレス元取締役、FPL・グループ元取締役、ガルフストリーム・エアロスペース(現在ゼネラル・ダイナミクス傘下)元取締役、ミレニアム・バンク元取締役。ビルダバーグ・グループ・メンバー。
☆カール・E・ライチャート
フォード副会長、パシフィック・ガス・アンド・エレクトリック(PG&E)取締役、コナグラ・フード取締役、マッケソン取締役、ニューホール・マネイジメント取締役、コロンビアーHCA・ヘルスケア取締役、ウェルズ・ファーゴ元会長、HSBC・ホールディング元取締役。
☆ジョージ・P・シュルツ
元労働長官(ニクソン政権)、元予算管理局長(ニクソン政権)、元財務長官(ニクソン政権)、元国務長官(レーガン政権)。ベクテル・グループ取締役、フリーモント・グループ取締役、ギリアド・サイエンス取締役、ユーネクスト・ドット・コム取締役、チャールズ・シュワブ取締役、JPモルガン・チェース国際委員会会長、GM諮問委員会メンバー、ベクテル・グループ元社長、J・P・モルガン元取締役。スタンフォード大学フーバー研究所トーマス・W・アンド・スーザン・B・フォード特別評議員。ビジネス・ラウンドテーブル政策委員会元メンバー。
このメンバーに、マンダレー・キャンプの4名のホストの名前を加えると、同時多発テロの直前である2001年の夏の時点で何かが既に動き始めていた可能性も無視できない。その4名は次の通りである。
☆ステファン・D・ベクテル・ジュニア
ベクテル・グループ名誉会長、フリーモント・グループ名誉会長、ベクテル・グループ元会長兼CEO。パシフィック・ユニオン、ボヘミアン・メンバー。
☆ライリー・P・ベクテル
ブッシュ大統領・輸出諮問委員会メンバー(2003年2月任命)。ベクテル・グループ会長兼CEO、フリーモント・グループ会長兼CEO、セクオイア・ベンチャーズ取締役、JPモルガン・チェース取締役。スタンフォード・ロー・スクール理事、ジェイソン財団理事。ビジネス・カウンシル、ビジネス・ラウンドテーブル・メンバー。トライラテラル・コミッション(三極委員会)
・メンバー。
☆ゲイリー・H・ベクテル
ベクテル・シビル副社長。
☆アラン・ダックス(ライリー・P・ベクテルの義兄弟)
フリーモント・グループ社長兼CEO、セクオイア・ベンチャーズ社長兼CFO、ベクテル・グループ取締役、ベクテル・エンタープライズ取締役。ブルッキング研究所、カンファレンス・ボード理事。
■ベクテルの宴
このマンダレー・ロッジは、まさしくサンフランシスコに拠点を置くベクテル・グループのためのベクテル・ロッジであり、イラクの初期復興事業で最大の総額6億8000万ドル(約816億円)を受注したことから、イラク占領
における連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)と呼んでもいいのかもしれない。
共和党及び財界への絶大な影響力を持つジョージ・P・シュルツの言動は、随時チェックしてきたが、2002年9月6日付けワシントン・ポスト紙に「
アクト・ナウ」と題する寄稿を掲載し「危機は差し迫っている。時間をかけることはフセインを利するだけだ」とフセイン政権の即時打倒を訴えていた。
ブッシュ大統領にとって、シュルツ・ベクテル・グループ取締役は2000年大統領選の選挙準備委員会のメンバーであり、ブッシュ大統領の生みの親でもある。ブッシュ大統領自身にとってブレント・スコウクロフト元大統領補佐官の警告より効果があったはずだ。
シュルツ・ベクテル・グループ取締役は、ベクテル家のステファン、ライリー、アラン・ダックスの3名が取締役会に名を連ねるベクテル所有のプライベイト・インベストメント・ファーム、フリーモント・グループの取締役にも就
任しており、ベクテル・グループの影の総裁である。また古くからベクテル・グループと関係の深いJ・P・モルガンの取締役、そして現在のJPモルガン・チェース国際委員会会長としてメンバーであるキッシンジャー国務長官やデビッド・ロックフェラーを率いる立場にある。
世界的な建設業界の不況が続く中で、ベクテル・グループも業績が安定しているとは言えない。ベクテル社副社長であったキャスパー・ワインバーガー元国防長官が会長を務めるフォーブス誌の非公開企業の売上高ランキングでは1999年の売上151億ドル(全米5位)をピークに2001年には134億ドル(全米6位)と低迷しているのである。
(つづく)
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