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高速道路を需要サイドから考える
2003年08月18日(月)
ジョージワシントン大学客員研究員 中野 有
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道路公団の民営化について難解な議論がなされているようだが、市民のための公共財としての高速道路のあり方を需要サイドから考えてみたい。
天下の公道を走るのに時間給より高くつく高速料金や橋の通行料が徴収されるのは論外であると考える。これは、需要サイドの意見、使う側の単純明快な疑問である。テレビや新聞を通じて入ってくる高速道路の議論は、供給サイド、すなわち官僚的な造る側の一方的な国土計画を中心に議論されているように感ぜられる。
世界で最も高い日本の国土に、労働力と最高級の技術を投入し、道路や橋を造ることにより、通行料が高くなるのは当然のことである。供給サイドから考えれば、橋を往復するだけで日給が消えてしまうという信じがたい料金体系が成り立つ。橋は、関所ではなく渡るためにあり、道路は楽しみながら移動するためにあるという原点から、今一度考察する必要があろう。
多くの国で生活してきたが、日本ほど道路等の公共財を使用するのに高くつくところはない。ほとんどの国は、無料である。料金徴収は、インフラ整備が整っていない途上国では許されるが、経済大国、日本がいまだに公共財が市民のために機能していないのはおかしな話である。日本も、途上国を卒業する前に、世界銀行から融資を受けて、名神等の公共財を建設した。通常なら、途上国から先進国になった時点で、国の基盤であり、国の財産である道路や橋のような公共財は、いつまでも料金を徴収するのでなく国が面倒を見るべきだろう。
アメリカ東部で、前代未聞の停電が発生した。原因は、今のところ明らかではないが、電力の規制緩和や民営化に問題があるとの指摘がなされている。民営化とは、競争に勝つために顧客の立場に立ってサービスを提供するものであろうが、同時に公共財が民営化されることにより、採算を優先されることにより、マイナス面も生まれる。事故が発生した時に都市機能を麻痺させるライフラインについては、財務諸表だけでは判断できぬ、市民の生活を守るための総合的なプランが不可欠であろう。
日本の高速道路の民営化については、あまりにも官僚的で非効率なあり方を正す意味でも、民営化は重要であろう。しかし、もっと重要なのは、日本のような先進国が、道路や橋のような天下の公共財から儲けようとする非常識な点にあるのではないだろうか。ドイツやオーストリアで、(無料の)オートバーンを走行した時に、ドライブの快適さを実感すると同時に、ドライブインでとった素晴らしいレストランでの食事が忘れられない。高速道路が無料になれば、レストラン、カフェ、ショッピングの分野で、新たなビジネスが生まれると思うのだが。
例えば、瀬戸内海の橋を渡るための不当な料金を徴収する関所がなくなり、また高速道路がハイウェーから、フリーウェーに変われば、ドライブが楽しくなり、国から料金を徴収されなくとも、市民の意志で、ちょっと贅沢をしようという気分になる。さらに物流の活性化により新鮮な安い地方の特産品や海産物も都会に流れる。地方も都会も生き生きし、地方分権もすすむ。
ワシントンでは幸いアメリカ東部の停電にみまわれなかったが、その教訓として公共財のあり方や民営化についての考えるきっかけになった。また、リベリアで生活したとき2年間、ほぼ停電の状態を体験し、電気や水道といった当たり前の公共財の恩恵に感謝するよういなった。たまには、停電もためになるのでは。橋を渡るための不当な料金徴収は、需要サイドや市民を無視した停電の状態だと反省するときが、きっと到来すると思われる。
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