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100億円産業へ−うどんの次はBonsai発見

2003年05月17日(土)
四国新聞社論説副委員長 明石安哲

 自分の町の知名度が低くて閉口することといえば、県外へ電話した時、
「いえ、カナガワではありません。カガワです」と何度か言わねばなら
ないことだろう。そんな日本の無名県・香川から世界に向けて日本文化
を発信する「さぬき盆栽美術館」構想が地元のNPO法人アーツカウン
シル高松(略称ACT=石井ルリ子理事長)から提案され、昨年秋に構
想準備委員会がスタートした。日本初の屋上盆栽美術館構想は高松市丸
亀町商店街の大規模再開発に盛り込まれ、最短なら平成18年の開館。
さぬきはうどんばかりじゃない。

 うどんとベストセラーの謎

 ある日、突然の讃岐うどんブームのおかげで香川県はたちまち全国の
注目を集める土地になったが、近年の香川県は各種調査で「全国一知名
度の低いことで全国に知られる」という逆説を体現した土地だった。県
都高松市は古代から江戸期を通じて四国の玄関として栄え、明治以降も
長らく経済力を含めて優越した地位を保ち続けてきたが、経済・情報の
中央集権化の進行、特にバブル景気の騒ぎの中で、すっかり名前を忘れ
去られてしまった。うどんブームで「讃岐」は一躍脚光を浴びたが、そ
れを「香川」のことだとは知らない人がいるのにはもう笑うほかない。

 讃岐うどんが「安くてうまくて早い」のはもう20年も前からのこと
だ。香川に縁のあった人々は「これほどうまい釜揚げうどんを毎日100
円で食べられる」社会システムに注目していた。銀座のデパートで食べ
る700円のキツネうどんの不味さと比べて、その豊さを「讃岐の謎」
と呼んだ人もいる。最近の全国的ブームのきっかけを作った人物の一人
である人気作家・村上春樹さんはあるコラムの中で、こんなうまいもの
があったのか、という衝撃を「米国のディープサウスで鯰ステーキを食
べた時のような」と表現した。

 村上さんは余程、うどんがお気に召したのか、現在ベストセラー中の
小説「海辺のカフカ」の舞台まで高松にしてしまった。その理由は「た
だ高松が好きだから」と何だか謎めいているが、とにかく売れている。
一昨年の超ベストセラー「バトルロワイアル」も高松市沖の島が舞台で
ある。作者の高見広春さんは地元在住の人。こちらは100万部も売れ
た。高松を舞台にすればベストセラーになるというジンクスは讃岐うど
んほどには認知されていない。

 香川の謎はほかにもあるが、当面の新たな謎は盆栽である。これもあ
まり知られていないが、香川は日本文化を代表する「松盆栽」の最大の
産地である。一体なぜ香川が盆栽の大産地になったかについては後述す
るが、フランス文学研究の第一人者で名著「盆栽発見」を発表した評論
家の栗田勇さんは、数年前にその産地・鬼無を探訪して、「ダイヤモン
ドの原石がごろごろ」と驚きを記している。さぬき盆栽美術館構想はそ
の原石を磨き上げ、世界を相手に現在の10倍に当たる100億円産業
に育てようという構想である。

 目立たないのも戦略

 その驚くべきダイヤモンドの原石畑は、高松市郊外の鬼無町から隣り
の綾歌郡国分寺町にいたる旧国道ぞいの数キロにわたってずらりと並ん
でいる。全体面積は12ヘクタール、本数では1000万本は下らない
ともいう。樹高はどれも1メートルにも満たないから目立たないが、最
近の若木から先々代の盆栽園の園主が植え込んだ100年近い古木まで、
あらゆる年代の盆栽素材が植え込まれている。

 盆栽園の園主に畑を案内してもらうと、「あっ、そっちは気をつけて
ください。枝を折ったら大変」と注意されるのは明治後期から大正にか
けて植え込まれた名品ぞろいの畑。いずれも時価で40万円は下らない
ものがまさにごろごろ並んでいる。1平方メートルに1本なら100平
方メートルで4000万円。「ただし売れればの話」と笑い飛ばされた
が、この素材木を首都圏の盆栽業者が買い取り、高価な盆に上げて、形
を整え、10年も寝かせれば500万円の名品になることもある。

 園主は再び「それも売れればの話。今は大変」と笑うが、栽匠(一流
の盆栽師をそう呼ぶ)の技術で、いわゆる「国風クラス」に仕上がれば、
決して夢ではない。10年で10倍なら大変立派な投資だが、なぜか鬼
無・国分寺地区に軒を並べる200軒以上の盆栽業者は高価な最終製品
の販売にはあまり挑戦しようとしない。あくまで中間素材と10万円単
位の比較的廉価品の販売が中心。年間の出荷数は約16万鉢。実はこの
「目立たない戦略」こそ香川の真骨頂である。

 100年後への投資

 前出の「国風クラス」という表現は日本の盆栽界の最高峰を集めて、
毎年2月に東京・上野の国立美術館で開く展覧会「国風展」の名前から
来ている。バブルの時期、そこに並ぶ作品には億単位の価格さえつけら
れたが、今ではそうした名品中の名品も暴落という現状で、そのあおり
を受けて有名盆栽園が顔をそろえた埼玉県大宮の盆栽村にも一時の隆盛
ぶりは見られないという。

 しかし香川の業者の多くはリスクを好まず、素材生産に徹して生き残
ってきた。盆栽が売れなくなれば、兼業農家でゆったりと時代の元気が
回復するのを待てばいい。待っている間に素材は時を重ね、結果として
売値も上がる。彼らが先祖代々、100年をかけて育ててきた宝の畑に
追いつく者はどこにもいない。なにしろ収穫は50年先という気の長す
ぎる投資なのだ。

 祖父が植えた木を売って、空いた場所に苗木を植え、また百年を待つ
というのは数百ヘクタールの山を連ねる山林王のような話である。それ
と同じことをわずか3反(1000坪)で行っているわけで、畑一枚が
山一つという雰囲気だ。さすがに不況が10年も続けば、貴重な畑を転
売する人も現れるが、目を海外に向ければ盆栽生産発展の可能性はまだ
まだある。あるどころか、今世界のエスタブリッシュの間ではBonsaiが
ブームなのである。

 盆栽はBonsaiになる

 最近の外信報道によれば、パリ、ロンドン、ニューヨークの大手デパ
ートには必ずBonsai売り場があるそうだ。中心は小品盆栽から中品で値
段は日本の10倍。かつて盆栽はドワーフド・ツリー(dwarfed tree)
つまり「いじけた植物」と侮蔑的に紹介された時代があったが、日本文
化への理解が進むなか、「一つの樹木を数百年にわたって世話し続ける」
思想への共鳴、さらに明治期に確立された近代盆栽が表現する「幽玄」
への憧れ、そしてそれを支える精緻な栽培技術への評価はますます高ま
っている。

 たとえば1976年の米国建国200年祭にあたっては、米国からの
特段の要望によって日本の大型盆栽が多数、日本から贈られ、米国は国
立植物園に大規模な盆栽園を新設して受け入れたこともその証明だろう。
それから10年ほど後、日本を訪れた当時のクリントン大統領が首脳会
談そっちのけで盆栽に興味を示し、政府の特段のはからいで植物検疫を
通過した名品数点が贈られた話も盆栽界ではよく知られている。

 こうしたブームを受けて鬼無・国分寺地区には世界各国から盆栽技術
の修得を目指す留学生が毎年のように訪れている。米国、ドイツ、ブラ
ジルなど過去30年間に香川で盆栽栽培の基礎を学んだ外国人は数え切
れない。またヨーロッパなどから本物を見たいと訪れる愛好者の産地見
学ツアーも、その需要と関心の高さを示している。植物検疫の壁さえク
リアできれば大型盆栽を輸出の夢が広がる。

 ビル屋上を盆栽で緑化

 香川の盆栽界は世界の注目を集めるだけの素材と技術を持っているが、
その資産を生かし切っているとはとても言えない。NPO法人ACTが
打ち出した屋上盆栽美術館構想は盆栽界が抱えるさまざまな問題を官民
共同で洗い出し、解決していくためのパイオニア・プロジェクトである。

 美術館の建設場所は政府の中心市街地活性化対策の先兵として注目を
集めている高松市丸亀町商店街の再開発ビル。この再開発は平成18年
を目標に進行しているG街区を手始めにA〜Jまで合計7つの街区を10
数年をかけて建設するもので、それぞれの街区ビルの屋上やテラス部分
を盆栽美術館にして屋上緑化にも役立てる構想だ。実現すれば日本最初
の、そして増殖する屋上盆栽美術館になる。

 ACTは構想に当たって生産から販売、鑑賞にいたるまでの全体シス
テムを官民共同でコントロールするシステムを提案し、盆栽芸術の最高
レベル作品を常に展示するとともに、関連商品を扱う販売センター、技
術研修センター、盆栽教室などを含めた盆栽産業のピラミッドづくりを
提言している。美術館には専門の学芸員をおき、貴重な盆栽資料を一堂
に集める日本初の盆栽図書館や鑑賞しながらお茶を楽しむBonsaiカフェ
を併設。若者の人気を集める小品Pop盆栽にも講座を用意する。

 名品眠る宝の畑

 ところで、なぜ香川で100年も前に盆栽栽培が始まったのだろう。
ここにも讃岐うどんを育てた特殊な風土が反映している。日本一県土が
狭く、人口が多く、山が少ないという香川は四国の残り3県とはまった
く風土が違う。平野ばかりで風水害もない香川は古代から日本有数の人
口稠密地だった。そのため江戸期には山という山に人手が入り、落ち葉
まで燃料化された山は肥料分を失い、パイロットプラントの松ばかり生
き残ったと林学専門家は分析する。養分の少ない山地で育った小さく頑
丈な松はまさに盆栽向きだった。

 讃岐人がそれを山採りして、金毘羅参詣客に売り始めたのは園芸ブー
ムに沸いた江戸後期。その後、維新の志士たちによる簡雅な盆栽ブーム
が始まるとそれも取り尽くされ、それならと自家栽培が始まった。直幹、
双幹、模様木、斜幹、株立ち、懸崖、吹流し、根上がり、石付き、根連
なり、そして文人。畑には古来の名品がまだたくさん眠っている。「一
芽一万」で大騒ぎする都会の盆栽ファンがこの畑を目の当りにすると、
目眩さえ感じるらしい。目立たない戦略で生き延びてきた香川の盆栽が
「讃岐」を名乗って世界を目指せるのかどうか、今後が楽しみだ。(N
PO法人アーツカウンシル高松・副理事長)

 明石さんにメールは mailto:akashi@shikoku-np.co.jp
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