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武士道による「台湾精神と日本精神」
李登輝前総統講演全文

2003年03月01日(土)
台北週報からの転載


 昨年十二月十五日、東京で「日本李登輝友の会」(阿川弘之会長)の設立大会が開催された(本誌二〇七八号参照)。当日、インターネットを通じて蔡焜燦・台北李登輝友の会会長が東京の参加者に祝辞を述べるとともに、李登輝前総統は武士道を根幹とした「台湾精神と日本精神」と題した講演をおこなった。以下は蔡焜燦氏の李登輝氏を改めて紹介する祝辞と、李登輝講演の全文である。

 
台湾の父・李登輝氏 蔡焜燦氏挨拶全文

日本の皆様、蔡:燦でございます。皆様ご多忙中にもかかわらず「日本李登輝友の会」の設立にご参加いただきまして、まことにありがとうございます。心より、お祝いの言葉と御礼の言葉を申し上げさせていただきます。

 わが敬愛する李登輝先生は世界の民主主義国の人々からも、「ミスター・デモクラシー」と称されているほど、立派な方でございます。そしてわれわれ二千三百万の台湾人からは、「台湾の父」とも尊称されております。今日の「日本李登輝友の会」の設立については、私は日台両国のこれからの交流に対して、大きな意義があるものと確信しております。李登輝総統は総統を退かれたあとも、齢八十でございますが、なおかくしゃくとして、台湾と日本、日本と台湾の交流の深まりに努力されております。

 皆様、台日断交後三十年になります。心ある日台の人々はどのような思いでありましょうか。かつては歴史を共にした台湾と日本ですが、近くて遠い国になっております。私は今日の「日本李登輝友の会」の設立は、二〇〇三年からの日台交流に大きく貢献するものと思っております。不可能を可能にした、無血の革命と言われた台湾の民主化、それから政権の平和移行を実現した台湾の李登輝先生は、身を退かれたあとも日台交流に意を注いでおられます。

 李登輝先生は以前、「もし私に訪日が許されるなら、私は”奥の細道”を散策して、日本の心に触れたい」と申されておりました。深く日本を愛し、深く日本の文化を探求されている李登輝先生は、このように感動的な言葉を述べられました。「日本の心に触れたい」━━なんとすばらしい言葉ではありませんか。本来なら“奥の細道”を散策されるべきなのですが、いまのところは如何ともしがたく、非常に遺憾に思っております。どうぞ皆様、本日の「日本李登輝友の会」の設立を契機として、日台間で李登輝先生の“奥の細道”の散策を実現させようではありませんか。

 本当にわれわれの日台交流は、われわれが担い、もっと先、われわれの孫のその孫の代まで続けていかなければならないと思っております。これをもって私の挨拶の言葉を終わります。



 
「台湾精神と日本精神」 李登輝前総統講演全文

「日本李登輝友の会」の阿川弘之会長、副会長の皆様、理事の皆様、執行部の皆様、ご来賓の皆様、こんにちは。ただ今ご紹介いただきました李登輝です。本日の「日本李登輝友の会」の設立にあたり、心からお祝いを申し上げます。

 台湾と日本は地理的に近いだけでなく、両国民の間ではさまざまな、そして豊かな交流が行われてきました。私はこのような両国の親善関係の維持と発展を目指すという貴会設立の趣旨に、全面的に賛同するものであります。

 さて、このように密接な交流が行われてきたことから、台日両国民には文化的にも精神的にも非常に近いものが感じられます。しばしば台湾人は日本人に、あるいは日本人は台湾人に、それぞれ親近感を持っていると言われるのもそのためなのでありましょう。これは国際関係の上においては、非常に得難いことなのです。

 そのようなことから、このたび貴会の事務局から「台湾精神と日本精神」と題する講演を依頼されたわけですが、このテーマは、将来における両国のより良き関係を考える上で、きわめて重要なものかと思われます。そこで本日は、台湾人と日本人が共有するところの、精神面における特性なり長所なりを取り上げ、そのようなものを今後いかに発展、発揚させて行くべきかを、会場にお集まりの皆様とともに考えることができればと思っております。

 さて、日本及び日本人特有の精神は何かと問われれば、私は即座に「大和魂」、あるいは「武士道」であると答えるでしょう。「武士道」は日本人にとっては最高の道徳規範です。しかもそれは日本人にだけでなく、世界にとってもきわめて貴重な財産であると考えているのです。

 現在人類社会では、台湾海峡やパレスチナ、アフガニスタン、イラク、朝鮮半島など、各地において危険な動きが増大しています。さらに政治や軍事の面だけではなく、経済の面においても、世界同時不況の予兆が高まっています。このような危機的状況を乗り切っていくためには何を精神的指針とすべきかを考える時、私は迷わず日本の「武士道」を挙げたいと思っています。「武士道」とは人類最高の指導理念であると言って過言ではないのです。

 しかしまことに残念ながら、世界が今最も頼りとするべき日本では、「武士道」も「大和魂」も一九四五年の終戦以降はほとんど見向きもされず、足蹴にされている状態にあります。もちろんその背景には、日本人の戦争という「過去」に対する全面否定、つまり自虐的価値観というものが大きく作用しているのでありましょう。「武士道」などと言えば非人間的、反民主的な封建時代の亡霊であるかのように扱われている状態です。

 しかし、日本を苦悩させている兇悪犯罪の増加、学校の荒廃や少年非行、失業率の増大、官僚の腐敗、指導者層の責任回避と転嫁など、国家の根幹をも揺るがしかねない今日の由々しき事態は、武士道という道徳規範を国民精神の支柱としていた時代には、決して見られなかったことなのでした。つまりこれらの諸問題は、戦後の自虐的価値観とは決して無関係ではないということなのです。ですから「武士道」の否定は、日本人にとっては大きな打撃と言わざるを得ません。もちろんそれは、同時にまた世界の人々にとっても、大きな損失であると言うこともできるでしょう。

 私は台湾人であり、日本人から見れば外国人ですから、日本に対してここまで言うのはどうであろうかという気持ちもありますが、ただ一人の人間として、やはり良いものは良い、悪いものは悪いと言うべきだと考えております。それに私は日本の教育も受けておりますから、日本の良いところはよく知っているつもりです。だから本日は私の信じるところをはっきりと述べてみたいと思います。

 「武士道」とは日本人の精神であり道徳規範だと申しましたが、それは単に精神、生き方の心得であるというだけではなく、日本人の心情、気質、美意識であると言ってよいかと思います。さらに言えば勇気や決断力の源泉になるものであり、そして生と死を見つめる美学、哲学だとも言えます。

 私は日本の統治が始まってから二十八年が経った一九二三年、現在の台北県三芝郷に生まれました。当時の日本の教育システムは実に素晴らしいもので、古今東西の先哲の書物や言葉に接する機会を、私たちにふんだんに与えてくれるものでした。また「教育勅語」には、「人間はどのように生きるべきか」という哲学的命題から、「公」と「私」の関係についての指針が明確に教えられていました。そのため旧制中学、高校時代は、学校教育や読書の影響もあり、自己修練の気持ちが強くなるとともに、「いかに生きるべきか」ということから、さらには「死とは何か」という大命題までを考えるようになったのです。人間は「死」というものを真剣に問い詰めて初めて「生」を考えることができるものです。つまり死生観について、当時の私は懸命に考え続けてまいりました。

 そうした中で出会い、そして多大な影響を受けたのが新渡戸稲造先生の哲理、理論でした。そしてその中でも強い衝撃を受けたのが、その著書である『武士道』だったのです。新渡戸先生の『武士道』は、「日本の魂」を外国人に理解させるため、アメリカで英文で書かれたもので、一八九九年に初版が刊行されるや、世界中で大好評を受け、国際社会にデビューしたばかりだった日本の声価を一気に高めています。アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領がこれを読んで大感激し、数百冊を購入して世界各国の要人に一読を薦めていた話はよく知られていますが、高校時代の私にとってこの書は、まさにカーライルの『衣装哲学』を止揚(アーフヘーベン)するものであり、死生観に関する私の疑問に明快な解答を与えてくれるものでした。

例えばそこで出てくる本居宣長の「敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」や、吉田松陰の「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ大和魂」といった和歌などは、人間は死んだ気になって全力疾走すれば、どのようなことでも成し遂げることができるということや、「生きるための死」というものを私に教えてくれました。

 『武士道』で新渡戸先生は、武士道の徳目としてまず「義」を挙げています。「義」とは一言で言えば卑劣な行動を忌むということです。そしてそれは個人や「私」的なレベルに閉じ込めるべきものではなく、必ず「公」のレベルにまで引き上げて受け止めなければならない観念です。

 そして次は「勇」です。「勇」は「義」と密接に結び付くもので、義のためではない勇気など全く価値がありません。昭和天皇の「降り積もる 雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ」の御製などは、まさにこの「勇」と「義」を止揚したものにほかなりません。

 さらには愛である「仁」があります。そしてそれと密接に結び付くもの、つまり他人の感情を尊敬することから生じる謙虚、慇懃の心である「礼」があり、「礼」には絶対不可欠なものとして「誠」を挙げています。そして日本人が人倫の最高位に据えてきた、名誉の掟というべき「忠」があります。このような徳目が不即不離のものとして渾然一体となったものが武士道であると、新渡戸先生は説いているのです。

 「武士道」という言葉が一般に定着したのは実は明治時代後半のことで、新渡戸先生の『武士道』の刊行などは、その契機になっていたようです。もともと「武士道」なるものが形成されたのは江戸時代のことです。天下泰平の世において、サムライの戦闘精神が、文化的に形式主義の磨きをかけられたものがそれでした。これに対して新渡戸先生の『武士道』が説くところのものは広義の「武士道」とでも言うべきものです。つまり副題に「日本の精神」とあるように、武士を中心とする日本人の精神一般についてなのです。

 世界に誇る日本精神の結晶である「武士道」の形成について新渡戸先生は、日本で営々と積み上げられてきた歴史、伝統、哲学、風俗、習慣があったからこそだと言っています。もちろん武士道の淵源の一つとして中国の儒教の影響も挙げておりますが、実際は中国文化の影響を受ける以前からの、大和民族固有のものだと論じております。

 死生観の上から言えば、儒教には「死と復活」という契機が希薄で、物事を否定するという契機がありません。だから儒教は「生」に対する積極的な肯定ばかりが強くなるという危険を孕むもので、善悪を定めた道徳でありながら、死生観をはっきりさせていないため、人間個々の生きる意義と、そこに建てられる道徳との間にかなりのずれが生じているのです。儒教は「文字で書かれた宗教」とも言われ、所詮は科挙制度とともに皇帝型権力を支えるイデオロギーでしかなく、人民の心に平安をもたらすものにはなりませんでした。そのようなものを大切に推し戴いてきた中国人は、結局空虚なスローガンに踊らされ、それで満足してしまう、あるいは面子ばかりにこだわり何の問題をも解決もできないばかりか、かえって価値観を錯乱させてしまうわけなのです。

 新渡戸先生はクリスチャンです。彼は士族出身でもあり儒教的な教養を積んできたわけですが、結局は儒教における死生観の不在から、キリスト教に道を求めたのではないかと思います。そしてキリスト教という新たな道徳体系の下で、武家時代の物理的かつ現実的な権力を維持するための狭義の武士道ではなく、精神的かつ理想的な生き方を追求するためにある、しかも未来永劫に通じる道徳規範としての、広い意味での「武士道」の価値を再発見したのです。彼によって再発見された「武士道」は、日本人の「不言実行あるのみ」の美徳であり、「公」と「私」を明確に分離した、「公に奉じるの精神」とも言って良いでしょう。もちろんそれは、中国文化とは全く異質のものです。

 ここで注目すべきことは、この「武士道」には教義も成文法もないということです。あるものと言えば有名な武士や学者のわずかな格言などだけなのですが、これは一体何を意味していたかといえば、つまりそれほどまでに「武士道」が、すでに日本人の血となり肉となって定着していたということでしょう。

 だからこそ私は、終戦後における日本人の、価値観の百八十度の転換を非常に残念に思うのです。今日の日本人は一刻も早く戦後の自虐的価値観から解放されなければならないと思うのです。そのためには日本人はもっと自信と信念を持つことです。かつて「武士道」を築き上げた民族の血を引いていることを誇るべきなのです。そうすることで初めて、日本は世界のリーダーとしての役割を担うことができるのです。

 次に台湾精神について述べてみましょう。台湾精神と言ってもそれをどのように定義するかはなかなか難しいことなのです。戦後の台湾は久しい間、中国大陸から渡ってきた国民党政権に統治され、その間中華世界の伝統的な政治システムである皇帝型権力構造が持ち込まれました。中国の政治文化はあくまで政権の維持と強化のための文化ですから、法治ではなく人治であり、「公」と「私」の区別は不明確です。「中国化」の政策の下でそのような価値観が台湾人に押し付けられ、その結果社会には腐敗が蔓延し、人々のモラルも著しく低下しました。

 そこで私は総統に就任後、民主改革を推進したのです。台湾における民主化とは単に自由と民主の問題だけでなく、自ずと台湾のアイデンティティという問題も招来するものなのです。なぜなら台湾人は歴史的に自分たちの政権を持ったことがなく、この国の主人公であるという意識が必ずしも充分に育っていなかったからです。それまで台湾人の国民精神と言えば、中国人のそれであると決めつけられていましたが、アイデンティティを考える上で、当然台湾人独自の文化、精神とは何であるかを振り返らざるを得なくなりました。                 

 台湾の民主化の過程において注目すべきは、台湾人社会が人治から法治へ比較的に整然と移行していることです。法治社会の実現には、人々の間に遵法精神が根付いていることが前提条件となりますが、台湾人はそれをすでに日本統治時代に身に付け、戦後の人治社会の価値観には完全には染まっていなかったのです。大陸の中国人であるならば、まずは遵法の精神とは何であるかから始めなければならなかったでしょう。

 台湾は周りを海に囲まれた島国であり、閉鎖的な大陸とは明らかに異なる海洋国家としての歴史コースを歩んできました。東アジア航路上に位置することから、早くから貿易中継基地として繁栄もしてきました。原住民であれ荒波を越えて渡ってきた漢人の移民であれ、海洋的色彩の強い文化を持っていたということは容易に推測できます。まず海洋国家である日本の文化が台湾に入ってきた時、台湾人はまたたく間にそれを吸収しましたが、それに反して中国の大陸文化が結局根付かなかったのもそのためではないでしょうか。

 また山岳、平地の原住民は諸種族に分かれ、漢人の移民も言語がさまざまであるように、複数のエスニックグループが存在しました。また西洋や日本などを含む外来政権からさまざまな文化的影響も受けてきました。そのほか、台湾の社会が開拓移民によって切り開かれ、発展してきたことも忘れてはなりません。こうした歴史的要因から、台湾の文化は多元的かつ多重的なものとなったのです。

 同時に人々には進取、冒険の精神、克苦奮励の精神が育まれることになりました。台湾人は一生懸命頑張るといった意味の「打?」(パーピィア)という言葉を好みます。この「打?精神」が今日の台湾の繁栄を支えていることは疑いない事実です。

 また「武士道」を尚武の精神として捉えるなら、タイヤル族に代表される原住民にもそのような伝統はありました。大東亜戦争において台湾原住民の高砂義勇隊が見せた勇猛精神、自己犠牲の精神はよく知られているところです

 さらに言えば、よく指摘される台湾人の「日本精神」(リップンチェンシン)がありますが、これも台湾の国民精神の重要な一つだと言わなければなりません。これは日本統治時代に日本人に学んだ、ある意味では純粋培養されたとも言える勇気、勤勉、奉公、自己犠牲、責任感、遵法、清潔といった諸々の良いことを指すものですが、実はこの言葉が人口に膾炙したのは恐らく戦後からで、中国からきた統治者たちが持たないところの、台湾人の近代的国民としてのこれら素養、気質を、台湾人自らが誇りを以って「日本精神」と呼んだのです。

 言うなれば、この「武士道」としての「日本精神」があったからこそ、台湾は中国の人治文化に完全に呑み込まれることがなかった、抵抗することができたともいえます。これがあったからからこそ、この近代社会が確立されたともいえるのです。このように考えれば「武士道」というものは、台日を含むアジアの近代建設の原動力であったことが理解できます。

 しかし、やはりそれでも戦後の台湾は、中国文化による悪弊を免れることはできませんでした。社会では公私の混同や実利主義の横行、モラルの低下といった悪弊が蔓延し、大きな問題となっています。それにはやはり、中国化政策の中での台湾のアイデンティティの損失が大きく影響しています。それは日本の終戦後の自己否定つまり伝統文化の否定からくる価値観の混乱と、全く同じ状況なのです。精神的な伝統や文化の重みを理解しようとせず、皮相的な進歩ばかりに関心を集中するのは現代社会の通弊だと言うこともできます。

 そこで私は総統就任以来、積極的に「心霊改革」を提唱してきました。心霊とは精神のことで、それを変革することによって社会を古い枠組から脱出させ、そして新しい発想で新しい活力をどんどん生みだそうということです。これは政治改革よりも更に困難なことです。知識人には「理性」ばかりで「実践」が見られない、つまり理屈ばかりをこねて、一向に行動を起こさない傾向が目立ちますが、この改革はまず実践あるのみなのです。

 そこで新渡戸先生の『武士道』です。私は「公」の精神を主軸に台湾人のアイデンティティを確立して行くためには、この一書をテキストにするのが一番良いと考え、実際これを用いて台湾各界の人々に「公」と「私」の問題を語っているところです。そのようにすることによって、かつて日本の「武士道」に学び、現在も心に潜在しているはずの台湾人の精神を呼び戻せるはずだと考えているのです。

 同じように日本人に対しても、あらためて「武士道」を見直し、かつての誇りある日本人のアイデンティティを取り戻して欲しいと私は思うのです。私は余生を台湾に捧げることを決意しておりますが、それと同時に日本を励ますことも、自らの使命だと考えているのです。

 私はかねがね“奥の細道”を歩きたいという希望を語ってきました。それは芭蕉の『奥の細道』に表わされている「わび」、「さび」こそ、日本人本来のうるわしい心情であり情緒だと思っているのです。私はいつの日にか日本の人たちとそこを訪れ、そうしたものを一緒に再確認したいと楽しみにしているのです。
 これを以って、私の講演を終らせていただきます。ありがとうございました。(台北週報2003.1.23)

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