先週前半には実現しないと考えたことが週末に実現した。台湾の前総統の李登輝氏に来日が22日実現し、自民党総裁選挙の予備選で小泉純一郎氏が圧倒的強さを見せつけた。家庭の団らんや床屋談義で随所で「ホー」とか「やりましたね」という会話が交わされたのではないかと思っている。
●李登輝氏の尊厳を傷つけた交流協会
李登輝氏の来日ビザの申請ではおかしなことが起きた。台湾にある事実上の日本国大使館である「交流協会」にビザの申請がされていたのに、福田官房長官は記者会見で「申請はまだない」とうそとついた。「申請があったが突き返した」というならまだ分からないわけでないが、交流協会に提出したということは「受理」そのものであるはずだ。
もうひとつは19日に日本側が「ビザの発給はするが、政治活動をしないという念書を書け」と李登輝氏側に署名を求めたことだ。記者として取材ビザを申請する際、一部の国から念書を書かされた経験がないわけではない。しかし、いやしくも1年前まで一国の大統領という肩書きにあった人物である。その人に「念書」を書かせるという外務省の役人の非礼な感覚には同じ日本人として恥じ入るしかない。
この日本側の対応に対して李登輝氏側は「屈辱的だ」と反発した。尊厳を傷つけられたに等しいから当然のことだろうと思った。同時に日本は中国と台湾と双方からの信頼をなくすのだろうとも心配した。こんなことならはじめからビザの発給を拒否した方がずっとましなのにと頭を悩ました。日本はそんな稚拙な頭脳しか持たない官僚たちが大勢いるのだ。
19日の夜から次の日までなにが起きたのかは知らないが、李登輝氏は日本に来ることを決めた。さすがに日本側も「念書」は取り下げたのだと思う。22日に関西空港に降り立った李登輝氏の笑顔はすがすがしかった。嬉しさを体で表現していたように思えた。同じ日にアメリカは同じ李登輝氏に数次ビザを発給すると発表した。あまりにタイミングが良すぎた。中国としても日米を同時に的に回すわけにはいかないからだ。
森首相は在任1年で最後にひとつだけ国民に支持される行動をとったのだと思う。
それにしても李登輝氏周辺の警備はすごかった。顔つきにあまりよろしくない「側近」が何人もいたのではせっかくの日本での休暇も台無しになるのではないかとよけいな心配もしている。
●小泉総裁の次の仕事は早期の総選挙
週末開票が進んだ自民党総裁選挙の地方予備選で小泉純一郎氏が地滑り的勝利を手中にした。筆者も含めて大方の予想は、小泉氏が予備選でそこそこ勝利しても、どうせ国会議員による本選挙で橋本龍太郎氏が逆転して総裁になるのだろうというものだったはずだ。それが地滑り的勝利によって国会議員による本選挙でも「全国党員の選択肢」を覆すことができるような状況ではなくなった。
自民党の支持者でなくとも「何かが変わるのではないか」という期待感を持ち始めていると思う。筆者は小泉氏と同様、構造改革の遅れが景気の長期低迷をもたらしているのだと考えてきた。構造改革は今の景気をよくしてからという議論は経済記者となってからこの16年、聞き飽きるほど聞いてきた。
1985年のプラザ合意後の円高不況でもそうだった。国際社会からは輸出依存体質から内需依存型の経済への移行が求められた。にも関わらず日本企業はさらに強い輸出競争力を身につけた。バブルが崩壊した90年代前半にも同じ理屈がまかり通った。もちろんアジアへの生産移転は進んだが、日本経済の強い部分が海外に逃避し、円高で淘汰されるべき企業が生き延びて、不良債権を積みます結果となった。
90年代後半に訪れた金融不安の時も国家の重大事と位置づけられ、橋本内閣の行財政改革はあっさり葬られたことは記憶に新しい。一時的に不況を切り抜けると構造改革は一切口にされず、結果、何も変わらない日本と借金の山だけが残った。
そんな自民党からようやく改革を全面に押し出す政治家がトップに立つことになったのだから、戦後日本政治の潮目を感じないわけにはいかない。小泉氏は「信頼される総理」と「信頼される政策」ということを主張した。「最大派閥の支持なしに初めて総理・総裁になるのが小泉だ」「選挙戦で言ったことを実現するのが責任だ」とも言った。総裁選挙の演説などで国民の琴線に触れる言葉で多くのことを語りかけた。
驚くべきは田中内閣以来、キングメーカーの名をほしいままにしてきた橋本派の力の後退だ。あるマスコミは「液状化」と書いた。族議員の上に立ち、ほぼ30年にわたり金と票を牛耳ることで自民党を意のままに動かしてきた組織体が空洞化したのが今回の総裁選だったとすると、次の選挙では自民党そのものの存在が問われることになる。
早めの方がいい。小泉総裁の次の仕事は自らの政権基盤を世に問うために解散総選挙に打って出るべきだ。それこそが憲政の王道であろう。王道を歩めば、来るべき参院選で自民党の地滑り的敗北を食い止められるかもしれない。
【BBSから】[94] 李登輝前総統訪日に思う 曽根 2001/04/24
私は台湾に長く暮らし仕事も生活もここにあります。萬晩報の「小泉純一郎総裁の誕生と李登輝前総統の来日」で触れられた李前総統の訪日については、好むと好まざるとにかかわらず、おそらく日本よりはるかに多くの報道に触れていると思う。今回の訪日は結果として実現したことはよいことと思う。
アメリカが、中国の李前総統訪米ビザ発給に関する抗議に対して「すでに公職を離れた平民に対しビザを発行するのに何の問題もなし」としたその言い方を、日本はなぜできなかったのか、と残念に思う。日本は民主国家であり、多様な価値観の存在を前提としており、たとえ李前総統が日本で政治的意見を発言しても、すでに公職を離れている以上、一私人の発言であり、それは言論の自由のもとで許されるべきと思う。その発言がどれだけの影響力をもつかは別の話である。中国の発言も当然自由であるが、中国のご意見を聞くだけの外務省の決定は自らこの民主の原則を投げ出している。
1、2カ月前、「台湾論」が台湾世論をにぎわせた。作家である小林よしのり訪台を拒否するなどの話もあったが、最終的には陳水扁総統の「言論の自由を守る」という発言で、収拾したようである。日本は台湾より長い民主の経験があるはずだが、日本の官僚はわかっていないのだろうか。
すでに平民となった李前総統に対し、中国はあいも変わらず攻撃しているが、今回は逆効果であったようだ。さらっと対応すればよいものを騒ぎ立てたため日本のマスコミをはじめ、大々的な宣伝効果をもたらしてしまった。李前総統が「医療=人道的」という大義名分を作ったことも賢いが、日本の世論や政治家がビザ発給支持にまわってしまったということは、中国にとっては大きな誤算だろう。
中国人の交渉事では相手が憤り顔を赤くすればするほどその交渉は成功と判断すると聞く。大使召還や要人の日本訪問延期など、この顔を 赤くしていることを示している、つまりは中国は今回の交渉はみごとに失敗したわけだ。
中国は李登輝前総統をトラブルメーカーであると批判しているが、このような言い方が続き、武力で威嚇することが終わらない限り、台湾国民は中国との統一を望まず、現状維持を支持すると思う。日本も平和的統一を支持するならば、中国の言い分だけを聞くのではなく、日本の国家利益も考慮した上で中立的な態度で臨むことが、東アジアの平和と繁栄に貢献することになると思う。(m-sone@comany.com.tw)
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