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国際社会での「歴史紛争」−虐殺(3)
2001年04月20日(金)
ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦

●被害者から「受難者」へ

なぜトルコ人は「アルメニア人虐殺」が「ジェノサイド」と呼ばれることを嫌がるのであろうか。ドイツの新聞記者が考えるように、トルコ国民も「過去に盲目で、人権意識、倫理感覚が欠如している」からなのか。問題は別なところにあると思う。というのは、「ジェノサイド」というコトバが1948年の国連総会決議にあるニュートラルな法律用語でなく、もはやすっかり「ホロコースト」史観で汚染されているからである。

例えば、私たちがどこかの人権関係NGOのパンフレットを眺める。そこには、スペイン人の「インカ征服」から、「北米インディアン」「アルメニア人虐殺」も、ソ連の「収容所列島」も、中国大陸での「日本軍戦争犯罪」も「連合軍無差別戦略爆撃」「ヒロシマ」「アウシュビッツ」「カンボジア」「チベット」「ルアンダ」までありとあらゆるジェノサイドが仲良く並んでいる。このときの「ジェノサイド」は比較的にニュートラルで文化汚染されていない。

それに対して「アルメニア人虐殺」に適用されるのは、ホロコースト汚染された「ジェノサイド」である。というのは、西欧社会、特にドイツ社会では、昔から「アルメニア人虐殺」がヒットラーにユダヤ民族絶滅の先例をなったと思う人々が跡を絶たないからである。

私はこの事件についてドイツで数年前に出版された本を読んで「ホロコースト」を連想させる表現の多さに驚いた。これは、作者が「ホロコースト」的メガネで事件を見ているからである。だから、トルコ人は「アルメニア人虐殺」をジェノサイドとして認めると、ホロコーストの前座をつとめる四回戦ボーイにされてしまうのを察しているのではないのか。

またこの事件に関連してアルメニア民族が「最古のキリスト教徒で、彼らの文明度の高さ」がことさら強調される。被害者がキリスト教徒で、加害者が回教徒であるために「キリスト教対回教」とか「文明対野蛮」という対立の図式が文化的共鳴箱のように機能して「アルメニア人虐殺」が西欧社会で伝説化したと考えられないことはないのである。

次に「ホロコースト」史観の根底にある「加害者対被害者」という図式そのものは特定の文化とは関係のないニュートラルなものである。但し、私たちが考慮すべきことは「死の収容所」で殺されたのはユダヤ人だけでない。周知のように、種々のカテゴリーに属する人々が被害者として同じような運命に遭遇していた点である。ユダヤ人と同じように、ある特定の民族に属するということだけで「ジプシー」と呼ばれる民族グループが50万人も抹殺されたが、この被害者はユダヤ人のように扱われない。

このように色々な点を考慮すると「ホロコースト」史観はすでに触れたように米国在住のユダヤ人にとってだけでなく、世俗化した欧米社会にとっても、以前キリスト教が果たした役割を演じていると考えたほうが、多くのことが理解しやすいのではないのだろうか。つまりこの史観のなかの被害者はキリスト教的意味で「受難者」である。「受難者」を見殺しにした自分たちは罪ある存在である。またこのことに気がつかなければいけないし、二度と繰返してはいけない。このようなキリスト教的考え方はこの史観の重要な要素である。

開祖者兼受難者ナンバーワンのイエスは、かなり暑い南のほうに住んでいて日焼けしていたと思われる。ところが、ヨーロッパ諸国の宗教画でヨーロッパ人として描かれている。これと同じように「ホロコースト」史観が機能するために、「受難者」は自分たちと同じような人々であるというイメージを抱くことできなければいけない。

例えば、ユダヤ人と一口でいっても色々な国に分散している以上、色々なユダヤ人がいる。ところが、欧米人がホロコースト犠牲者として連想するのは自分たちに近い西欧社会同化ユダヤ人である。ヨーロッパ人は「ジプシー」と呼ばれる民族グループに対して自分たちと同じような人々と思っていない。そのために、いろいろ屁理屈をつけて、彼らをユダヤ人のように扱わない。これも、ジプシーは被害者であるが、「ホロコースト」史観の「受難者」になれないからである。

こう考えていくと、アルメニア人は「受難者」レースでゴールに近い地点まで来ているのかもしれない。でも、彼らが「受難者」に昇格したとして、事件そのものが「ホロコースト」の前座で、ランクの低い聖人の扱いを受けるような気がする。

ただこのことは、ユダヤ人「ワンマンショー」という趣きがある「ホロコースト」史観が複数の聖人・殉教者を配置する方式に変わることを意味する。また第二次世界大戦に限定されていたその対象がひろがる。

「ホロコースト」を西洋文明と対極的なもの、それも異教徒のヒットラーとそのお仲間が仕出かした「アジア的蛮行」と見なすホロコースト観は戦後西ドイツ社会に存在していた。「小アジア」の住民トルコ人がキリスト教徒のアルメニア人に襲いかかり、虐殺するイメージが公認される。この結果、欧米中心主義的な「ホロコースト」史観にすでに存在する「アジア的蛮行」観がすっかり定着すると思われる。

「ヒロシマ」といっしょに論じられていた頃の「アウシュビッツ」とはガス室など大量殺人の工業・技術的側面が強調され、核兵器の発明とともに文明の極地として見なされていた。このことを考えると、この「アジア的蛮行」説には今昔の感を覚える人々が多いのではないのだろうか。

●受難劇コンクール

「アルメニア民族ジェノサイド承認」が決議された後でフランス側はオスマン・トルコが問題にされているのであって、現在のトルコにアルメニア人に対する補償・賠償を求めるのではない点を強調した。

それなら、なぜフランスの政治家が議会でこのような奇妙な決議をするのであろうか。彼らが政治的あるいは法的解決をめざさないなら、どうして自分たちがよく知りもしない歴史的事件の性格についての判断を歴史研究者に任せないのか。欧米社会にもこのように考える人々は少数ながらいるのである。

フランスの議員連中には補償を求める意図はないかもしれない。彼らの多くが古風な愛国者で、奇妙な慣習が出来あがり自分たちがいつの日か払うはめになるのを怖れる。トルコ人のほうは「ジェノサイド認定決議」をする国が今後どんどん増大していくと、結局補償請求になると心配する。この心配に根拠がないとはいえない。

というのは、この数年来米国という「訴訟社会」で、冒頭に列挙したように次から次へとホロコースト関連の集団訴訟が繰返されているからである。これは「ホロコースト史観」をバックに米国独特の法制度、また州レベルでの法改正や、ヨーロッパから見ると本当に不可解な被害者保護の絶対化という傾向と結びついて可能になった。

ルター以来新教的伝統の強いドイツ人から見て、米国の集団訴訟は免罪符を売りつけるようもので彼らの気質に合わない。彼らが本当に好きなのは日曜日の教会で深刻な顔をして「アウシュビッツ」の方を向き、自身を含めて人間の罪に思いはせることである。その後、彼らはまわってきた賽銭袋にわずかばかりのお金を忍び込ませ、教会に来ない国民(例えば日本)に対して優越感を覚える。その程度である。

また、ドイツをはじめヨーロッパ諸国は米国とは法制度も、またその伝統も異なるので「歴史紛争」と関連した訴訟も日本と同じように結果になる。以上のことからわかるように、米国と欧州の間に考え方の上でとてつもなく大きなギャップがある。

米国社会を外から見ていると、これらの集団訴訟はこの国のナショナリズムのかたちと絡み合っているように思われる。「旧世界」で迫害を受けたから理想的な「新世界」を建設したというメイフラワー号の建国神話が色褪せて、すでに触れたように七〇年代の後半に「ホロコースト」史観がその補強にかりだされた。

この「ホロコースト」史観に則ってユダヤ人以外のニューカマーの少数民族も迫害を受けたというお話を語る。それは、米社会でその存在を主張したり、アイデンティティーを確立するためには、ニューカマーが「旧世界」で受難に遭って「新世界」に来て幸せになるという建国神話に似た話を語らなけれいけないかのようである。

アルメニア人はトルコ人から、朝鮮人や中国人のアジア系は日本人から酷いめに遭った物語をする。こうして色々な少数民族の受難劇コンクールが始まり、「南京大虐殺」もアジアの「ホロコースト」になる。こうして米国社会内の通過儀礼、各少数民族の「成人式」のようなものに世界中がつきあわせられる。私にはそのように思えて仕方がない。

●ディストモ村の人々

国際社会でのこのような「歴史紛争」に、私たちはどのように考え、対処したらよいのだろうか。

問題となっているのは国内の刑事・民事事件でなく、昔戦争で起こった事件である。オスマン・トルコに戻れば、アルメニア人を殺したり、また彼が所有していた家屋を奪い、そこに住んでいるのは不正であり、正義を実施するために、補償したり、当時の加害者を処罰すべきであるというのは正しいのである。

でも国内法でも時効があることからわかるように、国際関係でそんな昔のことを蒸しかえさないほうがよいとする見解にも傾聴すべき点がある。いわんや国家間の関係も絡んでいる。国家間の条約で貸借関係が精算されているとか、また経済援助で間接的に責任を果たしたとかいう主張を、日本政府は繰返してきた。この立場が絶対間違っているとはいえないのである。そう主張する人たちは、自身の判断が「過去志向型ユートピア思想」と関係ないかどうか考えるべきである。

世界中で日本と正反対と見なされるドイツも、事情次第では日本政府と同じことを言い出す。例えば、それは1944年6月10日ギリシアのディストモ村でドイツの親衛隊(SS)が生後二カ月の乳児から86歳の老人を含めて218人の村人を村の広場で虐殺(=「マサカー」)した事件である。この数年来、この村の遺族がドイツ政府に対して補償するようにギリシア国内で訴えて裁判になっている。昨年ドイツに支払いを命ずる最高裁判決がくだされたが、ドイツ政府は従わない。その理由は戦後ギリシアに対してドイツが直接的にも、また欧州共同体を通して間接的に経済的援助をしてきたことである。ということは、日本政府と同じ立場である。

ドイツをはじめ欧米のメディアがディストモ村の話を小さな外電記事以上に取り上げないのも、ドイツ外務省の役人が日本政府と同じようなことをいっても大多数のドイツ人が気にもかけないのも、このギリシアのディストモ村の人々が彼らの奇妙な「ホロコースト」史観のなかで「受難者」でないからである。

この前の戦争で確かに日本軍は色々恨まれることをした。私たち日本人の意識のなかでは、日本人から残酷な扱いを受けた人々がディストモ村の人々のような存在になっている。だからドイツが「受難者」でないディストモ村の人々を見たり、扱ったりしているのと同じように、私たち日本人はアジアの被害者・犠牲者について考える。すでに述べたように、キリスト教的要素を色濃く含む「ホロコースト」史観など私たちは無関係なので「受難者」などという特別枠を設けることはできない。このように日本人の態度を解釈することもできる。

どうして欧米の人々はこのように考えることができないのだろうか。私はドイツ人をはじめヨーロッパ文化圏の人々と議論したり、彼ら書いたものを読んだり、また自分が書いたものに対する反応を見たりして、彼らが理解してくれないことに驚くし、時には絶望的になる。

彼らには「ホロコースト」史観的メガネで自分たちが多くのことを見ていることに気がつかない。だからディストモ村の人々に対して日本政府と同じ態度をとっていることも彼らの意識にのぼらない。つまり「灯台下暗し」である。こうなるのは非西欧社会に対峙したときに彼らは自分たちの社会が異質であるというイメージを抱きたいからである。また、この「ホロコースト」史観がどこか世俗化した西欧社会で宗教のかわりになっていることも議論を困難なものにする。

私たちはどうしたらいいのだろうか。これは難しい問題である。多分何をしたらいけないかのほうがはっきりしていると思う。彼らが文化汚染された概念で思考したり、議論している以上、私たちが文化や歴史に逃げて文化汚染された概念で話しはじめるのは彼らの思う壺になるように思われる。

この事情は欧米とアジアとの間で「人権論争」を考えるとわかりやすい。ヨーロッパが自分たちの専売特許であるかのように人権を主張する。それに対して、文化的にニュートラルな、より普遍主義的な立場からヨーロッパ人の主張に含まれる文化汚染を指摘するべきである。アジアの人々が反発するのは自分の身の丈に合わない衣服を強要される気持を抱くからである。それなら「ヨーロッパの服」であるといえばよいので、「アジア的価値」を持ち出すのは、自分たちは別だと思いたいヨーロッパ人を喜ばすだけである。

今回仏国会による「アルメニア人ジェノサイド認定」後こちらのメディアでトルコ国民がかなり一方的に弾劾され、私の精神衛生に悪い日が何日か続いた。唯一の救いは、トルコ史を専門とす歴史学者が「ホロコースト」史観的メガネで事件を見ることに協力的でなかった点である。トルコでも古い公文書を歴史研究者が閲覧できるようになり、色々なことがわかってきたからである。

確かにどんな学問もイデオロギーから自由でない。とはいっても、歴史研究の進展こそ、宣教師等の当時の目撃談に基づいた「アルメニア人大虐殺」のイメージを相対化し、この事件を本当に理解するのに役立つように思われる。というのは、本当の歴史学は「過去志向のユートピア思想」と関係ないからである。

美濃口さんにメールは mailto:Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de
http://www.asahi.com に「欧州どまんなか」を連載中
http://www.asahi.com/column/aic/index.html
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