先月の朱鎔基首相来日の折り、ホテルニューオータニで開かれた歓迎昼食会に異色のゲストが一人いた。大阪の繊維商社「辰野」の専務、辰野元彦さんである。2年前の1998年1月、中国新疆ウイグル自治区のウルムチに独力で地下商店街を立ち上げた人である。
●高層ビルが林立するシルクロードの拠点都市
ウルムチはシルクロードのオアシスのひとつである。タクラマカン砂漠を越えるシルクロードは南道と北道に分かれ、北道はトルファンでさらに天山北路と天山南路に分岐する。ウルムチはその北路にある。灼熱の砂漠地帯から天山山脈、といっても日本の本州ぐらいの面積があるのだが、に分け入った高原の都市である。
新疆ウイグル自治区の首都であるが、かつては中国の辺境の一都市でしかなかった。しかし、ロシアとの国境開放に伴い、中央アジア最大の流通拠点として新たな役割を担い始めている。ウルムチ国際空港には北京、上海など国内諸都市だけでなく、アルマトイ(カザフスタン)やタシケント(ウズベキスタン)など隣接する国々にも多くの国際便が離発着する。バザールには中国沿岸部で製造された家電製品やアパレル、雑貨が集積し、ロシア人のバイヤーでごったがえしている。当然ながらここで信頼される国際通貨は中国元である。
タクラマカン砂漠から天山山脈の一帯は19世紀から20世紀初頭にかけて、地図の空白地帯と呼ばれた。古代史のロマンにかき立てられスタイン、ヘディンら多くの探検隊が踏査する一方、南下するロシア勢とインドから北上したイギリス勢が暗躍した歴史を持つ。21世紀を迎えるウルムチは高層ビルが林立する中央アジア最大の都市へと変貌し、井上靖が描くロマンの世界とは様変わりしている。
●日本人のいないところに進出せよ
そんな変化をいち早く察知したのが辰野さんだった。すでに上海にアパレルの縫製拠点をもち、次の進出地を模索していた。たまたま大阪で世話をすることになった中国人留学生がウルムチ出身で、1996年の夏にその元留学生の誘いでウルムチを訪問、新疆ウイグル自治区の広大さに強くひかれた。
そこからの辰野さんの行動は早かった。地下商店街という発想をウイグルの人々持ち込んだのはさすがになにわ商人である。1年半後の1998年1月1日にはファッション関係を中心としたショッピング街「辰野名品広場」が誕生した。前兆130メートル、幅24メートルの長方形で事業費2億3000万円のうち75%を辰野側が出資した。
面白いのはやはり辺境地区として地下商店街は有事の際には防空壕の役割をはたせられるということで、人民解放軍が施工に当たった。余談だがかつて旧ソ連と軍事的に対峙していたころの中国では、いたるところで地下街がつくられた経緯がある。当時はそんな地下街が自慢だったらしく、20年ぐらい前までは中国の観光(参観と称していた)には必ずといっていいほど地下街見学が組み込まれていた。
辰野のウルムチ初の地下商店街では当初、カルバン・クラインやクリスチャン・ディオール、ワールドといった世界でおなじみの高級ファッションブランドが多かったが、最近では割安感のある中国製のブランドものも集め、期間損益が黒字化したそうだ。
海外事業における辰野さんの経営哲学は「日本人のいないところに進出」することだ。「乗り遅れるな」を合い言葉に多くの日本企業が
失敗を重ねてきた。土地勘のない場所への進出はなかなか勇気のいることだが、成功すれば先行者利得がある。華僑の発想に通じる。
中国政府は昨年から「西部大開発」を掲げ、内陸部への投資を呼びかけている。朱鎔基首相の歓迎昼食会に辰野さんの顔があったのも西部大開発の先駆者に対する敬意を表したものであろう。
ウルムチは20年前に一度だけ訪ねたことがある。万年雪を抱く天山を遠望する町並みや青い瞳の人々。統制時代の色彩に乏しい中国の都市にあってこれが同じ中国かと思わせるものがあった。今回、辰野さんに変貌ぶりを聞かされ、中国の改革開放がいよいよ辺境をも変えつつあるとの感慨を持った。
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