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日本を変えたイレブンと金融トップの自殺

2000年09月23日(土)
萬晩報主宰 伴 武澄

  シドニー五輪で20日夕、日本サッカーはブラジルに破れたが、32年ぶりの準々決勝リーグ進出が決まった。数時間後、社内のどよめきをかき消すかのように日債銀の本間忠世社長自殺の一報が入った。日本を変えた新しいイレブンの活躍と不良債権という十字架を背負った金融機関トップの死という二つのニュースが翌21日朝刊に並んだ。変わり目にある日本を象徴する紙面だった。

 筆者がいま、関心を持っているのは28日告示、10月15日投票の長野県知事選だ。対立軸のないまま、20年の長期政権を担った吉村午良知事の引退に伴う選挙で、絶対本命視された池田豊隆前副知事に作家の田中康夫氏が宣戦布告したことによりがぜん全国の注目区となった。

 田中康夫氏は一橋大在学中に「「なんとなくクリスタル」を書いて以来、人気作家の一人となっているが、その後ブランド志向、スッチーものなどのコラムには一定のファン層を維持してきたものの、とりたてて売れた作品を書いたという記憶はない。それほど幅広い層の支持を得た作家とは言えなかったが、95年1月の阪神大震災でのボランティア活動や神戸空港建設反対運動で世間の田中氏を見る目ががらっと変わった。

 何が田中康夫をかりたてたのか分からないが、その田中氏が政治の世界に挑戦するとはだれも考えなかっただろう。だからこそ長野県知事選が国政レベルでインパクトを与えるのだろうと思う。

 田中康夫氏の出馬について「変わらないのが当たり前という長野が変わるかもしれないと期待している」とのある長野県民のコメントが信濃毎日新聞に載っていた。

 単純だが、いまの日本人にとって最も分かりやすい言葉ではないかと思う。村上龍氏は近著「希望の国へのエクソダス」(文芸春秋社)で主人公の中学生のポンちゃんに「この国はなんでもある。ないのは希望だけだ」と繰り返し言わせている。村上龍氏がたどりついたこのフレーズを筆者は最近気に入って逢う人ごとに話している。

 思い起こせば90年代のこの日本で1回だけ、国民に希望を持たせた時期があった。細川内閣が誕生した前後である。男も女も大人はみんなわくわくしていた。

 日本経済は決していい状況にはなかった。円高のさなかで、経済界は円高不況の到来に危機感を高めていた。だが海外旅行が安くなり、ブランドものや輸入車も相次いで値下げされ、「物価安が生活レベルを向上させる」との期待があった。なによりも自民党一党独裁という55年体制の崩壊で何かが起きるとの期待感に胸を膨らませた。

 だがそんなわくわくした気分も連立政権の瓦解、そして阪神大震災によって1年足らずで一気に収束した。

 自民党が政権に戻り、政権維持のためにかつての政敵と組んだ。銀行破綻が相次ぎ、政府は銀行救済のために巨額の公的資金注入をスタート、天文学的財政赤字の中でも不況克服を目的とした財政投入に歯止めをかける人はだれもいなくなった。官僚汚職は頂点の大蔵省にまで及び、警察官の犯罪いもづる式に白日にさらされた。少年による凶悪犯罪が日常化し、雪印乳業の集団食中毒事件で自慢の製造業にまで信じられないものとなった。

 失礼ながら、田中康夫氏や村上龍氏が政治や経済問題に正面から取り組むとは思わなかった。彼らに男と女の間のファンタジーを描かせれば絶品だ。そんな彼らが腐食する日本列島に本格的に取り組まざるをえない状況こそ日本の病状を端的にしめしているのである。

 サッチャー元イギリス首相が回顧録の中で語っていた。「エリートたちはこの国が立ち直ることなど考えていなかった。過去の栄光からどのようにしたら時間をかけて衰退できるかばかり考えてきた」。日本のエリートたちも同じようなことを考えているのだとしたらえらいことだ。もはや政治や経済をなりわいとしてきた人々では解決策を見いだしえないのだろうか。           


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