2004年10月14日、伊勢新聞政経懇話会でスポーツライターの玉木正之氏が講演し、面白かった。ルールづくりに参画できるようになって日本の柔道は強くなったという話はなるほどと思わされた。日本経済がトップになり切れないのはまさに国際経済のルールづくりに参画で切れないということなのだろうと合点した。

 アメリカのスポーツ経済は20兆円といわれる。EUは15兆円。日本は経済規模から言えば10兆円あってもいいが、そもそも経済産業省の経済統計にはスポーツという分野がない。世相いわれているのは5兆円だからまだまだ大きくなる。
 実はアメリカではスポーツの輸出が始まっている。今年はヤンキーズの開幕戦を東京でや
った。ネット裏の2万円の席があっという間に売れた。一番もうけたのはアメリカのMLBである。
 ポスト工業は文化とかスポーツだといわれている。経済構造が変わってきているのだ。変
わらざるを得ないともいえる。日本でスポーツが低迷しているのはそのことがよく分かっていないからだ。過去のオリンピックのメダル数をみれば、日本はGDPに比してあまりに少ない。
 スポーツは「人的エネルギーの浪費」であるといわれる。かつては何も生み出さなかった。陸上の100mを全力で走っても何も生産しない。原田が長野で100mを飛び、立つたというがもらったのはメダルだけ。ボクシングはハングリーなスポーツと言うが本当に貧乏なら食えないから働くはずだ。
 ラテン語でDisportという言葉がある。Disもportも離れるという意味。日常の仕事から
離れてやることがスポーツなのだ。その余暇でやることがお金を生むようになった。
 アテネで日本の柔道の中継を見ていた気付いたことは、山下監督がうろうろしていることだった。世界柔道連盟に理事にようやくなった。柔道が世界のスポーツとなって初代の会長こそ日本人だったが、その後は日本人ではない。理事に名を連ねることの意義はどういうところにでるかというと、まずルールづくりに参画できる。それから審判を選ぶことができる。山下監督があそこにいることで日本に不利な判定は相当程度少なくなると考えていい。 体操でも加藤さんが審判団に入っていたことは団体優勝に大きく影響していると思う。グレコローマン・レスリングでテレビをみていた人が誰でも反則と思われた場面があったが、日本のコーチは何も言わなかった。英語もフランス語も使えないからだ。
 近鉄はこの冬、球団名を売り出した。バッファローズの近鉄の部分を35億円で売り出したが、プロ野球界は認めなかった。35億円というのは赤字部分だった。前例がないのが理由だったが、これはうそ。西鉄がライオンズを放棄したあと、福岡野球団という名称になったが、球団名を太平洋クラブに売った。当時、まだネーミング・ライツという言葉はなかったが、ネーミング・ライツは過去にもあったのである。オリックスから楽天へのあおぞらカードの株譲渡の後に、三木谷社長がプロ野球参入を公表した。7月まではプロ野球に参入しなくてよかったと発言していたのだ。
 フェニックス市はダイアモンドバックスという球団をつくるとき、市が消費税を2%上げて球場をつくる法律をつくった。8ヵ月の時限立法だったが、6ヵ月で目標の500億円に達したので、そこで増税を打ち切った。アメリカの球場のほとんどは税金で建てられている事実を知っておくべきだ。ロサンジェルスのドジャース球場もそうだし、セーフィコ球場もそうだ。セーフィコの場合はネーミング・ライツを行使して球場名をセーフィコ生命保険にうり、年間2、3億円を得ている。興味深いのはすべて「永久・無償」で貸与されていることだ。貸与後の修理費などは球団負担となるが、駐車場代や球場での物品の売り上げは球団のものとなるから、球団の経営は日本と違ってずいぷんと楽になっている。アメリカでは都市がシンボル球団を生み、スポンサーを集める。そして産業を生み出した。半面、日本のプロ野球は企業がやってきた。
 明治10年ごろ、西洋のスポーツが大挙して日本にやってきた。古来、日本では右手と右足がいっしょに出る。農耕作業でクワを入れる時、そうするのが一番力が入るからだ。踊りもみなそうだ。歌舞伎の「かぶく」という動作も右手と右足だ。武士が走る時は、刀を抑えながらだから手を振ることがない。ところが、これでは軍隊のほふく前進ができない。行進も出来ない。そこでスポーツが奨励された。
 明治29年、森有礼文部大臣は学校に運動会を導入した。集会が禁じられていた自由民権派も運動会をもよおしてそこで政府批判を行った。騎馬戦や棒倒し、仮装行列はそこで生まれた。運動会で仮装行列までやるのは日本ぐらいだ。
 あまたあるスポーツで、日本でなぜ野球がのこったのか、わたしには持論がある。日本では鉄砲が伝来してから、市民戦争がなくなった。鉄砲をつかった戦争は団体戦だ。チームでたたかうことを余儀なくする。戦争がなくなったため、せっかく入ったチームでたたかうという意識が薄れた。それまでの「やーやーわれこそは」という個人戦に戻ってしまった。野球は基本的にはバッターとピッチャーとの対決である。9人のチームだが、順番に1対1の戦い。日本では団体競技がなじまなかったのだ。
 明治44年、朝日新聞が「野球害毒論」のキャンペーンを張ったことがある。国民新聞と大論争になった。新渡戸稲造は塁を盗むなど武士道にもとる、きんちゃく切りだと批判した。乃木希典は「野球は無駄が多い。あの広いところで剣道をやればもっと多くの人が運動を楽しめる」といった。
 これが数年経つと、中学校野球大会を始めることになる。毎日新聞は都市対抗野球を始めた。読売は大リーグを呼んで神宮球場で日米対戦を実現させるために選手を集めて球団をつくった。それが巨人軍の前身となった。その時から日本のプロ野球が始まったが、たまたま球場をもっていた阪神電鉄が参加することとなった。
 アメリカは野球を発展させてきた。日本は昭和25年の2リーグ制以来、12チームでやってきた。ナ・リーグ、ア・リーグのふたつだったアメリカはそれぞれを東西に分け、それでも球団が増えたため、中部もつくった。おかげで現在は30チームがあって、まだ増えるかもしれない。
 アメリカのプロ野球は野球の発展が目的だったのに対して、日本は親会社の道具だったから、発展させるという発想はもともとない。サッカーはJリーグができた時、50億円市場だった。いまは5000億円といわれる。マーケットが100倍になった。川口チェアマンは当時、何のためにJリーグをつくったのかとの質問に「サッカーのため」とこたえたのをよく覚えている。プロ野球は「会社のため」で、高校野球は「教育のため」というのが日本である。だから現在のプロ野球の再編問題はまだ親会社の問題でしかない。まだプロ野球の問題は起きていないのだと思っている。
 浦和レッズは93年、三菱自動車の会社だった。8億円のお金が出ていた。いまは32のスポンサーの一つにすぎず、負担も8000万円。もしレッズの経営が変わっていなかったら、いまごろチームの存廃が問題となっていたに違いない。
 マリノスの岡田監督はすごい人だ。去年、ファースト・ステージで優勝したとき、ゴーン
さんが4人のMVPに4台フェアレディーZをあげたいといった時、「じゃあ5人目に活躍した選手の不満をだれが抑えてくれるのだ。たかがスポンサーのくせに」と言って、申し出を断ったそうだ。チームの運営は自分であり、スポンサーは単なる協力者という意識を強く持っている。