ナンバー2で何が悪い 萬晩報

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賀川豊雄彦の平和論はナンバーツー、スリーで何が悪いということだと思 っている。ナンバーワンになろうとするから無理をして戦いを挑むように なるのだ。戦前、賀川豊彦は北欧諸国を何度もめぐって日本は北欧にあや かればいいということを随所に書き残している。

かつてバイキングの頃デンマークは巨大な王国を誇っていた。そのデンマ ークは今、九州ほどの小さな領土に500万人のこじんまりとした国を経営し ている。大した工業製品もないが、酪農王国として世界屈指の豊かな社会 を維持している。賀川にいわせれば、助け合いを社会形成の核に置き、軍 備を放棄したからに他ならない。

助け合いとは「譲る精神」である。自分 だけが得をしようと考えると奪い合いが生じ、富の格差が生まれる。逆に 譲ることを始めれば、みなが譲り合い、みんなが富を分かち合える社会が 生まれるとも言う。

それから軍事費を教育を中心とした社会保障費に充てるだけで国もあり方 が180度変わるとも言う。「他国から攻められたらどうするのだ」。そんな 疑問は当然起こるだろう。北欧諸国はこの100年、ソ連やドイツから何度も 攻められ、占領されている。だが国はなくなっていない。キリストの教え ではないが、欲しいものがあれば与えればいいのだ。最後の衣一枚があれ ば生きていける。

150年前のデンマークは南部の豊かな酪農地帯、シュレスウィッヒ・ホルス タインをプロシアに奪われた。今も奪われたままである。国民はプロシア を恨むことなく、残った北部の半島を開墾し、50年後には再び豊かな酪農 地帯を生み出した。今のデンマークはそうして生まれ変わった。

僕も高知の人間として広い山林を親たちから遺産相続した。そんなものは 誰も欲しがっていないのだが、その山林を開拓しようと思うと隣接する山 林との境界線を確定しなければならない。隣接する山林の持ち主を探し出 して交渉しようとすると、必ず諍いが起きる。誰もが欲しくない山林でも いったん境界線を確定しようとすると少しでも自分に有利にしようと考え るのだ。

この話は国家間の領土問題と酷似している。誰も住んでいない日中の尖閣 列島の領有問題はそっくりだ。使いもしない島の領有権をめぐって、もし 戦争になるのだとしたらそれほどばかばかしい話はない。戦争が起きると 必ず人が死ぬ。平時に人を殺せばどこの国でも犯罪となるが、いったん戦 争という事態になると人を殺すことが英雄になる。

愛国心について、司馬遼太郎は『菜の花の沖』で実に思慮深いことを書い ている。

「愛郷心や愛国心は、村民であり、国民である者のたれもがもっている自 然の感情である。その感情は揮発油のように可燃性の高いもので、平素は 眠っている。それに対してことさら火をつけようと扇動するひとびとが国 を危うくする」。主人公の嘉兵衛に「他国を謗(そし)らないのが上国だ」 と語らせている。なかなか含蓄がある。

われわれは国の偉い人たちに煽られてはならない。戦時には戦争に反対す ると「非国民」となじられる。人々は戦争が嫌でも非国民よばわりされた くないから戦争に賛成する。賛成するばかりでない。今度はご近所の人た ちを「非国民」となじる側になる。こうなると平常心などなくなってしま う。群集心理というやつだ。どこの国でもそうやって国民感情がエスカレ ートし、戦争を回避できなくなる。 戦争に賛成する人たちが愛国者となる。よくよく考えれば、これほど矛盾 した話はない。人殺しが愛国者となるのだ。考えてもみたまえ。戦争の当 事国の双方が愛国者なのだ。国境内の愛国者は同志だが、国境の向こうの 愛国者は謫になってしまう。そんな矛盾を感じないないのだろうか。戦争 は人々を盲目にしてしまう。お互いが愛国者同士なのだったら、戦争をし ないことが一番正しいことなのだ。

伴武澄 について

新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。
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