9年前、東日本大震災から4カ月後、構想日本に乞われてメルマガにコラムを投稿した。今、世界に蔓延している新型コロナウイルス。まさに計測不可能という事態では大きな地震とまったく同じなのだ。違うのは地震や津波は起きた時に終わっているのに対して、ウイルス感染は始まりだということである。もう一つ忘れてならないのが、福島第一原発事故であろう。9年の年月を経てもまだ終りが見えないのだ。

J.I.Mail News No.511 2011.07.14 萬晩報主宰 伴武澄

長い地球の地殻変動の歴史の中で日本列島が誕生したのだと考えれば、どんな自然災害だって起きうると考えさせられている。

恐いのは計測不能という事態である。今回の東日本大地震でマグニチュードが当初の8・8から後に9・0に変更されたのだが、そもそも地震計は震度が7までしかなく、それ以上は計測不能なのだという。つまりそれ以上の大きな揺れに人間社会は一切対応できないという現実を突きつけられているのである。

6年ほど前、三重県の津市に住んでいた時に大変な大雨に遭遇した。幸い死者、行方不明者はあまり多くなかった。問題は雨量が1時間に150ミリを超えたため雨量計が計測不能になったことだった。気象台は「150ミリ以上」としか発表しなかった。

国交省の三重県事務所で聞いた話である。三重県最大の河川である宮川上流のダム事務所との連絡が一時途絶えた。電話の普通回線はすぐに切れ、携帯電話も基地局の停電で不通となり、頼りの衛星電話も分厚い雨雲によって電波が遮られた。雨量が分からない上に情報も途絶する事態に同事務所はほとんど思考停止になりかけた。被害の予測ができなければ、手の打ちようもないのだ。

今回の大震災では加えて制御不能という事態が重なった。もちろん福島第一原発のことである。政府も電力会社も不測の事態が起きたときに原発を制御できると本音で考えていたとは思えない。ただ不測の事態が起きないと考えていただけだろうと思っている。

災害や事故は普通、時間がたてばいずれ終息する。しかし原発から拡散した放射能の問題だけは気の遠くなるような時間がかかるのだと思っている。震災後3カ月を経ても不安はいまだに拡散中である。

そんな未曾有の国難の最中に政治家が政争に明け暮れている。自民党が政権を担当していたとしても原発事故の不手際は五十歩百歩だったはずだ。巨大災害で一番恐いのは人間の思考が停止することである。沈みかけている日本丸の船頭を代えたところで浸水が止まるものでもあるまい。

天災も人災も忘れたころにやってくるのだ。もはや誰の責任でもない。国民の大多数は大震災から再建には相当な困難が立ちはだかっていると考え、そのための負担も覚悟しているはずだ。政治家たちも政治家を選んだ我々も官僚も同じ覚悟を持って国難に立ち向かいたい。

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