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I HOUSE SPECIAL 政治を語る「平成日本の夢」-その3

 デモクラシーの成熟に賭ける…………………

1997年00月00日
 元中国公使 伴 正一


ご意見

平成日本のユメ−世界平和への取組み

 その前に近、現代史を一瞥しておこう。

 進歩的文化人たちの言論を帰謬(きびゅう)法で総括すると、日本という国さえなかったらアジアも侵略される目に遭わなかったし、世界もずっと平穏だったに違いないということになりそうである。

 確かに日清戦争はヨーロッパ列強の中国蚕(さん)食を加速させたきらいがある。だが、さればとて日本さえ存在しなかったらその中国は安泰であり得たかというと、そんなことはさらさらない。

 1858年、同60年と相次いでアムール、沿海の二州を奪った帝政ロシアはその後も南下の勢を続け、義和団事件出兵の後も大兵力を満州から引揚げようとはしなかった。当時の清朝に独力でその撤退を迫る力があったかどうか。

 その清国への隷属がまだ続いていた李朝の朝鮮も、ロシアの手に落ちないという保証はなかった。

 目を転じて南アジアやインド亜大陸はどうだったか。タイ以外、べったり欧米の領有に帰していたカイバル峠以東のアジアに、自力で英帝国の牙城シンガポールを攻略する力があっただろうか。それとも欧米の列強は、そんなことをしなくても、攻め取った土地をおとなしく戻して帰って行くつもりだっただろうか。

 アジアにおける近、現代史を通観して、その中における日本の功罪を考えていると、進歩的文化人たちの言っていることは、何かに取り憑(つ)かれているとしか思えないほど奇妙である。

 我々の父祖の歩みにも、多くの重大な誤りがあったことは認めて、あまり身びいきにならないことは肝要であろう。

 しかし、自分の国のことなのに、アラばかりあばき立て、よかったことを切り捨てて顧みないのは正気の沙汰ではない。

 祖国の歴史は多少美化気味に綴っていいのだ。遺徳の顕彰と青少年への励ましに資するための許容誤差を、適度に認めることは、どの国の場合でもあっていいし、現にそうなっている。そうでないのは日本だけだ。

 こんな前提で日本が歩んだ130年を世界視野で眺めてみよう。

 ヨーロッパ列強が力づくでアジアを席捲しつつあったとき、日本がこれに屈しなかった姿は、壮観である。これから先も日本人が誇りとしていい。というよりわれわれは、父祖が体を張って示したこの気概を顕彰して後世に伝える義務がある。

 問題の多い大東亜戦争でさえ、十字軍やナポレオン戦役と並べてその歴史的意味を探る余地はあろう。一つの時代の幕開け、呼び込みに戦乱があるという図式は、史上その例が少くないのである。

 徳川260年のあとを承けての130年間、今から見れば幾多のねぢれ現象を包蔵しつつも、大観して祖国日本は、常にアジアの先頭に立って進んで来た。そしてその姿は、これからさき日本の進むべき道を示唆する。

 アジアのために、まだしばらく日本は健在であらねばならぬ。何事につけても、アジアの視線を背中に感じながら進むことだ。それが、われわれの生き甲斐にもつながるのだ。

 アジアを向いて兄貴面(づら)をするよりも、背を向けて先頭を走り続ける。常に自らを高めようとする。新たな目標に向って励み続ける………。それが言わず語らずのうちにアジアの励みになるという図式だ。

 こう考えてくると、前章では破れかぶれと言ったが、デモクラシーの成熟は誂え向きの目標に思えてくる。

 アングロ・サクソンに追いつき追い越せといっても、軍事力や経済力のようにはいかない。壮大なる知的作業である。その達成には何十年かかることだろうか。西洋文明の摂取に成功したかに見えてそうでないのが政治思想だからだ。

 ここまで考えが辿りついてきて思い浮ぶのが、旧制高等学校の学風である。戦前日本の知性層形成に果したその役割には、確かに測り知れないものがある。

 型破りなバンカラ姿の生徒たちが、「野ばら」や「ローレライ」をわざわざドイツ語で歌っていた、私たちにとっては古き、よき時代が回想される。

 その風物語が物語るように、旧制高校の学風は至ってヨーロッパ風であった。

 だがしかし、そこを巣立って行った秀才たちは、本物のヨーロッパ思想に触れるところまで行っていたかどうか。

 中学の同級生など、つき合いのある同年輩の旧制組を見ていて、彼らがむさぼり読んだに違いないヨーロッパものが、どれだけ血となり肉となっているか疑わずにはいられない。

 無理もない話ではある。碌に国情も知らぬヨーロッパの風土に根ざし、しかも伝来して日が浅く、日本全体としてもこなし切るには程遠い外来思想だったのだ。

 飛びつくには飛びついてみても、日本人としてさえまだ未成年の域を出てない17、18の子供たちに、どれだけの理解力が期待できようぞ。

 先立つ語学力からして、名だたる先哲の大著を原書で読み切る力は、ほとんどといっていいくらいついていなかったはずである。
 しかも大学に進み社会に出てから先、自由な学風の下でひもといた思想もの のページを更めてめくり直すような気風が、彼らの中にあったとは思えない。

 彼ら、戦前戦後を通じ昭和を動かした人々には、明治を動かしたリーダーたちに見られる武士道や儒学的バック・ボーンは既になかった。

 さりとて、西欧思想が血肉となって、新しいバック・ボーンが形成されるには日が浅過ぎた。

 ここに思想の谷間ができていたのだ。 ナショナル・リーダーたちの無思想時代 と言ってもいいくらい、その知的体力は落ちていたのである。

 戦後アメリカの占領政策によって鼓吹されたデモクラシーを、丸呑みにしないですませるわけにはいかなかったのだろうか。内心ではあくまで、一つの政治思想と受け止めるくらいの心のゆとりはなかったのだろうか。

 少くとも占領終了後は、大正デモクラシーに至る近代政治思想史を下敷にして、本格的な、デモクラシー研究を発進させるくらいの気力はあってよかった………。

 咀嚼も反芻もできていない。それが今の日本のデモクラシーなのだ。恐らく自由とデモクラシーの識別さえ碌にできていない、薄っぺらな政治評が氾濫している。

 そんな中で、日本には哲学がないとか理念が描けないとかいうことを、まるで他人ごとのように、学者や評論家が言い、マスコミがこれに和している。
 何という無気力!

 日本も先が見えてきた、などと言うに至っては言語同断、そんな老成ぶった言辞がマスコミを通じて流布して行ったら、その暗示が効いて、思想の谷間から這い上って行く国全体の気力が萎(な)えてしまうではないか。

 治世の学である儒学が日本のエリートの素養として揺るぎないものになり、マグマが溜まるさまさながらに強力な政治行動を誘発するまでには、千年の歳月を要している。

 昔は昔、今は今といっても、欧米に生い立ち、そこでも今なお成熟途上にあるデモクラシーだ。本当はかなり難解なその政治思想を、日本人がそう易々と摂取、吸収できるとは思えない。

 適確に把握し、日本向けに充分な仕立て直しを終え、命に替えても守る大切なものに仕上げるまでには、事によったら百年単位の時が必要であるかも知れぬ。

 かつての政党政治は、軍部が抑圧したというより、国民が愛想を尽かして捨てた観がある。本家のヨーロッパでさえ、ナチス独裁のような鬼子をデモクラシーは生み落している。自分で自分の首を締めるような選択を、有権者はいつ何時(なんどき)仕出かさないとも限らないのである。

 デモクラシーはまだ、日本に根づいてなどいない。追いつけ、追い越せの始まりなのだ。

 政治で一流になることは、軍事大国になるよりも経済大国になることよりも難しい。軍事、経済で大国になることが強者の競う栄冠だとすれば、政治で一流になることは王者の徳を目指すものに譬(たと)えられる。骨の折れ方が違うし、何倍もの根気が要る。
 デモクラシーを横に置いて自由主義思想に焦点を当てみても、日本のものは、まだとても本物とは言えない。それよりいのちの方が大切なのだ。この価値観が今の日本人にはしみついている。

 自由やデモクラシーの思想が、いのちを大切に、という教えと程よくバランスしていて、ノーブレス・オブリージュのような精神が高貴なものとされるアングロ・サクソン思潮……。それと見較べて、武士道を失ったわが日本の場合が、ひときわみじめなものに思えてならない。カネはせびられても尊敬はされないのも宜(うべ)なるかな、である。

 何としても、こんな思想の谷底からは抜け出さなくてはならない。今のような思想の貧困が平成の世いっぱい続くようだったら、日本も先が見えてきたという忌(いま)わしい予測が、本当に的中してしまうかも知れないのだ。(了)



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