I HOUSE SPECIAL 政治を語る
「ボーイズ・ビー・アンビシャス」(5) この国の行く末
1996年11月00日 | |
ご意見 | 国の行く末今の日本の中には、端的な例としてネパールやタンザニアに住む人々を心の視界内において、自分たちの幸せや不幸を測り、行動を考えるような感覚は芽生えていない。ネパールやタンザニア人だけではない。ほかの国々での人の不幸など、そんなものにこだわる気持ちは普通の日本人にはない。いくらよそで難民が発生し、多勢の人が略奪され銃殺されていようが、です。ボスニアヘルツェゴビナなんかピッタリの例です。 ちょっと「かわいそうに」ぐらいのことは思うんでしょうけども、こんな状態に世界共同体が無力であっていいのかと問い詰める気持ちはまったくない。また、それに比較して日本はどんなに幸せかということも考えない。日本は日本だということで、その方は別途、不平たらたらなんです。日本のことと、ボスニアヘルツェゴビナやタンザニアのことは別々に考えられてしまっている。それをつなげる 世界 という観念や感覚がまだ日本人には育っていないんです。
この大切な感覚が欠落していてどうして、識者が言う「世界に貢献する国」、「インターナショナル・マインドな国民」になることがで きるだろうか。切に望まれることは、国民意識の中に、いま例に挙げたような感受性を、本物の感覚として芽生えさせることだ。世界のどこの国で発生した戦禍や災害でも、その話を聞くと、関西大震災への同情とまったく同じとは言わないまでも、2分の1か3分の1くらいの同情心がわくとか、世界共同体としてこれを放置していいんだろうか、という疑問がわくとか、そうなって初めて日本人は精神面で世界民族になるわけです。感覚が本物になるというのはこのことです。
だが、この感覚を育て、成熟させるには、長い、静かな、人間革命のプロセスが必要だ。口先で幾ら国際化、国際化と言ったって、今のような安っぽい国際主義では日本人の心の中はいつまで経っても、日本は日本、世界は世界で別々だろうと思いますよ。安っぽい国際主義と言ったけど、さっき私が例に挙げたように、デパートに氾濫する商品を見て、ラオスの貧しさを思い浮かべ、同じこの地上でこれでいいのかなと思う。すぐに回答なんか出るはずはないけれど、これでいいのかなと 考え込む 、その心情ですね。これが日本人全体の心情になればもう、常任理事国になろうがなるまいが、日本は立派な、世界のためになる国です。自分の国を悪者呼ばわりしないと知性を疑われるような、ケッタイなこの50年の風潮は放っておいても影を潜めるに違いありません。 ここは、長い、静かな、人間革命のプロセスが必要だとしか書いてないけど、日本全体にそういう感覚が芽生えるにはどういう方法があるのでしょうか。10年や20年でそうなるはずはありません。観光客という形でいくら世界中を回ったってそんな感覚は生まれません。おそらく青年の船や青年の翼でもだめでしょうね。一緒にバンブーダンスを踊って、言葉がわからなくても心は通じるなんていい気になってる。そんなことで満足してしまい易いのが、イベント型の国際交流、これじゃとてもじゃないが、本物には程遠い。そこへくると協力隊というのは重みが違ってくるんだな。 何といったって二年も住むんですからね。2年も住めば日本へ帰った途端には「これでいいのか」と、ほとんどの隊員が思うでしょう。8割は1年か2年で忘れちゃうでしょうけど、1割〜2割はもっと長く思い続けるでしょうね。こういう人たちが更にずっと思い続けて、これからの日本のオピニオンリーダーに成長してくれたらなあというのが私の切なる願いなんです。 ところでまだ時間はいいのかな。 b>司会 せっかくですから、このページまで終わっていただいて、それで質問の時間にさせていただきたいと思います。 伴 ではもう少し。これは欲張っている、これこそ 高望み のたぐいになると思うんですが、あえて言わせて貰うと、隊員でも、まじめにやるんだけど、あるいはいい感覚は持って帰るんだけども、自分のいた国の行く末を考えるというようなことになると、そこまで考え込む力はなかったというのが、今までの隊員のほとんど全部だったと思うんです。 尤も、こんなことを隊員に求めるのは無理な話で、本職の外交官の場合でも容易なことではありません。 そこで私の考案なんですが、一つの国をトータルに把える私なりのコツを紹介しておきます。これは隊員にでもやれない相談ではないと思うのです。 パキスタンにいるとき、アユブ・カーンという人が大統領だった。私が着任したときは10年目でその極盛期、2年3ヶ月して私がパキスタンを去るときには完全に失脚、その没落ぶりは平家物語そっくりでしたが、そのパキスタンで私はこういうように自分に問う癖をつけた。おれがアユブ・カーンだったらどうする、とですね。 たまには同僚と賭けもしてみました。1ヵ月くらいで結果が判明する事例だと賭けにはあつらえ向きでしたね。こういう自己鍛錬をしていると不思議なことに、面白いくらいその国の動きというものが見えてくる。新聞を読むだけの知識で考えるよりずっといい感度になっていることが分かるんです。 中国に私は3年いました。中国語もろくにできないのに席次は大使の次の公使。ところが私の下には中国専門の外交官がひしめいているし、大蔵省ほか各省庁、それぞれの道の専門家がきているわけです。ここでも私は自分が 小平だったら、という問いは続けましたが、賭けで強烈な印象の残っているのは、既に党の実権を握っていたトウ小平が、これから先もずっと華国鋒を党主席、国務院総理として立てて行くだろうかという内容の大臣宛公電を打つときでした。 電文案を書いた書記官は専門だもんで、公使なんか素人にわかるもんかと内心は思っているし、私も負けていない。ものすごいもみ合いの末私は言い放った。「臨時代理大使のおれがおれの名前で打つ電報だ。おれの言う通り打て。そのかわりおれが間違っていたらあと一年お前の書いたものを一切直さない。」とですね。そうは言ったもののどうなることかと気が気でなかった。あとで、勝ったとは言えなかったが、負けてなくてホッとしたものです。 隊員の場合は今の話のように公電を打つわけでもないんだから、時には「自分がこの国の大統領だったら」と自問したり、たまには同僚と賭けてみたら どうなんですかね。国の歩みぶりへの読みが強くなること請け合いです。隊員の行っている国は日本人に知られてない国が多い。それだけに隊員の読みが定評になってくると、現地入りしたばかりの新聞記者なんかも助かる。 そんなときウカツにしゃべりまくって、問題を起こしたりしないように用心しなくてはならないけれども、読みが強くなること自体は、結構なことだし、考えようによっては楽しめることでさえあります。一人ポツンと異民族の中に入っているんだから、新聞なんかに書いてないことがいっぱい耳に入るわけでしょう。 それを普通の人のように右から左に聞き流すんじゃなくて、全部が全部とは言わないが、事柄次第では自分の力で読み切る。そしてその「わざ」の上達具合を楽しむぐらいになれないものですかね。そうなれば、これから50年先60年先、開発途上国に関する日本人の認識や見解は、ふえ続ける帰国隊員の読みの力を介して今とは見違えるほど確かなものになりますよ。それぐらいの役割を隊員が果たせるようになると、日本人全体が世界に開眼する上で、協力隊の存在は大変な意味を持つことになりますよ。 考えてもみて下さい。ルアンダの難民200万人が、隣のザイールへ流れ出たときだって、新聞記者なんか、報道が本職だとはいっても取材に駆けつけて1週間かそこらで記事を送る。そういうのを国民は読まされているんですよ。 あと読むだけにしますね。 このプロセスが進行していて始めて21世紀は、この島嶼国家にとって、その民にとって、瑞々しい夢多き世紀になり得る。この人間革命が成ってこそ 世界に貢献する ことを国是とする、もしかしたら人類史上初の国がアジアの東に出現するであろう。 隊員やOBの深層心理の底にうごめくまがいもない、大いなるものへの芽を見つめていると、協力隊のあり方、協力隊の育て方は、21世紀における日本の進路を展望した雄大な眺めの中で練り直され、新しい国是のもとで意味づけられ、位置づけられていいように思われる。このテーマが取り上げられる時期にもう来ているように思われる。 五箇条の御誓文にあやかって何かの役に立つことでもあればと考えて、五つのモットーを試作した。協力隊よ小成に安んずるなかれと念じつつ。
以上でいちおう終わりますが、どんどん質問をお願いします。
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